撮影:今村拓馬
「一生懸命働いています。でも、年収は上がりません。貯金も貯まりません。生活費はかさむので、ギリギリやりくりしています。このままでいいのでしょうか? これからどうやって生きていったらいいのか、不安でしかたありません」
私はキャリア論の研究者という職業柄、ビジネスパーソンたちからこんな悩みを打ち明けられることがよくあります。
働くこと、稼ぐこと、そして、生きていくこと。
このバランスを上手に保ちながら、私たちは生活をしていかなければなりません。かつての先輩たちが過ごした時間よりもはるかに長い人生を、私たちはなんとか生き抜いていくのです。
でも、どうやって?
これからの働き方、稼ぎ方、生き方。この一番大切なことを、誰も教えてくれません。
社会人として独り立ちして働くようになってからは、親に心配をかけるわけにはいきません。友達や同僚に相談することも気が引けるでしょう。
誰にも相談できなくて、打ち明けにくい不安や悩みを一人で抱え込む。そこから抜け出せずに、悪循環に陥る。メンタルに不調を来す人も少なくありません。実際、私のところに来るキャリア相談の件数は増えていますし、悩みもより深刻なものになってきています。
ふとした時に、不安を感じたり、孤独を感じたり、虚しさを感じたり。これからの人生を生き抜いていく希望が見えず、落ち込んでしまう。思うように眠れないし、何をやっても楽しくない。……これではどうしてもネガティブな思考に陥ってしまいます。
落ち込む自分を責めてはいけない
コロナ禍で働き方には大きな変化が。変化に直面すると不安を感じるのはごく自然な反応だ。
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まず前提として、メンタル的に落ち込んでしまう状態は、誰にでも起こりうる、みんなが当事者であるということを理解しておいてください。
だから、もし今、あなたがそのような状態にあるなら、「自分はダメだな」とか「メンタルが弱いな」と、自分自身を責めては絶対にいけません。そして、「自分には関係ない」と思うのも間違いです。人生100年時代を生きていくには、メンタル的にもさまざまな状態を誰もが経験しうるのですから。
悩みや不安が増幅する理由の一つは、私たちをとりまく環境が劇的に変化しているから。これまでの「当たり前」が通用しなくなる歴史的な過渡期を過ごしているからです。
特に、コロナ禍でオンライン化やテレワークが一気に進みました。対面が前提とされていたすべての集まりが、抑制されることになりました。私たちはみんな孤立化したのです。
この孤立化の中で、私たちはこれからの働き方や生き方について考える時間が増えています。新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの働き方や生き方を根底から見直す機会となったのです。
変化に翻弄され、これまでの生き方に固執するか、変化を受け入れ、これからの生き方を構想していくか——私たちの目の前には、今、2つの選択肢があります。
これまでの日常が安定していてルーティン化していた人にとって、変化とは痛みを伴うものに違いありません。
けれどこの連載「プロティアン思考術」を読んでくださっている方々はおそらく、そうした変化を受け入れ、前向きな気持ちでこれからの生き方の方向性のヒントを掴みたいと考えているのではないでしょうか。
もっと主体的に生きていい
多くの人は、いずれかの組織に所属しています。どんな組織であれ、そこにはルールが存在します。ルールを大きく逸脱するようなことがあれば、注意を受けたり、時には処分を受けることもあります。そうしたことを経験するうち、いつしか私たちは組織のルール内で行動することを身体化させます。
もちろん、それ自体は悪いことではありません。しかし、組織のルールを遵守する中で、確実に失われていくこともあります。それが、私たちの「主体性」です。
撮影:今村拓馬
今、企業ではこの主体性が問題になっています。
私は職業柄、人事担当者をはじめ企業の方とお話しする機会も多くありますが、彼ら彼女らからは「主体性を持って働く社員がいない」「社員に主体性がない」という言葉を頻繁に耳にします。企業のルールや企業内での働き方を遵守する中で、主体性が削がれているのです。
自由に生きることと、主体的に生きることの違いはどこにあるか分かりますか? 答えは「自らの行動が所属する組織に対して責任を伴うか否か」です。
自由に生きるとは、思うがままに、たとえ時に組織のルールから外れたとしても、やりたいことをまっとうすること。それに対して、主体的に生きるとは、自らの意思で行動する際に、組織のルールも考慮した上で最大限のびやかに行動していくことです。
つまり、「もっと自由に生きる」というのが現実的には難しい人たちでも、「もっと主体的に生きる」ことは可能なのです。
76%の社員に行動変容が起きた
主体的に生きる方法については、拙著『プロティアン』と『ビジトレ』の2冊にまとめています。
