「シャネルの5番」「ロボット」「ブラウン」「ウソ発見器」など、2021年に100周年を迎えるものを紹介しよう

Wonder Bread.

アメリカで人気のパンのブランド「Wonder Bread」。

rblfmr/Shutterstock

  • 「Cheez-It」や「Wonder Bread」、「シャネルの5番」が登場して2021年でちょうど100年になる。
  • また、「ロボット」という言葉が生まれたのも100年前だ。

信じがたいことだが、アメリカ人は100年近く「Wonder Bread」を食べてきた。

1920年代、特に1921年には、世界中の人々が今日でも使用しているものがたくさん誕生している。

以下では、2021年に100周年を迎える食品、ビジネス、建物、イベントを紹介しよう。


「シャネルの5番」は100年前に生まれた

Chanel N°5

シャネル No.5。

Stefanie Keenan/Getty Images

シャネルの最初の香水「No.5」は、1921年に「女性らしい香りがする女性の香水」というキャッチコピーで発売された。ココ・シャネルと調香師のエルネスト・ボーがコラボレーションして生み出されたのが、このブランドを象徴する香りだった。タウン&カントリーによると、シャネルが5番目のサンプルを選んだことから、この香りは「No.5」と名付けられたという。

「No.5」は、その象徴的なシンプルなボトルのおかげもあってか、ボトルのシルクスクリーンアートを作ったアンディ・ウォーホルやマリリン・モンローといった著名人の注目を集め、ポップカルチャーに多大な影響を与えた。


クラッカー「Cheez-It」は1921年にスーパーマーケットの棚に並んだ

Cheez-It

陳列されたCheez-It。

calimedia/Shutterstock

100年前にはグリーン&グリーン(Green & Green)社がこの1インチ四方のチーズ味スナックを発売している。しかし、Cheez-Itのウェブサイトによると、このスナックの「正確な誕生時期」は不明だという。同社は第一次世界大戦中にこのスナックの製造を開始し、650万ポンド(約3000トン)をアメリカ軍に寄付した。

グリーン&グリーン社とCheez-Itは、1932年にサンシャインフーズ(Sunshine Foods )、1996年にキーブラー(Keebler)といった企業に買収され、現在は2001年にキーブラーを買収したケロッグ(Kellogg)が製造している。


「Laughing Cow」のチーズは1921年に「おいしく、手頃な価格で、持ち運びが便利なチーズ」として発売された

Laughing Cow cheese.

「Laughing Cow」のチーズ。

Thinglass/Shutterstock

ブランドのウェブサイトによると、ジュール・ベル(Jules Bel)は1865年から1904年に亡くなるまで、フランスのジュラ地方でチーズの生産をしていた。息子のレオン・ベル(Leon Bel)が父親の会社を引き継ぐと、彼は今日我々が知っている小さな円形のチーズをトレードマークにした。


100年前、熱気球から「Wonder Bread」の名前がついた

Wonder Bread.

アメリカで人気のパンのブランド「Wonder Bread」。

rblfmr/Shutterstock

1921年5月21日、世界一売れているとも言われる食パンのブランド 「Wonder Bread」 が発売された。

同社のウェブサイトによると、エルマー・クライン(Elmer Cline)はインディアナポリス・スピードウェイで開催された国際熱気球レースで、空に浮かぶ数十個の熱気球に夢中になったという。気球の色や形の「不思議(Wonder)」に触発されて、クラインはパンの名前を付けた。

Wonder Breadは80周年を迎えた2001年、ついに自身の熱気球を手に入れている。


最近「Edy's Pie」と改名したアイスクリームは100年前に生まれた

チョコレートでコーティングされたバニラアイスバーはジョセフ・エディが考案した。

チョコレートでコーティングされたバニラアイスバーはジョセフ・エディが考案した。

StockphotoVideo/Shutterstock

1921年、ジョセフ・エディ(Joseph Edy)がチョコレートで覆われたバニラアイスクリームバーを作ったとき、それを「エスキモー・パイ」と名付けた。Eaterによると、2020年6月、現在Edy'sを所有するドライヤーズ(Dreyer's Grand Ice Cream)は、このアイスクリームの生みの親に敬意を表して、名称をEdy's Pieに変更した。


「Betty Crocker」は1921年、顧客の問い合わせに回答するキャラクターとして生み出された

Betty Crocker

Betty Crocker。

LensMT/Shutterstock

ゼネラル・ミルズのウェブサイトによると、Betty Crocker(ベティ・クロッカー)というキャラクターは顧客の問い合わせに答えるために作られた。

1921年に行われたゴールドメダル・ブランドの小麦粉のキャンペーンで、ウォッシュバーン・クロスビー・カンパニー(ゼネラル・ミルズの前身)はジグソーパズルを完成させることができれば裁縫用の針山(pincushion)をプレゼントした。このキャンペーンは人気を呼び、熱心な顧客から何千もの回答と質問が寄せられたのだ。

