撮影:今村拓馬、イラスト:iaodesign/Shutterstock
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
2020年12月にNTTドコモが新料金プラン「Ahamo」を発表したのを皮切りに、KDDI、ソフトバンクの競合も対抗プランを打ち出すなどにわかに動きが活発化している携帯業界。長らく続いた3社寡占状態も、楽天モバイルの参入によって均衡が大きく崩れ始めています。大手キャリアをとりまく競争環境は今後どう変化するのか、入山先生が考察します。
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ドコモが先陣、競合が追随。携帯業界はどうなる?
こんにちは、入山章栄です。
菅首相が2020年10月の所信表明演説で携帯電話料金の引き下げに言及して以来、大手キャリアの動きが慌ただしくなってきましたね。
NTTドコモが携帯電話料金に「Ahamo(アハモ)」という格安プランを発表したのが2020年12月。続いてライバルであるソフトバンクとau(KDDIグループ)もそれに対抗する格安プランを打ち出し、いよいよ日本の携帯料金が安くなるという期待が高まっています。
詳しくは、Business Insider Japan編集部の横山耕太郎さんに解説してもらいましょう。
BIJ編集部・横山
2020年12月、NTTドコモが月額2980円で20ギガまで使える新料金プラン「Ahamo」を提供すると発表しました。
今ままではソフトバンクもauも、YモバイルやUQモバイルなど、いわゆるサブブランドで低価格プランを提供していましたが、今回はドコモ本体で安いプランを提供するという点が今までと大きく違うところです。ソフトバンクやauもそれに追随しました。
僕はいま携帯料金を月に1万円近く払っていますが、これを機にプラン変更をすればかなり安くなりそうです。
日本の大手携帯電話会社は、長い間「3大キャリア」と呼ばれるドコモ、au、ソフトバンクの3社だけでしたが、ここに楽天モバイルが参入したのが2020年春のこと。これで「4大キャリア」となったわけです。この4社をMNO(Mobile Network Operator:移動体通信事業者)と言います。
この4社が自社回線を持っているのに対して、ここから回線を借りているのがMVNO(Mobile Virtual Network Operator:仮想移動体通信事業者)と呼ばれる会社です。YモバイルやUQモバイルなどは、このMVNOに当たります。
ドコモ、au、ソフトバンクというキャリアしか使ったことがないと、なんとなく「MVNOってどうなんだろう」と思ってしまうのですが、Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんは、何年か前にMVNOのひとつであるLINEモバイルのユーザーになったそうです。
BIJ編集部・常盤
私も以前は3大キャリアのユーザーだったのですが、LINEモバイルに切り替えたら月々3000円程度で済むうえに、使っていてまったく困らないんです。
ただ、3大キャリアもいよいよ値下げ競争に突入するとなると、これまで安さを売りにしてきたMVNOの旨味が薄れてしまいますよね。これから携帯業界はどうなっていくのでしょうか?
大手キャリアはどこもほとんど同じ
僕は、仮にドコモだけが格安プランを出していたとしても、それをきっかけに多くのお客さんがauやソフトバンクからドコモに切り替えることは、あまり起きなかったのではないかと見ています。なぜなら、本当に料金の安さを重視する人は、とっくにMVNOに移っているはずだからです。
「ドコモが格安プランを出したから」という理由でドコモに移る人がいるとすれば、それは3社のプランをよく吟味して、「あと少し価格が安ければ、ドコモに移るのになあ」と日頃から考えていた人のはずです。しかしそういう人が、果たしてどのくらいいるのか。
実は、ドコモ、au、ソフトバンクのキャリアの間では、そもそもどこもサービス内容はそれほど変わりません。もちろん各社とも工夫はしていますが、他業界で見られるほどの差別化はそもそもできていないのです。
例えば、ラーメン店はもっと差別化ができています。豚骨も、醤油も、味噌もあるし、各店でスープも麺もトッピングも大きく違う。Aというラーメン屋さんは、豚骨ギトギト、こってり系でおいしい。Bというラーメン屋さんはあっさり醤油味で、しみじみとおいしい。こういう場合なら、「今日は豚骨かな、醤油かな」などと比較して食べたいほうを選ぶでしょう。つまり差別化が効いているわけです。