『プロティアン』は、主体的に生きることの理論枠組みについてキャリア論の視点からまとめました。プロティアンとは「変幻自在」「一人で何役もこなす」という意味。プロティアン・キャリアとは、自分らしさを大切にしながら、社会変化に適合していくキャリア論です。
プロティアン・キャリア論が気づかせてくれることはいくつもあります。とりわけ、(1)組織にキャリアを預けるのではなく、自ら主体的にキャリア形成していくことの大切さ。(2)人はいつからでもキャリア形成が可能であるということ。(3)主体的に働くことで、心理的幸福感が高まること。そして、(4)個人と組織の関係性もより良いものにしていくことができる、といったことを実感できるはずです。
一方の『ビジトレ』では、「人は変われるのか」「働かされていた人が、自ら主体的に働くようになるのか」という問いを探究しました。結論から言えば、答えはイエス。この本では、NTTコミュニケーションズで実際に行われているキャリア開発プログラムを分析した結果、プログラムを受講した社員の76%に行動変容が生まれたことを明らかにしています。
「もう定年まで特に新しいことをしなくてもいい」と感じていた社員が、プログラムに参加して自分自身を見つめ直したことで、新たなことに積極的に取り組む。なかにはそんな劇的な変化を遂げた人もいました。人は職位にかかわらず、いつからでも変わることができるし、主体的に働くことができる——分析結果はそう物語っています。
「プロティアンキャリア開発シート」実践のすすめ
そろそろ、「どうやったら自分もそんなふうに主体的に働けるようになるだろう」と思っている読者の方も多いことでしょう。そこで皆さんにおすすめのワークシートを1つ紹介しますね。
名付けて「プロティアンキャリア開発シート」。キャリアの悩みの解消に効果があります。
「プロティアンキャリア開発シート」を使って自律的なキャリアにつながる戦略を設計しよう。
筆者作成
やるべきことは簡単です。まず、15分だけ時間を確保してください。
最初に、あなたが心理的幸福感を感じられる場面、つまり「楽しいな、ハッピーだな」と感じる場面について書き出してください。その際に、社内での活動と社外での活動に分けてまとめるのがポイントです。大切なことは、あなた自身のことについて、まずはあなたが向き合うことです。
次に、変化に対して「適合していこう、成長させよう」と取り組んでいること、これから取り組んでいこうと思っていること(つまり「アダプタビリティ」)について、これも社内と社外に分けて書き出してください。難しく考える必要はありません。ただし、できるだけ具体的に書くのがコツです。
例えば、「IT企業に勤務しているが、DXの最先端の変化についていけていない気がする」という悩みがあったとしましょう。
この場合、アダプタビリティを高めていく必要があります。例えば、「社内活動としてDXについて詳しい◯◯先輩に講師を依頼して、有志で月に1回の勉強会を主催する」「社外活動としてDXに関連する有料セミナーに参加して、最先端動向や知識を習得する」といった行動プランが考えられますね。あとはこのプランを実行するために、どうスケジュールを調整し、行動していくかを戦略設計するのです。
このプロティアンキャリア開発シートは、できれば同僚や友人と共有するといいでしょう。私が企業でプロティアン研修を担当する際には、受講者全員にこのシートを欠かさずやってもらっています。
キャリアについて悩むのと、キャリアについて考えるのは、まったく違う行為です。悩んでいるだけでは、霧が晴れることはありません。課題を見つめ、戦略を設計して、解決策を導き出すための行動のプロセスを考え抜くのです。
それはさほど難しいことではありません。ビジネスシーンで事業や組織について実際に行っている戦略的思考を使って、あなたのキャリアを言語化していけばいいのです。
そうすることでぜひ、これからのキャリアを主体的に描いてみてください。
(撮影・今村拓馬、編集・常盤亜由子、デザイン・星野美緒)
この連載について
物事が加速度的に変化するニューノーマル。この変化の時代を生きる私たちは、組織に依らず、自律的にキャリアを形成していく必要があります。この連載では、キャリア論が専門の田中研之輔教授と一緒に、ニューノーマル時代に自分らしく働き続けるための思考術を磨いていきます。
連載名にもなっている「プロティアン」の語源は、ギリシア神話に出てくる神プロテウス。変幻自在に姿を変えるプロテウスのように、どんな環境の変化にも適応できる力を身につけましょう。
なお本連載は、田中研之輔著『プロティアン——70歳まで第一線で働き続けるキャリア資本術』を理論的支柱とします。全体像を理解したい方は、読んでみてください。
田中研之輔(たなか・けんのすけ):法政大学教授。専門はキャリア論、組織論。社外取締役・社外顧問を23社歴任。一般社団法人プロティアン・キャリア協会代表理事、UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員(SPD東京大学)。著書は『プロティアン』『ビジトレ』等25冊。「日経ビジネス」「日経STYLE」他メディア連載多数。〈経営と社会〉に関する組織エスノグラフィーに取り組む。