「まずは自分の足りない部分、学力欠損を補おう。不安になるのはそれからだ」
そう心に決めたシマオは、早速「ニュース時事能力検定」の勉強に取り込んだ。自己投資に時間とお金をかけることで、シマオの中には少しずつ自信が生まれてきていた。 しかし一方で、自己投資にお金をかけすぎることに、一抹の不安もある。
貯蓄と投資のポートフォリオを組む
シマオ:先日のお話で、人生の終盤にはお金が必要だということがよく分かりました。でも、お金ってなかなか貯まりませんよね。僕はひとり暮らしなので、余裕はある方なんですが、外食も多いし、節約するのもあまり好きじゃないんですよね。どうしたらいいんでしょうか?
佐藤さん:シマオ君は今、意識的に貯金していますか?
シマオ:一応、会社の財形貯蓄には入ってます。そうしないと使っちゃうんで……。でも、それは微々たる金額です。
佐藤さん:都心部に暮らしていたら家賃は高いし、生活費もかさみます。20代や30歳そこそこの人の一般的な給料で貯金しようと思っても、ほとんどできないでしょう。
シマオ:そうなんですよ!
佐藤さん:実は、老後にお金は必要と言ったけれど、それは若い時から貯金しろと言った訳ではありません。若いうちは貯蓄よりも投資が重要です。
シマオ:自分のスキルを上げるための勉強にお金を使え、ということは何度もおっしゃってますよね。
佐藤さん:そうです。20代は貯蓄なんかより自己投資のほうが重要です。自分のライフステージにしたがった貯蓄と自己投資の「ポートフォリオ」を組むことが大切になります。
シマオ:ポートフォリオって株式投資とかでよく聞く、投資先の配分ということですね。
佐藤さん:はい。余ったお金をぜんぶ貯金にまわしていたら、自己投資ができませんよね。つまり、貯蓄と投資はトレードオフの関係にある訳です。だから、自分に必要な投資額と貯金額を見極めて、バランスを取るんですよ。
若い時はさまざまな文献を購入するため、貯金はなかったという佐藤さん。
シマオ:僕の同期や後輩にも、英会話スクールに通ったり、オンラインサロンに入ったりしている人がいます。こないだは、働きながら大学院に通いだした人もいました。僕なんか、仕事だけで手一杯なのに……。
佐藤さん:ただ、残念ながら、それらはあまり意味がないですね。むしろお金と時間のムダになってしまうでしょう。
シマオ:えっ⁉ なんでですか?
佐藤さん:一言でいえば、仕事に直結しないからです。大学院でMBAを取るといっても、日本の大学で起業や実学に直結する知識を学べるところはほんの一握りです。英会話だって、今使う訳じゃないのにダラダラ学んでいても効率が悪いだけです。
シマオ:そ、そうなんですか……。
佐藤さん:英語は読み書きの基礎スキルを固めるための投資なら意味があります。会話は、実際に海外赴任が決まったら短期集中でやれば十分なんですよ。
生活費以外の給料は全部ロシア人に渡していた
シマオ:佐藤さんは20代の頃、貯金とかしていたんですか?
佐藤さん:いえ、貯金はまったくありませんでした。
シマオ:給料を全部使っていたんですか?
佐藤さん:ロシア(ソ連)で勤務していましたから、ロシア人の友人たちにほとんどあげていたんです。お金で援助することもあったし、酒や果物などの食料品で渡すこともありました。だから、自分の手元にはほとんど残りません。
シマオ:どうしてですか?
佐藤さん:当時のロシアは社会情勢が厳しかったですからね。食べるものにも困るような貧しい人がたくさんいたんです。
シマオ:仲の良い友人を助けていたんですね。
佐藤さん:いえ。友情とかじゃないですよ。それは「投資」だと割り切っていました。
シマオ:えっ?
佐藤さん:結果的に彼らが後に政府高官などの職についたので、その投資は十分に元が取れたと言えます。
シマオ:佐藤さん、どこまでもはっきりしてますね(笑)。でも、ほとんど貯金がなくて不安になりませんでしたか?
