家族とは、について話が絶えなかった山崎ナオコーラさん(左)と岸田奈美さん。
『肉体のジェンダーを笑うな』筆者の山崎ナオコーラさんと、初の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を出版した岸田奈美さんの対談。
後編では、誰もが表現できる時代になった今、作家であるとはどういうことか、そしてSNS時代における分断を乗り越え、「他者理解を深める方法」について語ってもらった。
—— 山崎さんは、2020年11月に『肉体のジェンダーを笑うな』を刊行されました。なぜ今、このタイトルで著書を出されたのでしょうか?
山崎ナオコーラ(以下、山崎):今だんだんと、みんなが性別を乗り越えられるような仕組みが生まれてきて、SNSでも小さい声がつぶやかれるようになったことで、多様性を受け入れられる社会になってきたなと感じていたからです。
おかげで、私みたいな人間も生きやすい時代になってきた。そんな喜びで書きました。
岸田奈美(以下、岸田):ご本を拝読して思ったんですが、SF的なところもあるじゃないですか。山崎さんは普段から、こういった世界を想像されているんですか? こんなふうになればいいなとか。
山崎:理想の世界を書いたというよりは、「時代が進んで、良くなっていくだろうな」という実感で書きました。 私の子ども時代って、これは絶対的で変えようがないってことが今以上にたくさんあったんですよ。
例えば、男の子のランドセルは黒じゃないとダメだとか。でも、今はなくなってきているし、生理用品なども、昔よりずっと動きやすく機能的なものになってきた。
だから、時代が進むごとに、性別が薄れていく実感がすごくあります。『肉体のジェンダーを笑うな』の中の短編『父乳の夢』も、周囲の男友だちや子を持つ男性たちが、育児をやりたがっている声を聞いて思い浮かんだ話なんです。これまではどちらかと言えば、「男性の意識が低いから育児参加ができていない」という男性バッシングの流れの方が大きかった。
だけど、社会の構造や家計の余裕のなさ、そして体の構造的に出産ができない、授乳ができないことに引け目を感じて、育児参加を存分にできていない男性が結構いるということを知って。
岸田:山崎さんの想像力に助けられる人が、世の中にはたくさんいると思います。例えば、Twitterで見かけるジェンダーに関するつぶやきって、悲しんでいるか、怒っているかのどちらかが多いような気がしています。もちろん、そういった悲しみや怒りの発信を原動力に、世の中が変わっていくので、大切で必要な発信です。
ただ、こんなにつらい思いをしているんだ、こんなに怒っているんだって見続けるうちにつらくなってしまうこともある。でも、『肉体のジェンダーを笑うな』を読んでみたら、生きていたら自分は幸せとか、こうあれたら楽しいからとか、希望を感じる言葉がたくさんあった。山崎さんの原動力は、怒りとか悲しみよりも希望に近い気がしたんです。だから読み続けていてもつらくないどころか、これからの社会に希望を持てました。
山崎:そう思ってもらえて、すごくうれしいです。まさに希望を書きたいと思っていたので。
私は『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を読んで、とにかく岸田さんは行動力がすごいなと思いました。 私は、あくまでもイメージを描いています。父親からおっぱいが出るとか、筋肉ロボットが開発されて夫の助けがいらなくなった妻だとか。
だけど岸田さんは、例えばお母さんと弟さんと旅行に行って、今の時代にいる人と直接関わって、その関わりをほぼリアルタイムで書かれていますよね。
—— 車いすユーザーのお母様の「沖縄に行きたい」という願いを、旅行代理店のプランナーさんがその場で一気に解決するプランを組んでくれたエピソードなどは、特に印象的でした。
山崎:旅行カウンターのプランナーさんや沖縄のタクシーの運転手さん、外国で出会った人たちの対応を見て、私は「ああ、これが今の時代の人たちなのか」と。どんな仕組みよりも一番進化しているのは人間の文化で、それが一番の希望のような気がしました。岸田さんの本を読んだことで、やっぱり社会はどんどんと良くなっている、時代ってすごいと、より強く実感できるようになりました。
文章を発表するときは前向きな諦めが大切
山崎:岸田さんは、文章を書くとき、誰にどう読まれるかなどは意識されますか?
