忘れたいのにまだ記憶が消せず、ふと胸が苦しくなる。そんな、人知れず心の奥深くしまっている傷はないだろうか。
水野良樹(38)にもあると知って、ああ、この人もそうだったのか、と安堵する思いが半分。同時に、国民的な支持を得るJ-POPの旗手がそれほどの深い痛みを心に残し続けていたことにやや驚きを感じた。
さらに、そのことはいきものがかりの活動にも影響を残していた。
神奈川県海老名市で育った幼少期、一人っ子の水野にとって、両親に連れられて大洋ホエールズ(現在の横浜DeNA)の試合を観戦しに横浜スタジアムに行ったことは懐かしい思い出だ。そして中学時代、野球に打ち込んでいたが、中3で部長になったとき、野球から離れた。
やんちゃな後輩の取りまとめがうまく行かず困っていた水野は、顧問の教師から「そんな奴ら、殴ってしまえ」と言われ、暴力で解決すればいいという考えに納得できず、退部してしまった。野球部では軽いいじめもあった。その後卒業までクラスの誰とも話さず、さらに地元の県立高校に進学してからも半年ほど1人で過ごし続けた。