撮影:今村拓馬、イラスト:iaodesign/Shutterstock
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
アメリカでは1月20日に大統領就任式が行われ、バイデン新政権がいよいよスタートします。今回の大統領選はアメリカという国家で「分断」が進んでいることを改めて浮き彫りにしましたが、この難局をバイデン政権はどのように舵取りしていくのでしょうか?
【音声版の試聴はこちら】(再生時間:8分01秒)※クリックすると音声が流れます
バイデン政権は「第3次オバマ政権」?
こんにちは、入山章栄です。
この原稿を書いている今は、トランプ支持者によるアメリカ連邦議会襲撃事件の直後。トランプ氏が反乱を扇動した罪で弾劾されたばかりです。
まれに見る大波乱のスタートとなったバイデン政権ですが、これからアメリカという国を舵取りしていくにあたり、どのようなことが起こりそうなのか。経営学的な視点から考えてみたいと思います。
BIJ編集部・常盤
1月20日にバイデン新大統領の就任式が行われ、バイデン政権がスタートしました。女性で非白人であるカマラ・ハリスさんが副大統領に就任したことが大きな話題になりましたが、入山先生はこの新政権の顔ぶれをどうご覧になりますか?
バイデン政権で注目されるキーワードのひとつは「多様性」ですよね。
カマラ・ハリスさんだけでなく、元FRBの議長で著名経済学者のジャネット・イエレンさんを財務長官に起用したり、国内政策会議委員長にスーザン・ライスさんを起用したりと、要職への女性の抜擢が多い。そしてなんと言っても、USTR(米通商代表部)の代表に、台湾系の45歳の女性であるキャサリン・タイさんを選んだことには驚きました。
USTR代表に指名されたキャサリン・タイ氏。通商代表をアジア系女性が務めるのはこれが初だ。
REUTERS/Mike Segar
でも正直なところを言うと、他方で僕が真っ先に思ったのは「まるで“第3次オバマ政権”だな」ということです。僕は経営学者であって政治のプロではないので、偉そうに語るつもりはありません。でも、それくらいオバマ政権時代のメンバーが、今回のバイデン政権には多い。
そもそもバイデンさん自身がオバマ政権時の副大統領ですし、それ以外にもオバマ時代に政策チームのメンバーだった人物がそのまま長官になっています。象徴的なのが、気候変動問題担当の大統領特使であるジョン・ケリー。彼は2004年に民主党候補としてジョージ・W・ブッシュと大統領選を争った人で、オバマ政権時代の国務長官です。
オバマ時代の政策はトランプ政権にことごとく否定されてしまったので、バイデン政権はまずそれを元に戻さなければいけない。そのためにオバマ時代に活躍した実力派を再投入したのでしょう。
しかし経験豊富な実力派だからこそ、年齢が上の方も多いし、何よりオバマ時代を超える成果はおそらく挙げられない。そこが心配だとメディアでは言われているわけです。
ただしこうした懸念はあるものの、僕はバイデン政権はオバマ政権より期待できる部分ももちろんあると思っています。
それが冒頭でも触れたスーザン・ライスさんや、ジャネット・イエレンさん、キャサリン・タイさんらに象徴される「多様性」。今までアメリカは北欧やヨーロッパの諸国政府に比べて女性の要職への登用が少なかったけれど、アメリカもこうなってくると、いよいよ日本は差をつけられたなという感じがあります。
「協調」には高いコストがかかる
トランプ前大統領は2017年6月にパリ協定脱退を発表。世界第2位の温室効果ガス排出国であるアメリカのこの決定には世界から批判の声が上がった(写真はベルリンの米国大使館前で抗議デモを行うドイツ緑の党党員ら)。
REUTERS/Mike Segar
そしてここからが本題ですが、これまでのトランプ時代と新しく始まるバイデン時代の最大の違いをキーワードで表すと、それは「協調」「調整」だと思います。
トランプ政権というのは、良くも悪くも「バイラテラル」、つまり2国間で物事を決めるやり方でした。複数国の全体で調整するのは面倒くさいから、何でも当事者同士の一対一にして決めてしまう。このやり方だと話が早い代わりに、全体的な国際協調は一切なくなる。例えばアメリカとドイツの関係が冷え込んだのは、こうした理由からです。
一方のバイデン政権は、明らかに国際協調を重視しています。でも中国に対してはトランプ政権と同様、かなり強気で臨みたい。新しくUSTRの代表となったキャサリン・タイさんは台湾出身の両親を持ち、おそらく通商に関しては中国に強気で臨むでしょう。しかしそれでもバイラテラルではなく、国際協調の枠組みの中で交渉を進めていくはずです。
