ビースポーク社長の綱川明美(34)と私が初めて会ったのは、あるネット番組でのこと。テーマは「日本企業のダイバーシティ経営」だった。出演者は日本企業の女性経営者と外資系企業のダイバーシティ担当者と私、そして綱川だった。
なぜ日本の組織で女性登用が進まないのか、同質性の高い組織だと新しい発想が生まれにくいのはなぜか、女性自身の内面の問題とは……綱川以外の出演者は自らの経験や内面も含めて、想いを熱く語っていた。
だが綱川はなんというか、正直“浮いていた”。まるで異世界の議論を見るかのように、ニコニコしながら眺め、途中で遠慮気味に挟むコメントは、3人の議論と交わることのない“異次元”感が漂っていた。
無理もない。ビースポークが「日本企業の〜」という文脈からあまりにかけ離れた組織で、多様性云々を議論するまでもなくダイバーシティ経営を実践しているのだから。
国籍も日本語能力も問わず
2019年のチーム写真。ビースポーク社内で「多様性ある組織を」と謳う必要性はみじんもない。
提供:綱川明美
約40人の社員の中で日本語を「ちゃんと」話せる社員は綱川も含め4人。国籍は多岐にわたり、
「15から17ぐらい。一番珍しいのはアゼルバイジャンかな。起業当初は日本語の読み書きができる社員が私しかいなくて、コピー機が壊れた時に説明書を読むのも私だった」(綱川)
という。
いまだにオフィスはなく、拠点は渋谷のシェアオフィス。社員は日本だけでなくカナダやアメリカ、オランダに散っていて、ほぼ自宅で仕事をしている。綱川も1年のうち半分は海外で暮らす。
創業して2、3年目、まだ今のように多くのクライアントもいなかった頃に、今のビースポークの屋台骨を支えるスタッフが次々と入社を決めている。その1人はアマゾンでAWSを担当していたクリスティン・ゲルファイド。オランダ在住だった彼女は夫と一緒に来日して入社を決めた。COOのグレッグ・ホーレンも、AWSから移籍してきた。
「クリスティンには『一緒に世界征服しようよ』と言ったら、たまたま日本に興味があったらしく入社を決めてくれた。日本のテックカンパニーって日本語ができないと、なかなか幹部として採用してくれない。それは日本にいる外国人に対しても同様。だからうちのような小さい会社でも、ちゃんと処遇すると意外と優秀な外国人が採用できるんです」
綱川には日本人だ、外国人だという垣根がない。それ以上に“野望”もあった。出資しているアーキタイプベンチャーズ代表の福井俊平はこう話す。
「彼女はday1からグローバルを射程にしていました。そして数年で海外の会社に売却したいとも。それもグーグルやフェイスブックのような企業に。見ている風景が違うんです。実際ビースポークにはAIチャットボットによって、旅行者が何に困っていて何を欲しているのか、リアルなデータが膨大にある。それはグーグルですら持っていないデータなんです」
空港や商業施設、ホテルなどはこのチャットデータを元にサービスを考え、施設も改修できる。時には観光客にレコメンデーションを送り、送客につなげることもできる。観光客への多言語サービスが求められるのも、有事の時の緊急情報が必要なのも日本だけではない。世界を見据えているから、海外のカンファレンスで声がかかれば、極力登壇する。
無意識のバイアスがないフェアな組織
アルバイト時代から綱川と苦楽を共にしてきた谷川。「やよいちゃん」と綱川は親しげにその名を呼ぶ。
提供:綱川明美
現在、フランクフルトに本社があるスターアライアンスを担当するのは、社員第1号の谷川彌生。アメリカの大学を卒後後、日本に帰国していた時にコミュニティサイトで声をかけられた。当初は就職までの一時期、インターンのつもりだった。一度辞めたが、綱川に呼び戻された。
「ここではエンジニアも自分が興味があるものをつくれるから、楽しそうに働いています。綱川さんのすごいところ? 問題が起きても解決に集中し、新しいアイデアで新しい機会を見つけようとするところ」(谷川)
女性だから、若いから、外国人だから、日本語が話せないから。日本の企業はこうした無意識のバイアスによって優秀な人材にアプローチできる可能性を自ら閉ざしている。綱川の元に世界中から人が集まってくるのは、「一緒に働いて楽しいか」「この人は何ができるのか」だけで人を見ているからではないか。そこには合理性に裏打ちされたフェアネスという感覚がある。
目指すは困ったときの社会インフラ
綱川は28歳の時に、ある投資家にプレゼンした後に年齢を聞かれたという。そしてこう言われた。
「うち、30前後の女性はやらないんで」
30歳前後と言えば、日本では働く女性が結婚や出産といったライフイベントとキャリアの両立に立ちすくむ頃。特に起業したらなおさらだろう。
—— それでなんて答えたんですか?
「あ、そうですかって」
—— え? 綱川さんは、ライフイベントのこと考えないんですか?
「考えないですね。今のことに集中してるから。終わったら考えます。でも、いつ終わるのかな。よく(ライフイベントについて)聞かれるんですよ。でも本当に考えたことなくて」
最初はこんなサービスがあればいいなと思った自分の課題解決からスタートしたのに、気がつけば社会の課題解決になっていた。ホテルなどでは結果として人手不足対策になり、災害時や有事にはインフラとしても活用されようとしている。「こんなこともできるのでは?」と追加してきたことで、サービスは今や「壮大なアート作品のよう」(綱川)という。
コロナは人の移動を止めただけではない。大規模なイベントや会議、展示会はことごとく中止になった。多くのメーカーにとって新商品のお披露目となる展示会の中止は新規顧客を獲得する営業機会を失うことでもある。そうなると1、2年後に倒産、という企業も出てくるかもしれない。綱川たちはこの1年で、メーカーがウェブ上で新規受注につながるような接客の自動化サービスも作り上げた。
「私、ビースポークのサービスが社会インフラになったらいいなと思ってるんです。災害やテロ、コロナのようないろんな緊急事態に、困ったり、危険な目に遭ったりしたとき、ここに行ったら絶対大丈夫という存在として世界中に広まっていったらいいなと」
そんな大きな野心でさえ、綱川はクスクス笑うように話すのだった。
(敬称略・完)
(文・浜田敬子、写真・伊藤圭)
浜田敬子:1989年に朝日新聞社に入社。前橋支局、仙台支局、週刊朝日編集部を経て、1999年からAERA編集部。女性の生き方や働く職場の問題、国際ニュースなどを中心に取材。AERA副編集長、編集長代理を経て、2014年に編集長に就任。2017年3月末に朝日新聞社退社。同年4月よりBusiness Insider Japan統括編集長に就任。2020年12月末に退任。「羽鳥慎一モーニングショー」や「サンデーモーニング」などのコメンテーターも務める。著書に『働く女子と罪悪感』(集英社)。