ウシは「オーロックス」(すでに絶滅)という野生動物を飼いならし家畜化した動物。
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2021年は丑(うし)年。
焼肉にすき焼き、牛丼、ハンバーガー……牛肉は、私たちの日々の食卓に彩りを与えてくれる欠かせない食材だ。肉がない生活なんて考えられない……という人も多いだろう。
そんな私たちが愛するウシの秘密を、ウシの専門家である北海道大学農学部の小林泰男教授に尋ねた。
「ウシの胃は小宇宙」
焼肉屋に並ぶ牛の胃。左からセンマイ(第三の胃)、ハチノス(第二の胃)、赤センマイ(第四の胃)、ミノ(第一の胃)だ。どれも美味しい。
撮影:三ツ村崇志
ミノにハチノス、センマイに赤センマイ……ホルモン屋のメニューに並ぶ、ウシの「胃袋」だ。
そう、牛の胃袋は、4つある。
ただし、胃が4つあるのは、なにもウシだけではない。同じウシ科のカモシカやヤギはもちろんのこと、実はキリンなど、科の異なる動物にも胃は4つ存在する。
これらの動物の共通点は、草食動物で、食事の際に一度飲み込んだ食べ物を吐き戻して何度もかみ直す「反芻(はんすう)」という行動をとることだ。
では、なぜ反芻する動物の胃は4つあるのだろうか。
ヤギやヒツジ、キリンもウシと同じ反芻動物。
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ウシが持つ4つの胃のうち、第一の胃(ミノ)と第二の胃(ハチノス)には、7000種以上の「微生物」が存在する。専門家の中には、微生物の生態系の多様さから「ウシの胃はまるで宇宙だ」とまで言う人もいる。
「ウシは食べたものを微生物の力で分解・発酵しています。この発酵によって生み出された成分を吸収することで、エネルギーを得ているんです。これが、非草食動物や雑食動物とまったく異なるところです。
また、反芻はひとえに食べたものの消化性を上げるために行われています」(小林教授)
草食動物のウシが食べる植物の細胞は、動物の細胞と違い、「細胞壁」と呼ばれる強固な構造でおおわれている。細胞壁の成分であるセルロースは、動物には消化することができない。
そこでウシは、この消化を微生物に頼っているわけだ。
「これは、共生関係なんです。ウシから見ると、自分の胃の中に微生物をすまわせる代わりに、仕事をしてもらっている。微生物側からすると、一定体温の胃にすまわせてもらい、待っていればエサが落ちてくる。しかも、ウシが何回も反芻して細かくしてくれるので、微生物が植物を分解しやすくなる」(小林教授)
第一の胃は「ドラム缶サイズ」
肉牛として有名な、日本の黒毛和牛。ホルスタインなどとは品種は違うが、種としては同じウシだ。
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微生物に分解されやすくすることを目的としているのなら、飲み込む前に噛む時間を長くすれば良いだけのようにも思える。なぜわざわざ、一度飲み込んだものを吐き戻して再び細かくする必要があるのだろう。
小林教授は、
「それだとたくさん食べられないんです。少し噛んで飲み込んで、またもどして噛んでと繰り返すことで、消化されやすい部分から先に消化していると思われます」
と話す。
ウシの口の大きさには限界がある。
一方で、成長したウシの第一の胃(ミノ)の大きさは、ドラム缶ほどのサイズにもなる。さながら、微生物の培養タンクだ。
まずは最低限、微生物が分解できるレベルにまで植物を噛み砕き、その巨大な胃に収納。微生物が分解できるものから順に、栄養に変えていく。その間にも、次々に植物を口に放り込んでは、飲み込み、分解を進めていく。
そして、分解されにくい構造が残ったら、いったん吐き戻して、もう少し分解しやすいように細かく噛み砕き、ふたたび飲み込んで消化する。
こうすることで、消化しにくい植物からでも、効率よく大量の栄養を摂取することができるわけだ。
ウシはこうして、1日24時間のうち12時間近くを食事に費やしているという。
なお、第一の胃と第二の胃(ハチノス)の境界はわかりにくく、ほぼ一体化している。また第二の胃が、ポンプのように収縮することで、胃の中にある食べ物を吐き戻している。
ウシはタンパク質を「自給自足」できる
フランス、ラスコー洞窟に描かれた牛の壁画。こういった壁画などの情報をもとに、ウシは約1万年以上前に家畜化されたと考えられている。
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小林教授によると、第三の胃(センマイ)の役割は、せいぜい水を吸収したり、第二の胃までに細かく分解しきれなかった大きな粒子が、誤って下流に流れ込むのを防いだりすることだという。
一方、第四の胃(赤センマイ)では、私たちヒトの胃と同じようにタンパク質分解酵素「ペプシン」が分泌され、タンパク質をアミノ酸に分解することができる。分解されたタンパク質は、小腸などで吸収される。