バイデン政権下ではアメリカがTPP(環太平洋経済連携協定)やパリ協定(地球温暖化対策の国際的な枠組み)に復帰するでしょうし、世界中の国と一緒になって中国にプレッシャーをかけていこうというやり方です。
複数者間のアライアンスは圧倒的に失敗しやすい
しかし他国と協力しながら物事を進めていくというのは、言うのは簡単だけれども、実際にはものすごく大変なことです。どれくらい大変なのか、「国」を「企業」に置き換えて考えてみましょう。
企業の提携(アライアンス)というのは、A社とB社の2社で行う場合もありますが、A社とB社とC社とD社とE社と……というように5~6社で同時に行う場合もあり、このような提携をわれわれの専門用語で「マルチパートナーアライアンス」と言います。
このマルチパートナーアライアンスには、2つ問題があります。
まず1つはコーディネーションコストと言って、利害関係を含む複数のプレーヤー全体を調整するコストがかかること。もう1つは、取引費用というものが発生することです(簡単に言えばこれも調整や契約にかかるコストですが、非常に重要な理論なので、詳しくは拙著『世界標準の経営理論』の第7章を参照してください)。
要するに、マルチパートナーアライアンスを組むにあたっては、さまざまな人たちの利害を調整して、「将来こういうことが起きたらこうしましょう」と取り決めをしておく必要があるのです。
一対一のときならまだしも、何人もプレーヤーがいるとそれぞれの利害が一致するとは限らないため、調整がものすごく大変になります。したがって多くの経営学の研究では、マルチパートナーアライアンスは一対一のアライアンスよりも圧倒的に失敗しやすいと言われています。
しかもバイデン政権は、国外だけでなく、国内でも「調整」を必要としています。大統領選ではバイデンさんが勝ったとはいえ、得票数で見ればトランプ支持の国民も半数近くはいるわけで、共和党ともちゃんと調整をしなければいけない。
2020年の大統領選で民主党の候補氏名を目指してバイデン氏と戦ったバーニー・サンダース氏。選挙戦では教育費、医療保険、気候変動対策という3つの課題を掲げ、若者から圧倒的な支持を集めた。
REUTERS/Lucas Jackson
一方の民主党も、一枚岩ではありません。バイデンさんは比較的中道だけれど、急進的なリベラル派のバーニー・サンダースは民主党内でいまだに強い力を持っている。つまりバイデンさんは、あちこちに気を遣わなければいけないわけです。
多様性あるチームの良さを最大限引き出すには
BIJ編集部・常盤
今回の大統領選での混乱は、アメリカという国家で『分断』が進んでいることを象徴していると思います。このような状況で、バイデンさんは国内外を調整しつつ国を立て直さなければならないわけですから、今まで以上に難しいかじ取りを迫られることは間違いありませんね。
しかし僕の見るところ、おそらくバイデン大統領は裏舞台の調整が得意な人です。大統領という国を代表する“顔”にはなったけれど、そもそも表にしゃしゃり出るタイプではない。
議員時代も、いわゆる「バイデン法」と言われるような、バイデンさんが前面に出て通した法案はないと言われています。だからオバマ時代も、副大統領でありながら影が薄かった。
ということは、大統領になっても自身は「調整」に注力するかもしれません。そうなると、閣僚たちが極端に軽視されていたトランプ政権とは正反対に、性別も人種も多様な閣僚たちがそれぞれ前に出て活躍し、多様性のあるチームの良さを最大限に発揮できるかもしれない。
そこを前面に打ち出すことができると、今までにない新しいアメリカの政権が誕生するかもしれません。その可能性に僕は期待しています。
ただし、現実は甘くない。もちろん対中国の問題も大きいし、ロシアの弱体化にともなってベラルーシやアゼルバイジャンなど旧ソ連諸国も不穏な動きを見せています。アメリカにとってはそれだけ地政学的なリスクが高まっているということです。
加えて、世界的に見ても環境問題は待ったなし。トランプ政権時代に離脱してしまったパリ協定にバイデン政権は本当に復帰できるのか、本当に2050年までにカーボンニュートラル(CO2排出実質ゼロ)を達成できるのかといった問題も含めて、国際的な課題はオバマ時代よりも圧倒的に多いのではないでしょうか。
調整力が期待できそうだとはいえ、本当の調整力が試されるのはこれから。バイデンさんにはぜひ頑張ってほしいと思います。
【音声フルバージョンの試聴はこちら】(再生時間:17分54秒)※クリックすると音声が流れます
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
※お題への回答はこちらからどうぞ!
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。