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ジェフ・ベゾス氏がアマゾンのCEOを退任すると、同社が2月2日(現地時間)に発表した。
アマゾンの創業者兼CEO兼社長のベゾス氏は、インターネット時代最大のサクセス・ストーリーの1つとしても知られている。後任のCEOには、アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)のCEOアンディ・ジャシー(Andy Jassy)氏が就き、ベゾス氏は取締役会長となる。
世界で最も裕福な人間になる前のベゾス氏は、貧しい家庭に生まれ育った。ただ、幼い頃から有望だった。プリンストン大学を卒業し、金融の仕事を辞めた後、ベゾス氏はシアトルの自宅ガレージでアマゾンを立ち上げた。
1月12日に誕生日を迎え57歳となったベゾス氏について、あなたが知らないかもしれない13のことを見ていこう。
母親のジャクリーンさんは10代で彼を生んだ。
1997年、ジェフ・ベゾス氏。
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CNBCによると、1964年に息子を生んだ時、ベゾス氏の母親ジャクリーンさんは17歳になったばかりの高校2年生だった。当時、学校側は卒業まで高校に通い続けることは許可できないとジャクリーンさんに伝えたという。
厳しい条件の下、なんとか高校に戻ることが許されたジャクリーンさんは無事卒業し、その後、ベゾス氏の生物学上の父親テッド・ジョーゲンセンさんと離婚した。2人の結婚生活は1年に満たなかった。この時、ベゾス氏は1歳になったばかりだった。ジャクリーンさんは秘書として働きながらなんとか生活をやりくりしたが、一時期は電話を持つ余裕すらなかったとCNBCは報じた。
自分と息子のために生活を向上させようと、ジャクリーンさんは授業に子連れで出席することを許してくれた教授のいる大学に入り、そこでのちの再婚相手マイク・ベゾスさんと出会った。マイクさんはキューバからの移民で、ベゾス氏の父親となった。
ベゾス氏の生物学上の父親はかつてサーカスの曲芸師だった。
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2013年のベゾス氏の伝記、ブラッド・ストーン著『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』によると、ベゾス氏の生物学上の父親テッド・ジョーゲンセンさんは一輪車乗りでサーカスの曲芸師だった。
著者のストーン氏が取材のためにテッドさんを見つけ出すと、テッドさんはもう何十年も息子には会っておらず、自分がベゾス氏の生物学上の父親だとは知らなかったと話した。ストーン氏によると、テッドさんとベゾス氏は再会し、ベゾス氏はテッドさんに対し「恨みは全く感じていない」と伝えたという。
テッドさんは2015年3月16日、71歳で亡くなった。
ベゾス氏は子どもの頃から物事の仕組みやものづくりに興味があった。
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よちよち歩きの子どもだった頃、ベゾス氏はベビーベッドで眠るには自分は「年を取り過ぎ」ていると感じ、ねじ回しを使ってひとりでベッドをバラバラにしたと言われている。高校に入る頃には、自宅ガレージを自分の発明のための実験室に変えたと、ハーバード大学経営大学院はアンジェラ・ダックワース氏のTED Talks『成功のカギは、やり抜く力』を引用し書いている。
高校生の時に最初のビジネスを始めた。
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高校在学中、ベゾス氏は最初のビジネスを立ち上げた。「Dream Institute」という子ども向けの教育系サマーキャンプだ。Insiderによると、キャンプの参加料としてベゾス氏は1人あたり600ドルを請求していたという。
キャンプを始める前には、マクドナルドで働いていたこともある。
1990年代初め、ベゾス氏はウォール街で働いていた。
Insiderでも報じたように、コンピューターサイエンスと電気工学を学んでプリンストン大学を卒業した後、ベゾス氏はニューヨーク市のウォール街にある「Fitel」や投資会社「D.E. Shaw」といった複数の金融会社で働いた。
少しずつ出世し、1990年にはD.E. Shawの最年少のバイスプレジデントになったが、4年後にはオンライン書店を立ち上げるために会社を辞めた。
アマゾンは自宅ガレージで立ち上げた。
ベゾス氏はこの家でアマゾンを立ち上げた。
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アマゾンのウェブサイトのプロトタイプを立ち上げ、友人300人にベータテストをしてもらった後、ベゾス氏と数人の従業員たちはベゾス氏の自宅ガレージでサイト用のソフトウエアの開発を始めた。Insiderによると、ガレージはとても狭かったため、ベゾス氏は地元にある書店チェーンのバーンズ・アンド・ノーブルで会議を開かなければならなかった。この小さなチームが大きくなっていった。