佐藤さん:当時の私は外交官であり、国家公務員でした。ですので、国の税金で給料をもらう以上、24時間、国家のことを考えて自分の給料も国の役に立つことのために使うものだと考えていました。
シマオ:すごい……。自分の利益しか考えてない政治家に聞かせたいですよ。
佐藤さん:それに、国家公務員は身分保障がありますし、給与体系は貯蓄がなくても一生困らないように設計されているんです。例えば、国家公務員の総合職(いわゆるキャリア官僚)は、生涯年収が3億8000万円を超えますし、地方公務員でも2億5000万円を超えると言われています。上の役職まで行けば、それ以上になる訳です。
シマオ:一般的な企業勤務の人が2億円ちょっとと言われていますから、それより多いんですね。
佐藤さん:だからこそ、さほど貯蓄のために頭を悩ませずに、国のための仕事ができる訳です。一般企業に勤める人は、そうしたところから逆算して、足りない分は貯蓄に、それ以上は自己投資に回すという考え方をすればいいのではないでしょうか。
読書は「ズルい古典」から入る
シマオ:なるほど。じゃあ、できる範囲で自己投資にお金を使って、ちゃんと仕事に結びつくことを身につけることが大事だということですね。
佐藤さん:はい。その際に参考になるのが前にお話しした「学力欠損」がどこにあるかということです。
シマオ:そうでしたね。でも、僕が20代の頃、会社の先輩に何を勉強したらいいかを聞いても、「学校の勉強なんて、仕事には必要ない」と言う人が多かったのになあ……。
佐藤さん:学知が仕事に直結することを認識していないのが、多くの日本企業の間違いです。「何を勉強すればいいか?」と聞いた時、「雑談力やコミュ力」なんて答える人の言うことは聞く必要はありません。
シマオ:就職活動をしている時、少し興味があった広告代理店のOB訪問に行ったら、「企画力に英検や資格は必要ない。想像力と人脈だ」なんて言われましたが……。
佐藤さん:そんなことを言う人は、はっきり言って仕事ができない人です。人脈などでできる仕事は尻すぼみになることが明らかですし、企画力にいたっても、単なる思いつきと想像力の違いが理解できないなんて救いようがないですね。
シマオ:いつもに増して辛口ですね……。
佐藤さん:勉学によって備わる地頭の大切さは、どんな仕事にも通じるものです。勉強が嫌だったら読書でもいいですよ。ヘーゲル『精神現象学』やマルクス『資本論』、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』など文学や哲学の古典は、人生のどのタイミングであっても読んでおくことをおすすめします。
シマオ:『資本論』は佐藤さんの影響で、読み始めては挫折して、の繰り返しです。
佐藤さん:若いうちは仕事も忙しいですからね。そこでおすすめなのが「ズルい古典」を読むことです。
シマオ:ズルい古典?
佐藤さん:今、会社を担う50~60代の人たちが好きな古典作品です。例えば、司馬遼太郎『坂の上の雲』や塩野七生『ローマ人の物語』など。『坂の上の雲』は明治の日本をどのように作り上げたかという起業物語として読めますし、『ローマ人の物語』は権力や政治を見るための人生訓にあふれています。何より、これらを読んでおけば、会社の偉い人たちの心を掴むことができるんですよ。
シマオ:たしかにズルいですね(笑)。父親世代の人たちに司馬遼太郎の話をしたら「おっ」と思ってもらえそうですものね。
佐藤さん:単に処世術のためだけではなく、これらは人生の示唆に富む内容です。最近は、長い文章を読むことが苦手な人が多くなっていると感じます。そんな人たちに最初から古典を進めると、すぐに挫折してしまいます。だからこそ、このような「ズルい古典」を使って読むトレーニングをしてみてください。
シマオ:読むトレーニング。
佐藤さん:本を読むということとその本を理解するということはイコールではありません。まず読むことに慣れること。それで初めて読み解く入り口に立てるのです。
シマオ:最近は活字もウェブで読むことが中心なので、確かに長い文章に対する拒絶反応があるかも。読書のトレーニングも意識的にするようにします。
ファンである人が、メンターとは限らない
佐藤さん:また若い時の貯蓄という点で、自分のメンターとなる人を見つけるとよいと思います。
シマオ:メンター。
佐藤さん:歳を取ると、目指すべき人物の選択肢も少なくなるものです。若くて、まだ素直で柔軟な時に、尊敬できる人と対話することで、人生の見通しは比較的明るくなります。
シマオ:会社で「メンター制度」があったのですが、仕事に組み込まれたものなので、あまり心に響かなかった気がします。
佐藤さん:別に必ずしも上司でなくても、外部で見つけてもいいですし、何なら自分の仕事と関係なくてもいいんです。メンターで重要なのは人格的に尊敬できることですから。
シマオ:オンラインサロンとかで見つけてもいいんでしょうか。
佐藤さん:オンラインサロンは、お金を払ってする人生相談みたいなものになってしまいがちです。その人のファンであることとメンターであることは異なります。また、お金を払って頼むのでは「コンサル」になってしまい、全人格的なメンターにはならないでしょう。
シマオ:金銭的に関係ないところで、尊敬できる相手であることが重要ってことですね。ちなみに佐藤さんにとってのメンターというべき人はいましたか?
佐藤さん:そうですね。例えば、カザフスタン大使などをされていた川端一郎さんはロシア語が抜群に堪能で、仕事のやり方の面で大変大きな影響を受けました。また、アメリカ局長などをされた吉野文六さんも尊敬する外交官の一人です。
シマオ:そういう意味では、僕にとって佐藤さんは最高のメンターですね。
佐藤さん:ありがとうございます。シマオ君を通してこの連載で私は皆さんのメンターの役割を少しでも果たせればいいと思っています。
※この記事は2021年1月13日初出です。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。