ただし、ウシは基本的に草食。いったいどこから第四の胃で分解されるタンパク質がやってくるのだろうか。
「エサと一緒に、増殖した微生物が流れてきて分解されます。胃で増殖した微生物が、ウシのタンパク源となるのです。これがまた面白いところですね」(小林教授)
ウシの胃の内部は、一定温度で微生物のエサとなる植物もひっきりなしに供給される。つまり、胃の中では微生物は増殖し放題。ウシは、こうして育てた微生物を、自らのタンパク源として糧とする。
ある意味、究極の自給自足だ。
「我々(ヒト)の腸内菌は腸内で増えますが、最後はウンチになって出ていくだけです。栄養学的にポジティブな役割はないんです。
反芻動物は、第一、第二の胃で微生物が発酵とともに増殖し、最後にはタンパク源として取り込まれる。これが非常に特殊な仕事なんです」(小林教授)
乳牛として有名な「ホルスタイン」。明治時代に、オランダから輸入されたことで日本に広がっていった。1日数十リットルものミルクを搾乳される。
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実は、ウシがただ生きるだけであれば、自分の体内で増殖した微生物を消化するだけで、必要なタンパク質は十分まかなえるという。
しかし、乳牛として飼育されているウシは、1日数十キロものミルクを出さなければならないため、微生物由来のタンパク質だけでは栄養的に不足してしまう。そのため、飼育する際には、エサにタンパク質を添加することも多い。
「ウシは草だけで生きてくれて、しかもミルクまで出してくれる。さらに、肉にもなる。ウシは1万年ぐらい前に野生動物から家畜化されたものですが、これを『家畜として使えるんじゃないか』と見つけて、実際に家畜化していった先人には、彗眼があったと言わざるを得ません」(小林教授)
温暖化の4%はウシのゲップが原因?
地球温暖化の原因と言われると、工場などで排出される二酸化炭素を思い描くことが多い。しかし、温室効果を引き起こす物質はそれだけではない。
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微生物との共生関係によってうまく生き抜いてきたウシ。
実は、この共生関係によって、現代の地球人を悩ませる温暖化が加速されている側面がある。
ウシの胃の中には、「メタン菌」と呼ばれるメタンガスを排出する細菌が生息しており、ウシの胃の中でメタンを生成している。これが「ゲップ」として体外に排出され、温暖化を促進しているというのだ。
実は、メタンガスは、温室効果ガスとして一般的に知られている二酸化炭素の約25倍の温室効果を引き起こすとされている。
「世界全体の温室効果の約4%が、ウシのゲップで出たメタンの影響です」(小林教授)
4%と言われると、少ないと思うかもしれないが、状況は国によって大きく異なる。
日本の場合、産業活動によって生じる二酸化炭素の量が非常に多いため、ウシのゲップによる影響は微々たるものだ。一方、ニュージーランドでは、500万人ほどの人口に対して、ウシが1000万頭近くいる。
加えてヒツジなど、ウシと同じくメタンガスを含むゲップをする動物の数も多い。
その結果、ニュージーランドでは、国として排出する温室効果ガスの半分近くが、ウシやヒツジなどの家畜のゲップによるものだとされている。
2003年、ニュージーランドではこの状況を改善すべく「(家畜の)ゲップ税」の導入を検討。しかし、酪農家たちからの反発にあい、導入は見送られることとなった。
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小林教授はこの問題を解決すべく、出光興産とともに、ゲップによるメタンガスの排出量を減らすエサを共同研究。実際に、カシューナッツの殻を用いた「メタンガスを抑えるエサ」を開発した。
また、世界では、海藻などさまざまなエサを使った同様の取り組みが進んでいるという。
ウシのゲップに含まれるメタンガスは、胃の中にいる「メタン菌」のはたらきによって生じる。このメタン菌は、微生物がセルロースを分解する過程で生じる水素をもとに、メタンを生成している。
ただし、水素は、メタン意外にも、ウシの栄養として消化される「プロピオン酸」の材料にもなる。小林教授の開発したカシューナッツの殻を利用したエサを食べたウシは、胃の中で全体としてプロピオン酸の生成が増え、メタンの排出が減ったという。
ウシの胃の中で起きる化学反応のバランスが変わったのだ。
ウシの体内にいる微生物の種類はすべてわかっているわけではなく、単純にエサを替えるだけで変化することもある。また、ウシの遺伝的に定着の可否が決まる微生物も存在する。
そのため、メタンの排出が少ない(メタン菌の割合が少ない)品種の開発なども目指されているという。
12年に1度の丑年。
せっかくなので、食卓で牛肉を目にしたときには、ウシにもこんな不思議があるということを、思い出してほしい。
(文・三ツ村崇志)