2020年12月25日、衆院議院運営委員会に出席した安倍前首相。「桜を見る会」問題で事実と異なる答弁をしたことを謝罪、訂正した。
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「桜を⾒る会」前夜祭をめぐる政治資金規正法違反事件について、東京地検特捜部は安倍晋三前⾸相から任意で事情聴取したうえで、安倍氏を不起訴とし、公設第一秘書を略式起訴した。
安倍氏はその後、衆参両院の議院運営委員会に出席し、在任中の国会答弁を「結果として事実に反する」などと謝罪したが、議員辞職を求める声は日に日に高まっている。
そんななか、全国紙ではあまり報道されていないが、渦中の安倍氏の地元・下関市(山口4区)で、また別の不可解で深刻な問題がくすぶり、火の手が上がろうとしている。
各地の大学で「学長の独裁化」が問題に
大分大学で開かれたシンポジウム「大学の権力的支配を許していいのか!」の様子。筆者(右端)も総合コメンテーターとして参加した。
提供:大分大学のガバナンスを考える市民の会
2020年10⽉18⽇、下関市から南東におよそ100キロ、同じ瀬戸内海を望む大分市の中⼼部で、「大分大学のガバナンスを考える市民の会」(以下、市民の会)が主催するシンポジウム「大学の権力的支配を許していいのか!」が開かれた。
基調講演者は、大学のガバナンス問題について全国を飛び回り取材を重ねているジャーナリストの田中圭太郎氏。日本各地で、天下り官僚や地方自治体幹部、弁護士らが大学経営のトップあるいは幹部ポストを占め、「改革」の名のもとに大学の私物化や教育・研究への介入支配が進んでいる現状を紹介した。
続いて登壇したのは、市民の会のメンバーでもある⼤分⼤学の⼆宮孝富名誉教授。かつて自身が教鞭をとっていた⼤分大で、学⻑が教員や学部⻑の⼈事に介入するといった「独裁化」が進んでいる現状を報告した。
⼤分⼤では2015年、医学部教授出⾝の北野正剛学⻑のもとで、学⻑の再任回数制限が撤廃されるとともに、学⻑選出の際には必ず行われていた教職員の意向投票も廃⽌された。
さらに、北野学長は2019年、経済学部の教授会が推薦した学部⻑候補の任命を拒否し、専決で他の教員を学部⻑に任命。医学部でも、審査委員会や教授会の審査を経て教授候補者に選出されていた准教授の任命を拒否し、事実上の学⻑直接指名によって他の⼈物を教授に任命している。
シンポジウムでは続いて、下関市⽴⼤学経済学部の飯塚靖教授が、同大学の設置者である下関市当局や元市役所職員らによって、教育・研究内容や教員⼈事が不正に歪められている現状を報告した(筆者も総合コメンテーターとして発言)。
実はいま筑波⼤学でも、学⻑の再任回数制限の撤廃と教職員意向投票の廃⽌が行われ、学⻑の「終⾝化」「独裁化」が問題化し、(悪い意味で)全国区の注目を集めつつある。そして、これらが地域限定の、属人的な問題ではないことが明らかになってきている。
大学の現状を批判した理事が突如解任
さて、上記のシンポジウム「⼤学の権⼒的⽀配を許していいのか!」は、(もちろん感染予防に十分留意しつつ)⼤分⼤学の教職員、元教員、現役学⽣や卒業⽣のほか、地元市⺠など100名ほどが集まり、活発な質疑応答も交わされて盛況のうちに閉会した。
ところが、それから10⽇ほど経って、シンポジウム関係者にショッキングなニュースが伝えられた。
下関市⼤の飯塚教授が、直後に開催された学校法⼈の理事会で、本人以外の全理事の賛成によって理事を解任されたというのだ。
2020年10月に開催された同年度第8回の理事会議事録より。「ある理事の学外での行為」に「疑問を呈する意見」が出たため、「職務上の義務違反があるとき」に役員を解任できるとする地方独立行政法人法第17条第2項に従って解任を決議したと記す。
出所:公立大学法人下関市立大学2020年度議事要録より抜粋
飯塚教授は理事会の席上、大分のシンポジウムで下関市⼤の現状を批判的に報告したことについて、当日配布したレジュメのコピーを⽰されて詰問されたという。
