サンリオピューロランドでも活用される「Illustrator iPad版」。
©1976, 2021 SANRIO CO., LTD.
2020年は、働き方が大きく変わった1年だった。きっかけは新型コロナウイルスだったかもしれないが、その激変を支えたのネットワーク、クラウド、デバイス、ソフトウェアなどのテクノロジーの進化だ。
「イラレ」の愛称で知られる、クリエイターに欠かせないデザインツール「Adobe Illustrator」(イラストレーター)のiPad版がコロナ下の10月にリリースされたことも、そうした進化のひとつと言える。
iPad版はデスクトップ版に比べて機能は限定されるものの、クラウドドキュメント通じて、デスクトップ版とシームレスに作業ができることをウリのひとつにしている。
アドビのCreative Cloud担当エグゼクティブバイスプレジデント兼CPO(最高製品責任者)を務めるScott Belsky(スコット・ベルスキー)氏(写真は2019年12月撮影)。
撮影:小林優多郎
アドビCPO(最高製品責任者)のスコット・ベルスキー氏はiPad版の開発にあたって、かつてないほど多くのイラストレーターのアクティブユーザーの協力を得たことを明かしている。
サンリオの人気キャラクターに会えるテーマパーク「サンリオピューロランド」を運営する、サンリオエンターテイメントの酒井宏高氏もそのひとりだ。
サンリオエンターテイメントは、正式発表よりも一足早くiPad版を使用してきたが、その背景にはテーマパークの「現場」でイラストレーターを活用したいという切実なニーズがあったからだという。
サンリオピューロランドのクリエイティブワークの変化を聞いた。
現場で撮影→コラージュすることで、共有できる情報量が爆増
サンリオピューロランドのハロウィーン装飾(2020年9月11日〜10月31日開催分)。
©1976, 1990, 2021 SANRIO CO., LTD.
サンリオピューロランドでは、ハロウィンやクリスマスなどの季節イベントごとに、テーマに合ったキービジュアルを作っている。ランド内の装飾からサイネージ、グッズ、WEBサイトといった演出に欠かせない要素は、そのイメージに基づいて細部まで作り込まれる。
キービジュアルを通じてイメージを共有することは、アートディレクションを担当する酒井氏らのチームにとって、最も重要な役割のひとつだ。
イラストレーターは、このキービジュアルの制作をはじめ、多くのクリエイティブワークに活用されている。
サンリオエンターテイメントの酒井宏高氏。
出典:株式会社サンリオエンターテイメント
酒井氏自身「イラストレーター頼りといっても過言ではない」と話すほど、すべてのデザインワークになくてはならないツールとなっている。キービジュアルが作られると、それが各チームにイラストレーターのAIファイルのまま共有され、制作が進むからだ。
加えて今、打ち合わせに欠かせないものとなっているのが、iPadだ。イラストレーターがiPadでも利用できるようになったことで、テーマパークの最前線である現場にも、手軽にキービジュアルを持ち込めるようになった。
Apple Pencilを使ってその場で直接メモを書き込んだり、コラージュができるようになって、打ち合わせの精度が高まったという。
「ランド内の装飾物の制作やアトラクションの改修といった作業には、我々デザインチームだけでなく、多くの業者さんやパートナー企業が関わります。
そこで大切になってくるのが、目指すイメージを確実に共有すること。iPadでイラストレーターを使い、実際のキャラクターをコラージュしたものを見せながら話すのと、以前やっていたように棒人形を使った手書きラフを指し示しながら話すのとでは、共有できる情報量も認識も全然違ってくる」(酒井氏)
Illustrator iPad版での作業風景。
©1976, 2021 SANRIO CO., LTD.
キャラクターにはさまざまな「約束事」があるため、ちょっとした色味や形の比率が違うだけでも、取り返しつかないことになる。そのため、「イメージを正しく伝えること」が特に重要だという。
「たとえば、左右対称のキャラクターというのは実はいなくて。みんな左右非対称ですし、場合によっては利き手が左だっていうようなことが決まってたり、何を持っている何をしているっていうことが決まっているものもある。
それが立体物になったり、布地になったりする過程でずれてしまわないように、最終のアートワークに近い形でディレクションしていくことが必要なんです。
このキャラクターはこうだから、ここだけは形が変わってはいけないといった注釈を、iPadでその場でイラストレーターに書き込みながら、具体的なイメージをより早い段階から共有できるようになりました」(酒井氏)
iPadで描いたラフと現場の写真を組み合わせたイメージ。
©1976, 1990, 2001, 2021 SANRIO CO., LTD.