ベゾス氏の元妻マッケンジーさんもアマゾンの立ち上げに大きな役割を果たした。結婚生活25年、2019年に離婚した後、マッケンジーさんは2人が共同所有するアマゾン株の4分の1を受け取った。その価値は約380億ドルだった。
会社を「アマゾン」ではなく「カダブラ」と名付けるところだった。
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ベゾス氏はもともと、自分の会社にもっと魔法のような名前を付けたかったが、Insiderによると、それはアマゾンの最初の弁護士トッド・タルバート氏の反対にあった。
タルバート氏は、ベゾス氏が付けようとした「カダブラ(Cadabra)」という名前は(特に電話で)「死体(cadaver)」に音が似すぎていると説明した。結局、ベゾス氏は世界最大の川から取った「アマゾン」に決めた。世界最大の書店を作ろうとしていたからだ。
2003年、乗っていたヘリコプターが事故に。
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弁護士、ガイド、パイロットとともにベゾス氏が乗ったヘリコプターは風にあおられ、針路から逸れた後、テキサス州西部で墜落した。
Insiderによると、ヘリは上下逆さまでクリークに落ち、一部は浸水した。この事故でベゾス氏とガイド、パイロットは軽傷、ベゾス氏の弁護士エリザベス・コレル(Elizabeth Korrell)氏は椎骨を骨折した。
「可能な限り、ヘリコプターは避けることだ」とベゾス氏は2004年、Fast Companyに語った。
「ヘリコプターは固定翼機ほど当てにならない」
ワシントン・ポストを所有している。
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ベゾス氏は2013年、2億5000万ドルでワシントン・ポストを買収した。当時、ベゾス氏の純資産は250億ドル超と見られていた。買収を受け、ワシントン・ポストの株価は時間外取引で5.5%値上がりした。
CNNによると、苦戦続きだったワシントン・ポストはベゾス氏による買収後、2016年、2017年、2018年と利益を出したという。
宇宙開発ベンチャー「ブルー・オリジン(Blue Origin)」も手掛けている。
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宇宙開発ベンチャーのブルー・オリジンは2000年に創業され、ワシントン州ケントに本社を置いている。
同社のミッション・ステートメントには「わたしたちの孫の孫のために地球というわたしたちの家を守るため、わたしたちは宇宙へ行き、その無限の資源とエネルギーを活用しなければならないとブルー・オリジンは考えています」とある。
映画『スター・トレック BEYOND』(2016年)にカメオ出演した。
『スター・トレック BEYOND』のプレミア試写会に出席したベゾス氏。
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ベゾス氏はこの映画でエイリアンを演じ、撮影現場に強い印象を与えたと言われている。俳優のクリス・パインは、ベゾス氏が3台のリムジン、9人のボディーガードを引き連れて撮影現場に現れたと話している。
「何年も前からバイアコムが所有するパラマウントに『スター・トレック』の映画に出してくれとお願いしていたんだ。ぼくはものすごくしつこかったから、『ベゾスをスター・トレックに出してやってくれ』と言われたかわいそうな監督が想像できるね」とベゾス氏は2016年、シアトルの航空博物館のPathfinder Awardsで語った。
「あれはぼくにとって、ものすごく楽しかった。死ぬまでにやりたいことの1つだったんだ」
1999年、35歳の時に自力でビリオネア(億万長者)になった。
トーク番組『ザ・トゥナイト・ショー』に出演したベゾス氏(1999年)。
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CNBCによると、ベゾス氏が初めてフォーブスの長者番付に登場した年、アマゾンの本社は質屋やアダルト映画の店と同じ通りにあったという。
2000年代に入ると、ベゾス氏の純資産は劇的に増えていった。
2020年8月、ベゾス氏は史上初の資産2000億ドル超えの富豪となった。
メットガラに出席したベゾス氏(2019年)。
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ベゾス氏がCEOを退任するとアマゾンが発表した2021年2月2日の時点で、ベゾス氏の純資産は1962億ドルだった。
[原文:13 things you probably didn't know about Jeff Bezos]
(翻訳、編集:山口佳美)