Crockerの名は最近引退したばかりの同社の取締役、ウィリアム・G・クロッカー(William G. Crocker)に敬意を表したもので、ベティという名前は親しみやすそうなので付けられた。問い合わせへの回答の手紙には女性従業員が書いた署名が使われ、その署名を元にしたロゴマークが今も使われている。


「ウソ発見器」は1921年に作られた

写真は1939年に行われたポリグラフによるテスト。

写真は1939年に行われたポリグラフ(ウソ発見器)によるテスト。

Herbert Gehr/The LIFE Images Collection/Getty Images

2015年のCrime Psychology Reviewの記事によると、カリフォルニアの警察官で生理学者のジョン・A・ラーソン(John A.Larson)は、容疑者が嘘をついていることを検知するために、血圧、心拍数、呼吸数の変化を同時に測定するツールを作成したという。記事は、以前にも複数の心理学者や専門家が同様のことを研究していたため、ラーソンがポリグラフを発明したとは言えないと付け加えている。


ドイツの「ブラウン」は1921年に設立された

2018年、エレクトロニクス展示会のブラウンのブース。

2018年、エレクトロニクス展示会のブラウンのブース。

picture alliance/Getty Images

ブラウンのサイトによると、ドイツ人の技術者、マックス・ブラウン(Max Braun)は1921年、フランクフルトで電化製品を生産する会社を設立した。それ以降、100年にわたり、ブラウンはレコードプレイヤーとラジオの両方の機能を備えた最初の製品、数多くの電子カミソリ、そしてオーラルBとして知られている電動歯ブラシなど、コンシューマー製品に多くの進歩をもたらしている。


1921年、チェコの小説家で劇作家のカレル・チャペックが「ロボット」という言葉を初めて使った

カレル・チャペック

カレル・チャペック。

Erich Auerbach/Getty Images

ワイアードによると、カレル・チャペック(Karel Capek)はこの言葉をチェコ語の「ロボタ」(robota:労働)から作ったという。チャペックは1921年の戯曲『R.U.R.』で初めてこの言葉を使った。劇中の「ロボット」は、現在普及しているような金属製や機械製ではなく、化学的な混合物で作られており、人間と同じように見えるように意図されているという。


アメリカ最小の国立公園、ホットスプリングス(Hot Springs)は、1921年に国立公園に指定された

1930年代のホットスプリングス国立公園のポストカード。

1930年代のホットスプリングス国立公園のグリーティングカード。

Found Image Holdings Inc/Getty Images

ナショナル・ジオグラフィックによると、この公園は1832年、「イエローストーンが最初の国立公園になる40年前に、アンドリュー・ジャクソン大統領によって特別保留地として指定された」ので、実質的には「最も古い国立公園」だとされている。


現代の映画館の原型である「シカゴ劇場」は、2021年に100歳を迎える

The Chicago Theatre.

シカゴ劇場。

Barry Brecheisen/Getty Images

マディソン・スクエアガーデン・エンターテインメントによると、シカゴ劇場はアメリカで最初の大型映画館であり、「他のすべての映画館の見本だった」という。1921年のオープン時には50人編成のオーケストラとWurlitzerのパイプオルガンを使ってサイレント映画の『The Sign on the Door』を上映しした。


1921年は「タルサ人種虐殺」から100年目でもある

オクラホマ州タルサ市グリーンウッド地区の一部は、1921年6月のタルサ人種虐殺で焼失した

オクラホマ州タルサ市グリーンウッド地区の一部は、1921年6月のタルサ人種虐殺で焼失した

Universal History Archive/Getty Images

タルサ人種大虐殺は、1921年5月30日の朝、黒人の青年が白人女性とエレベーターに乗ったことから始まった。タルサ歴史協会・博物館によると、タルサ警察は翌日、この男(ディック・ローランド)を逮捕し、捜査を開始した。

1921年5月31日付のタルサ・トリビューン紙には、エレベーターの中で起きたことについての「扇動的な報道」が掲載され、黒人と白人の群衆が裁判所の外に集まった。正体不明の銃撃犯が群衆に向けて発砲し、アフリカ系アメリカ人の抗議者たちは、成功したアフリカ系所有の会社が多いことからブラック・ウォール・ストリートと呼ばれていたグリーンウッド地区に逃げ込んだ。

1921年6月1日の朝、グリーンウッド地区は略奪と焼き討ちに遭い、35ブロックが破壊され、800人以上が負傷し、300人以上が死亡したと歴史家はみている。そして6000人以上の人々が8日間も投獄された。

地元では、この虐殺の100周年に当たって、100周年委員会が設立され、新しい博物館のグリーンウッド・ライジンググリーンウッド・アート・プロジェクトなどの取り組みを通じて、この悲惨な日を忘れないようにしている。

[原文:12 things turning 100 in 2021, from Cheez-Its to Chanel No. 5

(翻訳、編集:Toshihiko Inoue)

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