確実なイメージを共有情報に加えて、装飾物やサイネージをシミュレーションしやすくになったことも、「イラストレーターを現場に持ち込めるようになった効果のひとつ」と酒井氏。
「以前は現場で撮った写真を一旦オフィスに持ち帰って、参考にしながらデザインしていました。
360度カメラなどもあるので、だいぶやりやすくはなってきていますが、やっぱり写真は写真。実際とは縮尺が違ってたり、色味が違っていた……といったことが起こりがちでした。
擬木や擬岩といった環境装飾については、正確な図面になっていないところもありますし、測るといっても難しい場所もあるからです。
いざ現場に行ってみたら、意外と天井が低いとか、柱が出っ張ってるといったことは往々にしてあることで、これまではやり直しが2回、3回と発生することも少なくありませんでした」(酒井氏)
以前は装飾物のイメージを実物に近い大きさで紙に印刷して持ち込み、それを現場に当ててシミュレーションするといったこともやっていた。
シーズンごとにデザインを変更する場所の数だけ、同様の作業が発生することを考えれば、必要になる手数の多さは想像に難くない。
「社内に大判のロール紙のプリンターがあるので、それで何パターンか刷って持って行くということをやってました。iPadで写真撮ってその場でイラストレーターのデータを重ねてコラージュできるようになったことで、その代用ができるようになった。今は現場にはiPadと場合によっては色見本ぐらいは持ってきますけど、前のように大荷物を抱えていくことはなくなりました」(酒井氏)
アトラクションのリニューアルにもiPad版が活躍
2020年10月24日にリニューアルオープンした「サンリオキャラクターボートライド」。
©1976, 1990, 1993, 2001, 2021 SANRIO CO., LTD.
酒井氏はコロナ下の2020年10月、サンリオピューロランドの外周の水路を使ったアトラクション、「サンリオキャラクターボートライド」の改修プロジェクトを担当。
その現場でもiPadを活用し、「どこをどのように変えるか、現場で写真を撮ってイラストレーターでコラージュを描きながら、イメージをつくったりシミュレーションができたことで、かなりスムーズに進められた」と話す。
酒井氏は2007年にも前身となるアトラクションを手がけているが、そのときは同様の作業をするために、現場にデスクトップPCを持ち込んだこともあったという。
例えば、垂直リフトを用意しなければいけないような吊り上げ式の展示物など、機材を用意する前にイメージを共有できるため「iPad上のシミュレーションである程度代用できるようになったことは、時間の面でもコストの面でも大きな変化」と酒井氏は評価している。
iPad版とデスクトップ版は使い分けられている。
©1976, 1990, 2021 SANRIO CO., LTD.
一方で、iPad版ではできないこと、パワー不足のこともある。
たとえば、冒頭に紹介した、季節イベントごとに制作されるキービジュアルは、背景やキャラクターなど細かなパスで描かれているが、iPad版ではうまく表示できなかったり、編集ができないケースもあるという。
「普通は1色のグラデーションでやるようなところも、弊社ではパスで細かくグラデーションを指定するみたいなことをやっているからということもあるんですが、iPadだと処理が追いついていないことはありますね。ただ、そういう細かなことはデスクトップでやればいいし、要は使い分けだと思います」(酒井氏)
Sweets Puroのメインビジュアル。
©1975, 1976, 1985, 1996, 2001, 2005, 2010, 2021 SANRIO CO., LTD.
直近では、1月8日から3月9日は“いちご狩り”をテーマにした期間限定イベント「Sweets Puro」が開催中だが、コロナ禍の今、余計な接触を減らす意味でも、打ち合わせの効率化が求められている。
酒井氏のチームでも現場のスタッフとオフィスのスタッフがオンラインで打ち合わするといった機会が増えたが、「現場でも同じイメージを共有しながら話し合えるようになったことで、意思の疎通がしやすくなった」(酒井氏)
デザイン打ち合わせの数も目に見えて減っており、「従来の半分から3分の1くらい」まで削減できているという。
クリエイティブの現場も、新しい道具が働き方を変えている。
(文・太田百合子)
太田百合子:フリーライター。パソコン、タブレット、スマートフォンからウェアラブルデバイスやスマートホームを実現するIoT機器まで、身近なデジタルガジェット、およびそれらを使って利用できるサービスを中心に取材・執筆活動を続けている。