山井梨沙(33)が社長に就任したのは2020年3月のこと。以後、現在に至るまでの日々は「苦労の連続だった」と振り返る。
想像を超えるダメージとなったのは、就任直後のバッシングだった。たまたま自社のリリースよりも先に報じたファッションメディアに掲載された写真が、標的となった。
山井の体にはタトゥーがある。好きな言葉や地元・新潟のモチーフなど、「生涯向き合うもの」という意思を込めて入れたものだ。わざわざそれが写り込んだ写真を掲載したメディアにも悪意はなかったのだが、記事は広く転載され、無名の誹謗中傷が山井に押し寄せた。タトゥーだけでなく、「30代の女性に社長が務まるのか?」といった女性差別の暴言も浴びせられた。
「私みたいな人間が社長に就任して発信することで、東証一部上場企業の価値観も変えていけるかもしれない。自分自身に期待をかけていたし、『結果さえ出せば信頼されるはず』と頭では理解しているんだけれど、会ったこともない無数の人たちから批判されるのはつらいですね。生まれて初めて、1週間くらい眠れなくなりました」
コロナ禍で再定義した企業理念
新型コロナウイルス の感染拡大を受け、2020年4月7日には安倍前首相が緊急事態宣言を発令した。
REUTERS
気持ちを立て直す間もなく襲ってきたコロナショック。リーダーとして、ものづくりの情熱を社員に面と向かって伝える機会は一気に失われた。もともとリアルなコミュニケーションを重視していた山井は調子を狂わされた。
社長としてどう指揮をとるべきか迷う日々の中、救いになったのは、前年に自らじっくりと時間をかけて改訂していたミッションステートメント(企業理念)や、それに準じる行動指針「心の三か条」「行動の六か条」だった。
「30年前に父がつくったミッションステートメントは『自然指向のライフスタイルを提案し実現する』というもの。“ライフスタイル”を企業理念に掲げるなんて、当時は斬新だったと思うのですが、『今はマーケティング用語としてどこでも使う言葉になっちゃったよな。偽物と並ぶ企業にはなりたくないから変えてくれ』と父から言われて。あらためて、スノーピークが提供できる価値は何だろう?と考えました」
高品質な道具や服を届けることで、たくさんの人にキャンプを体験してもらって、仲間や家族とのつながりや語らいのある時間を増やし、人生を豊かにすること。
それは「人生価値」と呼べるのではないか。自然指向のライフスタイルから、自然指向のライフバリューへ。使う言語を変えて、自らを再定義した。共に働く仲間に投げかける「心の三か条」は、まるで詩のようだ。
想うこと。
その仕事の先にある、たくさんの幸せを。
その幸せに続く道を切り拓いてきた、先人たちの努力を。
君はそこから何を受け取り、何を残すのか。
信じること。
自分の仕事の可能性を。
野遊びをする人が増えたら未来はもっと良くなる。
まずは夢を信じよう。
もっともっと大きな夢を。
心から信じられる夢は、いい行動を君にもたらす。
感謝すること。
この星の豊かな自然に。
移ろう季節に。
自然を遊んできた人間の知恵に。
尊くやりがいに満ちた、自然と人をつなぐという仕事に。
「今できる最大限のライフバリューの提供を」と考え、始めた焚き火映像のInstagram配信には、「自粛中に気分を変えられて救われました」といった多くの反響があった。
「嘘偽りのない服をつくりたい」
山井が自らデザインを手がけるブランド、YAMAIでは「服もすべて自然から生まれたものであることを再認識する」ことを大切にしている。
Photo by Ryosuke Kikuchi
2年前から力を入れているのが、“その土地を着る”をテーマにした「ローカルウェアプロジェクト」。スノーピークアパレルでも採用している新潟の栃尾に根付く伝統的染色法「スペック染」や「絣染め」、「しじら織」の染色工場と織物工場を見学し、本社のキャンプフィールドでテント泊する。そんな“服の地産地消”を楽しむツアーも企画している。
社長就任と同時に立ち上げた自身の名を冠したブランド「YAMAI」はさらにストイックだ。南米やインドまで産地を求めた「野生の蚕から採集したシルク」など、天然素材に徹底的にこだわる。効率とは真逆の生産構造だから、挑むのには覚悟が必要なチャレンジだ。これをやると決めた山井には信念がある。
「衣服の原点をたどれば、ファッションとは本来はすべて、自然の恵みからできているもの。作り手も自然と近い存在であるはずなのに、行き過ぎた資本主義社会の中では自然と遠ざかり、最も環境負荷の高い産業になってしまった。
本末転倒だし、なんとかその構造を変えたいと思って、私ができる意思表示としてこのブランドを立ち上げました。スノーピークでものをつくる以上は、関わる人すべてにいい影響を与えないといけない。嘘偽りのない服を、私はつくりたいんです」
文明社会における “ラグジュアリー” ではなく、自然界に対して “ラグジュアリー” な服をつくることを掲げた。
Photo by Ryosuke Kikuchi
年内には住まいの拠点を故郷・新潟に移して、農家が使っていた家屋を直した住居に暮らす予定だ。すべて地元の木材、土壁など地産地消にこだわっている。
「悲しいんですよね、守りたいものがなくなってしまうことが。地域に根付いた文化や技術を絶やしたくないから、放っておけない。やっぱり私も、お節介なアウトドアパーソンなんだなぁって。ついラクではないほうの道を選んでしまうのが、私の性分。じっくり焦らず、続けていきます」
(敬称略・第5回に続く)
(文・宮本恵理子、撮影・鈴木愛子)
宮本恵理子:1978年福岡県生まれ。筑波大学国際総合学類卒業後、日経ホーム出版社(現・日経BP社)に入社し、「日経WOMAN」などを担当。2009年末にフリーランスに。主に「働き方」「生き方」「夫婦・家族関係」のテーマで人物インタビューを中心に執筆。主な著書に『大人はどうして働くの?』『子育て経営学』など。家族のための本づくりプロジェクト「家族製本」主宰。