飯塚教授は下関市大の経済学部長を務めているが、同⼤は経済に特化した単科大学(=経済学部のみ)なので、学部長は飯塚教授ただ一人。そのため、理事会においては、従来から在職する専任教員を代表する唯⼀の存在だった。にもかかわらず、飯塚教授が理事を解任された事実は、専任教員の⼤多数にたった1通のメールで通知された。
筆者が関係者から確認した情報によれば、飯塚教授の理事解任を主導した⼭村重彰理事⻑は下関市の元副市長。安倍晋三前⾸相の秘書を務めた前⽥晋太郎市⻑と市議会与党の自民党系会派(創世下関)の支持を背景に、下関市大の理事⻑に就任したとされる。
安倍前首相の秘書を務めた市長の「大学への要請」
2006年8月、自民党総裁選立候補時の安倍前首相、下関市にて。当時秘書を務めていたのが現在の前田晋太郎・下関市長。「桜を見る会」問題では、在任中の安倍首相を全面擁護する発言をし、全国から批判されている。
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こうした下関市⼤の決定機構のあり方は、飯塚教授の理事解任に始まったことではない。
2019年5⽉、前⽥市⻑が下関市⼤の⼭村理事⻑や学⻑・学部⻑ら⼤学幹部を市⻑室に呼び出し、特別⽀援教育を担う「特別専攻科」を新設し、市⻑が推薦した候補者を専任教員として採⽤するよう要請したのが、その端緒だった。
下関市大の教員の⼤多数は、学内の(教員・研究者から成る)「資格審査委員会」による業績審査、教授会への諮問といった、採⽤に必要な⼿続きを経ていないとして猛反発。大学など高等教育機関を所管する文部科学省からも、採⽤⼿続きについて指導が⼊った。
ところが、経営陣はそうした内外の意見に耳を貸さず、翌6月に特別専攻科(およびリカレント教育課程)の設置と、ハン・チャンワン(韓昌完)琉球⼤学教授の招へいを含む新任教員3名の採⽤を強⾏する。
※戦後⽇本の⼤学ガバナンス……「学問の⾃由」を定めた⽇本国憲法23条と、そこから導かれる「⼤学の⾃治」の理念に基づき、戦前・戦時期の弾圧への反省を踏まえ、ふたつの原則が貫かれている。
ひとつは、⼤学内部において、教育・研究の⾃由と教員⼈事の⾃治が、経営陣による支配から守られること。ふたつは、⼤学外部との関係において、政官財界などの勢⼒から、教育・研究の⾃由と教員⼈事の⾃治が守られること。
例えば、教員の採⽤や昇任に関しては、学内の専⾨家による慎重な審査・審議(ピア・レビュー)を経なければならない。また、国公⽴⼤学の設置者(政府・⾃治体)の⻑や議会多数派や事務⽅は、⼤学に対して新設の学部・コースなどの⼤まかな⽅向性について要請することは許容されるが、具体的な教育・研究内容や教員⼈事を左右することまでは認められていない。
学長の独断による教員採用が可能に
下関市立大学のキャンパス。経済学部のみの単科大学で、在校生は2200名超(2019年5月1日時点)。
提供:石原俊
しかも、事態は学科の新設や新任教員⼈事の強⾏にとどまらなかった。
下関市当局は、市⼤の教育・研究・教員⼈事に関する最⾼審議機関である教育研究審議会(教研審)や教授会に諮問することなく、⼤学の定款変更の議案を市議会に提出、これを可決させた。
変更後の定款では、新たに理事会(解任された飯塚教授もこのとき理事に選任)を設置することが定められた。さらに、教育・研究に関する重要事項や、採⽤・昇任など教員⼈事に関する審議権を教研審から奪い、教員・研究者以外が多数含まれる新設の理事会に権限を集中させた。
2020年4⽉に開催された第1回理事会は、さっそく「教員⼈事評価委員会規程」を決定する。
同規定により、教員の採⽤・昇任の審査を担当する「資格審査委員会」の委員5名のうち過半数の3名には、学⻑が直接指名する「教員⼈事評価委員」が充てられることになった。同時に、最高審議機関だった教研審と教授会は教員⼈事に⼀切関与できなくなった。
2020年5月に開催された同年度第3回の下関市大理事会議事録。「教員採用選考規程」修正について、「学長のリーダーシップを確立」するうえで必要として承認されたことが記されている。
出所:公立大学法人下関市立大学2020年度議事要録より抜粋
さらに、翌5⽉の第3回理事会では「教員採⽤選考規程」の導⼊が決まった。この規定には驚くべき条⽂が組み込まれた。
