【スノーピーク・山井梨沙1】「人間性の回復」掲げる三代目社長。コロナ禍でも新たなファン獲得

山井梨沙 ミライノツクリテ

アウトドア人気が続いている。コロナ禍で人混みを避けられるレジャーを求めて、2020年に「キャンプデビュー」したという声もよく聞かれる。

ブームの中、高機能でハイセンスなアウトドアメーカーとして、新たなファンを獲得しているのがスノーピークだ。2010年に29.4億円だった売上高は2019年には142.6億円に。

同社のトップに立つのは、山井梨沙(33)。2020年3月に父の山井太から社長職を引き継いだ。

若い、女性、独自のファッション——。就任当時のニュースでは、“東証一部上場企業らしからぬ異端”であることが強調されて報じられたが、実際に対面して話をしてみると、彼女が真摯でストイックな経営者であることがわかる。

アパレル業界出身で、ファッションを通じてキャンプへと誘う新規事業を立ち上げ、顧客層を広げた。さらにここ数年では地方のものづくりを支援する事業にも力を入れ、新たな企業価値を創造している。

自らデザインを担うブランド「YAMAI」の服をまとう姿には、風吹く草原にスッと立つ野生動物のような気品がある。

生後半年でキャンプデビュー

山井の父方の祖父・幸雄

創業者である山井の祖父・幸雄と、彼がこよなく愛した新潟県・谷川岳の写真が、社長室に飾られていた。

生まれは新潟県燕三条。金属加工で有名なその町で、大工道具を扱う金物問屋「山井商店」がスノーピークの前身だ。山井の父方の祖父・幸雄が創業した。

山登りが好きだった祖父は、自分や仲間が楽しむための道具としてクライマー向けのギア(道具)も開発するように。スノーピークのシンボルとなっている山のシルエットは、祖父が愛した谷川岳を写しとったものだ。社名の由来にもなっている「谷川岳の頂き」を目指すことによる「人間性の回復」は、当時から受け継がれる精神だ。

父・太は商社勤務を経て、山井が生まれる1年ほど前に合流。新たにオートキャンプ事業を立ち上げ、家族の絆を深めるための豊かな時間としてキャンプを提唱し、アイテムを開発していった。とりわけ耐熱性に優れた焚火台など、金物加工技術を活かした製品には定評があり、ファンを広げてきた。

スノーピーク 焚火台

スノーピークの焚火台は、「地表にダメージを与えない焚火のための道具」という新ジャンルを切り開いた。

山井はそのキャンプ事業の発展と共に育った子どもだと言ってもいい。初めてのキャンプデビューは生後半年頃。毎週のように家族や仲間と連れ立って自然の中で過ごし、開発中のキャンプギアを試す父の前で、山井は思い思いに遊んだ。

その様子をヒントに、子どもが乗って遊んでも転倒しづらいチェアが誕生するなど、家族の思い出と共にスノーピークの製品は増えていったという。もちろん、当時の山井には自分の家の稼業がそうであるとも知らず、ごく自然の生活として受け入れていた。

物心ついた時から、すぐそばにキャンプがあった。自然があった。自然の中で工夫して過ごそうとする大人たちの姿があった。不便な環境の中で助け合い、火を起こし、寝床をつくろうとする、頼りなくも強い人間の姿を五感で吸収していった。

不登校の日々も「オリジナルを目指していい」

山井梨沙経歴

一方、ファッションへの興味は母譲りだ。洋裁が得意で、娘が着る服も器用に縫い、アートやファッション、舞台芸術の最先端に触れるために東京に出かけていた母・多香子。既製の子ども服のデザインは好まず、幼い山井に黒のベルベッドワンピースを作って着せていた。丁寧な手仕事を愛し、盛岡にある民芸品の名店「光原社」にも子どもたちをよく連れていってくれていたことも、山井の“ものづくり愛”を育てた。

特殊な環境に恵まれ、本物に触れながら育まれた豊かな感性は、“世間の常識”とのハレーションを生むこともしばしばだった。

「私は義務教育をまともに受けていないんです」と山井は言う。

小学2年生の時、同級生の男の子からいたずらをされ傷つき、「やめて」と言ったが、いたずらは止まなかった。勇気を振り絞って担任の教師に訴えると、「あら、そんなことされちゃったの」と軽くあしらわれて終わった。

山井はそのことがショックだった。自然環境の中で子どもも一人前の人間として扱い、危険に対しては本気で叱ってくれる大人たちとは全然違った。以来、その教師への不信感が拭えないまま、不登校になっていった。家の中で自習は続け、バレエ教室やキャンプで友達との交流も保たれた。

「今となっては、先生はコトを荒立てたくなかっただけなのかなとか、事情はわかる気がするけれど、当時は敏感に反応していました」

中学では反抗期も重なって、引き続き授業には行かない日々。ただし、走るのは得意で陸上部に所属し、地区大会で優勝。メインストリートは歩けなくても、自分なりに生きる道を常に探していた。

「ありがたいことに両親からは『オリジナルを目指していい』という教育を受けて来ました。でも、主体性を持って行動しようとすると、周囲と摩擦が起きるんですよね。子どもの頃からずっと、マイナスの出来事をたくさん経験してきました。

けれど、自分で学んで出した答えは間違っていないと信じているから、『なぜ、誤解されてしまうんだろう?』と考え、それを解消できる方法を模索する繰り返し。周りに流されたらラクだとわかっているんですけど、どうしても妥協できない。我ながら、しんどい生き方だなと思います(笑)」

山井が繰り返す言葉の一つに「アウトドアパーソン」がある。単に、アウトドアに親しむ人という意味ではない。その一語に込められた現代社会に潜む課題を、山井は訴えようとしている。

すなわち、行き過ぎた資本主義下での非人間的な生産と消費、そして失われつつある人間性の本質。「失われようとするものを、見てみないふりができなくて」と語った山井が、かき分け進んできた道のりを追っていこう。

(敬称略・第2回に続く)

(文・宮本恵理子、撮影・鈴木愛子)


宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。

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