洋服を通して文化をつくりたい。
その思いがここで果たせるのか、期待と不安を内混ぜにして山井梨沙(33)はスノーピークに入社した。2012年、24歳の時だった。
さっそく任されたのは「アパレル事業の立ち上げ」。当時、細々と存在していたアパレルラインを整理することから始め、イチからオリジナルブランドをつくるプロジェクトに着手した。
自身のキャンプ経験から、山井の頭にあったのは、二つの課題だ。メンズと比べて品数が少なく、あっても極端にガーリーなデザインに偏っていた女性向けのキャンプウェアを充実させたいという課題が一つ。もう一つは、より大きな「コアファンが楽しむ趣味でしかないキャンプの裾野を広げるには?」という課題だった。
つまり、アウトドアに馴染みの薄い都市生活者をいかに呼び込めるかというテーマ。そして、その答えにファッションはなれるのではないか、という仮説は描けていた。
英語喋れないアメリカ出張で掴んだコンセプト
山井が出張することになったオレゴン州ポートランドは近年、その環境意識の高さや、クラフトビール・サードウェーブコーヒーなどで知られるようになった街だ。
Joshua Rainey Photography / Shutterstock.com
時を同じくして、社長(父・太)から突然降ってきたのが「アメリカに行ってきてくれ」という指令。ポートランドを拠点とする人気アウトドアブランド「nau(ナウ)」から、コラボレーションの話が舞い込んだのだ。急遽、山井がスノーピークを代表するデザイナーとしてビザを取り、渡米することになった。
「当時は英語もろくに喋れなかったんです。かなり無謀でしたが、スノーピークとして実現したい世界観を、文章や絵だけに頼らず、自分の言葉で発して伝えたいという気持ちが強くて。
必死にコミュニケーションをとるうちに、1カ月経つ頃には英語で意思疎通ができるようになっていました。10代に洋楽をたくさん聴いていたからネイティブの発音に慣れていたのかもしれないけれど、やっぱり思いの強さが重要なのだと体感しました」
コラボレーションを通じ、山井がスノーピークアパレルで目指すコンセプトも明確になった。
環境負荷の低い素材を使い、自然環境に耐える機能性と、街着としても着こなせるデザイン性の両立。
今となっては他ブランドも追随する、「アーバンアウトドア」という新しいアウトドアウェアの概念を固めた。都市生活者を自然の地へと導くという意味を込めた「HOME⇄TENT」というコンセプトを基に、地場産業から始まったスノーピークならではの国内生産にこだわり、日本古来の「野良着」などからもヒントを得たスノーピークアパレルが、2014年に誕生した。
アパレル好評も社員の協力得られず
特に人気が高いのが、中わたジャケット「フレキシブルインサレーションシリーズ」だ。撥水性、防風性、ストレッチ性に定評がある。2020年FWから生地はリサイクルポリエステルに切り替わった。
撮影:Ko Tsuchiya
海外メディアから注目されたことを機に国内でも話題になり始め、ある程度の手応えを感じた山井だったが、社内では逆風が吹いていた。
「キャンプ用品を売る会社なのに、なんでわざわざアパレルをやるのか?」「自分たちには関係ないから、協力しなくてもいいでしょう?」など、聞こえてくるのは疑問視する声ばかり。「社員の9割は反対派だったと思う。とても心の距離を感じた」と山井は振り返る。
街中で生活している人たちにキャンプを楽しむきっかけをつくるためだと、自分の主張ばかり重ねても理解は得られない。そう気づいた山井は、自ら歩み寄る努力が必要だと判断。当時の社員約120人全員を対象にアンケートを取ることにした。
「あなただったら、スノーピークでどんな服を買いたいですか?」「普段よく着ているアイテムを教えてください」といった設問を投げかけた結果、徐々に“自分ごと”として捉える社員が増えていったという。
現会長の父も評価。ブランド広げた手腕
キャンプイベントで焚火を囲む、現会長の太(中央左)。1986年に入社し、オートキャンプを新規事業として立ち上げ、ブームを牽引した。
提供:スノーピーク
山井が7月に上梓した著書『FIELDWORK ―野生と共生―』の中で、現会長の父・太は「アパレルのコンセプトを明確化してくれたことで、それとリンクする形で都市でアウトドア環境を提供するアーバンアウトドア事業、キャンピングオフィス事業、グランピング事業、地方創生事業といった新しい事業が生まれていった」と、山井の功績を評価している。
スノーピークというブランドを、コアなキャンプギアユーザーだけのものから、幅広い層が愛着を持てるユニバーサルブランドへと進化させた。その立役者は山井に他ならない。
「祖父、父、私と3世代で事業を継承していて、それぞれに力を入れる事業は違いますが、伝えたいことは同じです。自然の中でしか得られない本質的な体験や人とのつながりを通じて、人間性の回復という価値を提供したい。そして、その価値を提供できる相手が増えるほどに、世の中をよくすることができると信じている。事業は手段であって、大事なのはよりよい社会の実現という最終目的です」
33歳という年齢を忘れてしまうほどの落ち着きと、よどみない語り。しかし、山井自身にとって「社長交代」の打診は寝耳に水だったという。
「初めて父に言われたのは2018年の年末でした。『自分は60歳で引退すると決めていたから、来年からやって』と。あまりに唐突だし、当時は組織変更で私が全体の企画開発を見る役職に就いたばかりだったので、『1年は時間をください』とお願いして。それから次期社長としての自覚を持って仕事をするようになった1年間で、より視野を広げ、思考を深め、私自身も成長できたと思います」
(敬称略・第4回に続く)
(文・宮本恵理子、撮影・鈴木愛子)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。