雑則第11条の「学⻑は、教員採⽤に関し、全学的な観点及び総合的な判断により必要があると認めた場合は、この規程によらない取り扱いをすることができる」というのがそれで、要するに、上述の「資格審査委員会」による審査も経ず、学⻑単独での教員採⽤・昇任決定への道が開かれたわけだ。
※教員採⽤・昇任の決定プロセス……⼤学教員を採⽤する際には、学内の専任教員のなかから当該分野や隣接分野の専⾨家を集めて研究・教育業績を精査したうえで、教授会や教育研究評議会(下関市⼤の場合は教研審)の審査を経る必要がある。
2014年に学校教育法93条が改正され、それまで「重要な事項を審議する」と定められていた教授会の権限は「学⻑に意⾒を述べる」役割へと格下げされたものの、教員採⽤にあたって教授会からの意⾒聴取を省略し、学⻑が直接指名した者が過半数を占める委員会のみに審査を担わせることまでは想定されていない。
ましてや、 ひとつの学術分野の専門家にすぎない学⻑が、 単独あるいは専決で、多様な専門分野の教員を指名採⽤することは、戦後日本を含む自由民主主義諸国の⼤学ガバナンスの観点から、到底容認されるものではない。
新設された「理事会」の顔ぶれ
下関市立大学の沿革と歴史を紹介する同大学のPR動画。川波洋一学長も登場する(1分23秒以降)。
ShimonosekiCityUniv Official YouTube Channel
ここまで経緯を記したように、下関市⼤に新設された理事会は、教研審や教授会から教育・研究・教員⼈事の審査権を完全にはく奪した。
いったいどんな⼈たちが理事を務めているのか、そこでどのように意思決定が行われているのか、公になっている情報や複数の関係者からの情報提供をもとに整理してみたい。
飯塚教授が解任されたあとの理事会は、6名の理事のうち半数の3名が⾮研究者で占められており、それぞれ、元市役所職員で副市長を務めた⼭村理事⻑、元市役所職員で⼤学事務局⻑の砂原雅夫⽒(副学⻑を兼務)、学外から経営担当理事の地元財界幹部(山口銀行取締役)という顔ぶれだ。
一方、残り半数の理事は研究者3名が占め、川波洋⼀学長と、特別専攻科の新設に伴って招へいされたハン・チャンワン教授(副学⻑を兼務)、学外からの教育研究担当理事(元下関短期大学教授)が名を連ねる(いずれも2020年10月29日時点)。
なお、川波⽒は2016年から下関市大学長を務め、2018年末の学⻑選に再選を期して立候補したものの、教職員による学内の意向投票で⼤差をつけられて敗北。にもかかわらず、その後、⼤学事務局⻑の砂原⽒を議⻑とし、ほかに民間金融機関出身の2名、現役の教員3名の計6名から成る「学⻑選考会議」の決定により、学⻑続投が決まっている。
理事や副学長、教員の任命をめぐる不可解な動き
飯塚教授の理事解任が決まった2020年10月開催の第8回理事会(冒頭参照)では、学部長や大学院研究科長の選考についても、教授会の意見を聴くとする従来の規程を削除する改正案が可決された。
出所:公立大学法人下関市立大学2020年度議事要録より抜粋
そうした不可解な学長再選の経緯以上に、⼤学関係者や下関市⺠に驚きをもって受けとめられたのが、ハン・チャンワン⽒の理事就任だ。2020年1⽉に⾮常勤の理事として迎えられ、4⽉には専任教授として着任、いきなり(常勤の)理事兼副学⻑に任命された。
このとき同時に、砂原事務局⻑が副学⻑に任命されたことも、学内の専任教員に衝撃を与えた。教育・研究をつかさどる副学⻑は、経営をつかさどる理事とは異なり、学内の専任教員から選ばれるのが一般的で、少なくとも研究・教育の実績を持たない事務職員出⾝者が担える役職とは思われないからだ。
また、2020年4⽉にハン⽒とともに特別専攻科の准教授および専任講師として着任した2名は、ハン⽒の前任校である琉球⼤学教育学部の元専任講師と元特命助教だった。ともに琉球⼤学時代のハン⽒の教え⼦だという。
この2名もハン⽒と同様、専任教員による業績の精査、前述の教研審や教授会への諮問といった審査・審議(ピア・レビュー)を経ずに採⽤されている。
それからまもない6、7⽉には、ハン⽒が韓国時代に教員として勤めていた⼤学出⾝の研究者2名が、やはり学⻑と理事会の指名により、⼤学院教育経済学領域の准教授として採⽤された。
