日本の「個人単位課税」が所得税を理解するためのキーワードだ。
撮影:今村拓馬
高所得の共働き世帯について児童手当の所得制限強化に理解を求めた記事に対して「高所得世帯は高い税率の所得税を負担しているのだから、せめて手当については一律に支給するべきだ」との声も多数いただいた。
だが、日本の所得税は、共働き世帯の場合、世帯単位でみれば高所得の世帯でも税率が低くなる仕組みになっていることはご存じだろうか?
世帯単位か個人単位か
程度の差はあれ、高所得者ほど高い税率の所得税を負担すべきという考え方に反対する人は少ないだろう。実際に、世界中ほとんどの国の所得税は、所得が高いほど税率が高くなる累進税率の仕組みを設けている。
だが、どの単位で「高所得」とみなすかは国によって大きく異なる。
アメリカ、フランス、ドイツなどは原則として世帯単位で所得を合算して、高所得の世帯には高い税率、低所得の世帯には低い税率の所得税を求めている。この方式(世帯単位課税)ならば、世帯人数と世帯所得が同じ世帯であれば、片働きであろうと共働きであろうと所得税額は基本的に同じになる。
これに対し、日本、英国、韓国などは個人単位で所得を計算するため、世帯としては高所得であっても個人単位でみれば平均的な所得であるならば税率は低い水準に留まる。この方式(個人単位課税)だと、同じ世帯年収の世帯同士で比べると、片働き世帯の負担が重く、共働き世帯の負担が軽くなるのだ。
同じ世帯年収1000万円でも手取り収入には大きな差
個人単位課税によって、日本の税制は共働き世帯の負担の方が少なくなる仕組みになっている。
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例えば、同じ世帯年収1000万円の3人世帯(夫婦と4歳の子ども1人)同士で日本の所得税の負担がどう違うのかみてみよう。
夫が年収1000万円を稼ぎ妻が専業主婦の世帯Aは、夫個人でみれば「年収1000万円」は高所得といえ、税率は最大で20%、所得税額は71万円となる。
これに対し、夫婦とも年収500万円ずつを稼ぐ世帯Bは、夫婦それぞれでの「年収500万円」は平均的な所得水準にあたり、税率は最大で10%、所得税額は夫婦それぞれ14万円、合わせて28万円に留まる。同じ世帯年収1,000万円でも、片働きか共働きかで所得税額には42万円もの差がつくのだ。
なお、所得税ほどではないが、世帯Aと世帯Bでは住民税も8万円、児童手当も6万円の差がつき、手取りの世帯年収では57万円の差が開く。日本の税制は共働き世帯の負担が軽くなる仕組みなのだ。この構造は、実は今から70年以上前の1950年からずっと変わっていない。
同じ世帯年収ならば「片働き世帯」の方が豊か?
片働き世帯の方が税負担が多いのは「帰属所得」で正当化されてきた。
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同じ世帯年収(かつ同じ人数)の世帯において、共働き世帯より片働き世帯の方が税負担が重くなることは、財政学では、古くから「帰属所得」という考え方によって正当化されるものと考えられてきた。「所得」は通常、他の人(や世帯)との取引によって生じるものだが、誰とも取引を行わなくても人やモノ自体が価値を産み出すことがあり、それを「帰属所得」と呼ぶ。
例えば、農家が自分で作物を育てて自分で消費した場合、金銭での「所得」は得ていないが、自ら育てた作物が価値を持っているのは明らかだ。この場合、農家は「帰属所得」を得ているという。
家事や育児でも「帰属所得」は生じる。家庭内で家事や育児を行っても金銭での「所得」は発生しないが、 家事や育児に何らかの価値があるのは明らかだ。その金額は、もし家事や育児を行っていた時間だけ外で働いていたら得られたはずの賃金を求めるなどして算出することも可能だ。
片働き世帯は共働き世帯と比べ、専業で家事や育児を行う人(多くは専業主婦)がいる分だけ家事や育児により多くの時間を充てられるものと考えられる。
したがって、家事や育児に充てる時間が多い分だけ、片働き世帯の方がより多くの「帰属所得」を得ていると考えられる。金銭だけで測った世帯収入が同じであれば、「共働き世帯より片働き世帯の方が豊かであり、税を負担する能力が高い」と考えられてきたのだ。
現代も本当に帰属所得は有効か?
保育園・幼稚園の原則無償化や学童保育などの充実で、帰属所得を問い直す必要がある。
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もっとも、それが現在の日本においてもなお当てはまるのかは、疑問の余地があるだろう。
2019年10月から、3歳以上の保育園・幼稚園の幼児教育の費用は原則として無償化された。保育園を利用する共働き世帯は幼稚園を利用する片働き世帯と比べて、より長い時間子どもを預かってもらえるが、それに対して原則として市場で対価を支払う必要はない。
小学生の学童保育も多くの公費が充てられており、保護者が実際に負担する金額は少額に留まる。共働き世帯は片働き世帯と比べて育児を行える時間が不足しがちだが、その分は公的制度により補われ(待機児童などにならない限り)市場で育児サービスを購入する必要はない。
こうした制度があることを前提に考えると、同じ世帯年収の共働き世帯よりも片働き世帯の方が豊かだという前提は揺らいでくる。少なくとも、「帰属所得」で説明できる差が縮まっているとはいえるだろう。
そろそろ共働き世帯にも負担の議論を
過去10年ほどで、厳しい財政事情の下、政府は片働きで高所得の世帯(もしくは、個人単位でみて高収入を得る人)に対して配偶者控除や給与所得控除の改正、児童手当の所得制限などで負担をお願いしてきた。
一方で、日本の子育て支援策は充実し、「個人単位では平均的な所得だが、世帯でみれば高所得」の共働き世帯は増えてきたが、こちらに負担を求めることはなかった。
コロナ禍の経済激変の中、すぐに負担を求める改正は難しいかもしれないが、国の累積債務は危険水域に近づきつつある。
持続可能な社会のあり方を考えた際、現状を踏まえ改めて税・社会保障制度を概観してみると「個人単位では平均的な所得だが、世帯でみれば高所得」の世帯にはもう少しだけ財政に貢献できる余地がないだろうか。
児童手当の所得制限の見直しを契機に、改めて税や社会保障の負担と給付のあり方につき議論が深まることを期待したい。
(文・是枝俊悟)
是枝俊悟:大和総研研究員。1985年生まれ、2008年に早稲田大学政治経済学部卒、大和総研入社。証券税制を中心とした金融制度や税財政の調査・分析を担当。Business Insider Japanでは、ミレニアル世代を中心とした男女の働き方や子育てへの関わり方についてレポートする。主な著書に『NISA、DCから一括贈与まで 税制優遇商品の選び方・すすめ方』『「逃げ恥」にみる結婚の経済学』(共著)など。