岸田:あんまり考えていないというか、そこは前向きに諦めています。最初は褒められたいとか、私と同じような悩みを持っている人を元気づけたいと思って書いていました。「人を傷つけない笑い、いいね!」とか言われていたんですけど、届く感想を見ていたら、「自分は家族とうまくやれていない、岸田さんの家族を見ているとつらい」という人もいて。どれだけ私が楽しく、想いを持って書いても、ちゃんと書けば書くほど、傷つく人は絶対どこかにいると知ったんです。
だから諦めて、ブラジャーを試着したらむちゃくちゃ胸が大きくなった話とか、自分の書きたいことを書いています。強いて言うなら、それで「いいね」と言ってくれる人がいたらいいなと祈るくらいの感覚です。
著書にも収録されている「一時間かけてブラジャーを試着したら、黄泉の国から戦士たちが戻ってきた」はnoteで10,000以上のスキを集めた。
「岸田奈美のnote」より
山崎:前向きな諦めってすごくいい言葉ですね。私は諦めるって言葉が、言葉の中で一番好きで。「諦める」って、古語では「明らむ」、つまり「明らかにする、何でも白日のもとに出す」という意味らしいんです。
だから諦めるってマイナスなイメージだけど、全部を諦めることができたら、自分という人間も、本当に書きたいことも明らかになるのかなって。そう考えると、何でも諦めようって気持ちになる。肩の力も抜いて書けるから、「前向きな諦め」ってすごくいいなと思いました。
岸田:ありがとうございます(笑)。できることや、やりたいはずのことをしない諦めは後ろ向きだから、あとから後悔しちゃう気もするんですけど、長期的に見て、自分が楽になるための諦めはどんどんやっていいと思いますね。
山崎:あと、文章を出すと傷つく人がいるという話ですが、例えば、車いすユーザーの家族がいる、ダウン症のある兄弟がいるといったことにご自身も当てはまる読者の方が、「このエッセイは私を代表して書いてくれている」と感じる場合がありますよね。その設定の全員を代表する文章を書いてほしいという期待が来てしまうこともある。
矮小な話になりますが、育児エッセイの場合も、育児が楽しいと書くと、「楽しいとは書かないでください」という希望が来るときがあります。「育児が楽しい」と思われる社会では生きにくい人がいる訳です。
でも、同じ設定の中でも、いろいろな人がいる。楽しい人も楽しくない人もいる訳で、楽しい人は正直なところを書くしかない。楽しくないことを書いてくれている作家もいるし、自分は自分の仕事をするしかない。
『肉体のジェンダーを笑うな』は、子どもが生後2カ月のときに書いたんですが、子どものキャラクターや子育て環境によっては、非常にハードにだから、仕事なんて絶対にできないという人もいる。私は「生後2カ月は結構寝てくれるから書けた」と育児エッセイなどに書いてもいるんですが、「2カ月の子はこうだと思われたら困る」とか、「男性にもっと育児のつらさを伝えてくれ」とかっていうニーズが聞こえます。 でも、育児にしろ何にしろ、私がみんなの代表にはなることはできないと諦めるしかない。
文章を発表することは、誰かを生きにくくさせてしまう。その覚悟を持つことが大事だと考えています。
他者との出会いこそ文学
岸田:これだけSNSやメディアがたくさんある今は、自分を救ってくれる物語ってすごく探しやすいし、もし探せなかったら、自分のための物語を自分で書いてみるのもいいですよね。そんなふうに、読む人ももっと自由になれたらいいのかな。
山崎:私がデビューしたときは、「本を出したら作家です」って編集者さんから言われて、私もそう思って名乗り始めました。だけど、今は活字にして流通に乗せなくても、ネットで文章がちゃんと発表できる時代だから、ネットで文章を書いている人も作家と名乗りたいと思ったら、そのときから作家って言っていいんだと思います。
岸田:実際私は、本を出す前に編集者さんの薦めで作家と名乗ることになりました(笑)。最初は引け目を感じていたのですが、本を書くから作家なのではなくて、この人生を編集して作品として伝えるから作家なんだって、私の場合、こじつけて思えるようになっていきましたね。
それに多分、文章を書くことには、傷を癒す力があるんですよね。だから私は、傷つくのが嫌いじゃないというか。自分の物語を人に語る中で、自らの考え方が変わったり、新たな気づきを得たり、傷すらも人に見せることで、すべてを糧にしていけたりするんじゃないかと思っています。その力は誰もが手にできる。
ただ、今世の中的には逆で、「人は傷つきやすいから傷つけないようにしよう、傷つかないようにしよう」っていう考え方が主流になってきている気がしますよね。
山崎:そうですね。私が流産したときに、この悲しみをどうしようと思ってネットでいろいろ検索したんですが、そしたら、経験者同士だけで話すのが良くて、経験していない人に話すのは気を遣わせてしまうからダメだという意見が溢れていました。
でも、私は経験していない人にも話していい気がして、男友達に話したら「それって中絶と同じ手術なの?」って、やっぱり傷つく反応が返ってきたんですよ。でも、私はそのときこう思って、こうでって説明したら、「そうだったんだ」ってちゃんと理解が得られて、コミュニケーションが取れたんですよ。これこそが文学だなと。他者との出会いと言いますか。
岸田:自分の物語を語って、知ってもらうことって、自分や誰かは傷つくかもしれないけど、同時に誰かを生きやすくするかもしれませんよね。少なくとも、山崎さんが相談した男友達が、もう他の人に同じ質問をすることはないでしょうし。
山崎:確かにそうですね。そのとき、自分とは違う価値観を押し付けられたと思わず、ただ開いて話せるとか、スッとかわせるっていうような文化ができていったらいいなと思うんです。
岸田:あくまで、その人の物語を伝えているだけかもしれないですもんね。それは自分の物語を話すこと自体が面白いからだし、知ってもらえることで、自分がうれしいからじゃないですか。そのコミュニケーションって、すごく人として純粋だと思うんですよね。
でも、同時に過度な期待をしない。分かってもらえるはず、という期待をせずに、ただ自分が話したいから話す。そうやって自分の物語を勇気をもって語っていける人には、文化を変えていく力があると思います。
(取材・文:浅田よわ美、野田翔 撮影・伊藤圭)
山崎ナオコーラ:作家。親。性別非公表。『人のセックスを笑うな』で純文学作家デビュー。今は、1歳と4歳の子どもと暮らしながら東京の田舎で文学活動を行なっている。著書に、育児エッセイ『母ではなくて、親になる』、容姿差別エッセイ『ブスの自信の持ち方』、契約社員小説『「ジューシー」ってなんですか?』、普通の人の小説『反人生』、主夫の時給をテーマにした新感覚経済小説『リボンの男』など。
岸田奈美:1991年生まれ、兵庫県神戸市出身、関西学院大学人間福祉学部社会起業学科2014年卒。在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入、10年に渡り広報部長を務めたのち、作家として独立。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパーズ。 Forbes 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」選出。2020年9月初の自著『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館)を発売。