こちらの2名の採⽤は、⼤学院教授会に相当する経済学研究科委員会や教研審の審査を経ないばかりか、学⻑が任命する委員が過半数を占める「資格審査委員会」にすら諮問せず、(先述した)4月の理事会で決定したばかりの「教員採⽤選考規程」雑則11条を使って、学⻑が単独で決定した。
さらに、ハン教授は着任後すぐ理事兼副学⻑に就任しただけでなく、「教員⼈事評価委員会委員⻑」「教員懲戒委員会委員⻑」「相談⽀援センター(ハラスメント相談含む)統括責任者」を兼任することになった。
これは、経済学部のすべての専任教員に対して、昇任・懲戒・⼈事評価・ハラスメント相談の最終的な権限を⼀⼿に掌握したことを意味する。
教研審や教授会から教員⼈事の審査権をはく奪して理事会に権限を集中したうえで、理事のひとりに教員⼈事権を集中させれば、何が起こるかは誰でも容易に想像がつく。
事態はすでに深刻で、筆者が複数の関係者に直接確認したところでは、大学ガバナンスのあり方や学長専決人事に批判的な複数の専任教員に対して、さまざまな理由で懲戒処分が進められている。
安倍政権で進んだ、憲法と学校教育法の「曲解」
国会で打ち合わせする安倍前首相(右)と下村博文元文科相。下村氏の在任時、各地の大学に「改革」の強いプレッシャーがかかったという。
REUTERS/Toru Hanai
第二次安倍政権は、⾃⺠党の歴代内閣のなかでは珍しく、⼤学・⾼等教育政策に⼤きな関⼼を⽰した政権だった。
同政権下では、⽂部科学⼤⾂を3年間務めた下村博⽂⽒や経済団体など、政官財界から⼤学に対して激しい「改⾰」圧⼒がかかった。2000年代までの⼤学改⾰とは異次元のものだった。
少なくとも戦後75年、専⾨家・研究者のピア・レビューを経ずには決定できなかった、教員⼈事や業績審査、教育・研究内容、カリキュラムやコース編成など、⼤学⾃治の「最後の砦」と言うべき部分に、研究者以外の専⾨家でもない人間が安易に⼿を突っ込めるような「ガバナンス改⾰」が進められた。
下村⽒らが主導した学校教育法93条の改正により、すでに述べたように、教授会が「重要な事項を審議する」機関から「学⻑に意⾒を述べる」機関へと格下げされたことで、学⻑や理事会、あるいは政府や⾸⻑、議会与党がトップダウンで教育・研究内容や教員⼈事さえ決定できるかのような、学校教育法の趣旨の曲解、憲法23条の「解釈改憲」が、地⽅の国公⽴⼤学を中心に広がっている。
⼤学経営陣を占める政官財界出⾝者らによる、教育・研究への介⼊や利益誘導も深刻化している。
こうした動向に異議を唱える全国各地の研究者たちが、⼤学経営陣からの懲戒や恫喝、いじめや嫌がらせにさらされ、業績評価・賞与査定や昇任審査で不当な扱いを受けて苦しんでいる。
近代の先進諸国の⼤学は、約100年間かけて、政治や行政、経営による教育・研究の⽀配を克服し、学問の⾃由と⼤学の⾃治を勝ちとってきた。
下関市⼤の現状を地⽅の⼀公⽴⼤学の問題として放置・無視すれば、⽇本の⼤学の多くは遠からず、19世紀以前に逆戻りしてしまうおそれがある。教育・研究のすそ野や学術⽂化の多様性は急速に狭められ、地方を中心に経済⼒のない若者の学びの機会は奪われていくだろう。
わたしたちはいまこそ、第二次安倍政権の縁故政治と⼤学ガバナンス「改⾰」が残した負の遺産とも言える下関市⼤の問題と真剣に向き合う必要がある。
(文:石原俊)
石原俊(いしはら・しゅん):1974年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科(社会学専修)博士後期課程修了。博士(文学)。千葉大学などを経て現職。2018〜20年、毎日新聞「月刊時論フォーラム」担当。専門は、社会学・歴史社会学。著書に『近代日本と小笠原諸島——移動民の島々と帝国』(平凡社、2007年:第7回日本社会学会奨励賞受賞)『〈群島〉の歴史社会学』(弘文堂、2013年)『群島と大学——冷戦ガラパゴスを超えて』(共和国、2017年)『硫黄島 国策に翻弄された130年』(中公新書、2019年)など。大学ガバナンス問題に関する論文・記事も多数寄稿。