でもラーメン屋さんを選ぶようなレベルで、「今回はソフトバンクにしようかな、それともauがいいかな」と悩む人は、そう多くはないはずです。つまり携帯のキャリアというのは、業界の中の人が思っているほど差別化できていないビジネスなのです。
NTTドコモがが格安プラン「ahamo」を発表すると、ソフトバンクやauもすかさず追随した。
撮影:小林優多郎
携帯で我々ユーザーが気になるのは、回線がつながるかどうか、通話の音質がいいか悪いかがほぼすべて。昔、携帯のサービスが開始された直後には、それこそちょっとつながりにくい地域や場所もありましたが、今やどこにでも基地局がある。となると、実は「どれもほとんど同じ」なのです。
そんな中で勝負しようとすれば、実はもう価格の勝負しかありません。だから少し前までよくあったのが、「このサービスプランに入ればガス代が安くなりますよ」というような、いわゆる「バンドリング」です。これも結局は価格の勝負のことです。つまり製品やサービスそのものの差別化が、極めてしにくいのが携帯電話業界なのです。
寡占なのに儲からないという矛盾
こうなると、経済学のゲーム理論で言う「ベルトラン競争」というものが起きます。簡潔に説明しましょう。
そもそも経済学の基本では、「会社というのは、業界のライバルの数が少なければ少ないほど儲かりやすい」と考えます。なぜなら各社が激しい競争をする必要がないため、価格をあまり下げずに済むからです。価格は吊り上がったままなので、比較的安定して収益を得られる。これは経済学の「基本のキ」です。今までのドコモ、au、ソフトバンクは規制業種でライバルが少ないですし、まさにこの状態でした。
ところが、このような寡占でも、状況が変わると「寡占なのに儲からない」ということが起こり得る。それは何らかのきっかけで極度な価格競争が起きたときなのです。
ひとたび3社の間で激しい低価格競争が起きてしまうと、各社は、「相手が価格を下げるのだから、こちらも価格を下げないとまずい」と考えます。同じことをライバルも考えるので、3社が価格を引き下げ続けてしまう。そもそも各社とも製品・サービスで差別化できていないので、価格しか勝負ができないからです。
結果、本来は高い利益を得られるはずの寡占状態なのに、利益が出なくなります。これを「ベルトラン・パラドックス」と言います(詳しくは拙著『世界標準の経営理論』の第9章を参照してください)。
牛丼大手3社もベルトラン競争の典型例だ。
Takashi Images / Shutterstock.com
実際に、ベルトラン競争がすでに起きているのが「牛丼業界」です。大手牛丼チェーンといえば「吉野家・松屋・すき家」の3社寡占の状態です。でも3社とも価格がすごく安いですよね。結果、各社とも利益を出すのに苦労しています。安いのは、牛丼の差別化が弱いからです。
もちろん、なかには「私は絶対に吉野家しか食べない」という特定のチェーンのファンもいるでしょう。しかし、一般の人たちはだいたい「吉野家でも松屋でもすき家でも、どこだってそこそこおいしいでしょ」と思っている。それほどこだわりはありません。
加えて、業界の外にも牛丼のライバルは大勢います。天丼の「てんや」もあるし、ハンバーガーショップも、立ち食いそばもある。だから3社寡占であるにもかかわらず、価格勝負になってしまうのです。
ドコモ、au、ソフトバンクにしてみれば、牛丼チェーンのようにベルトラン競争に陥りたくはない。だけど自分たちが差別化しきれていないことは、3社とも薄々分かっている。それを今まではバンドリングなどでごまかしていた(と言うと怒られそうですが)わけです。しかし、いよいよこの3社もベルトラン競争に陥りかけている、というのが現状です。
大手キャリアが「4社目の参入」よりも恐れていること
そしてその「きっかけ」になったのが、2020年に起きたある出来事です。そう、それは「4社目」として、それが楽天モバイルが参入してきたことですね。
日本の携帯電話料金は世界的に見ても高く、たとえばヨーロッパは日本より安い。なぜヨーロッパで価格が安いかというと、MNOが4社以上いるからです。
フランスなどはもともと日本と同じ3社だったのが、4社目が参入したとたん、一気に価格が下がりました。ということは、日本でもベルトラン競争が起きる素地ができたということです。
そこで日本の通信費の高さに課題意識を持っていた菅首相が、所信表明演説を皮切りに大手キャリアにプレッシャーをかけた。3社が4社になったことで、もはやベルトラン競争の中で勝つしかないと腹をくくったドコモ(というよりも、おそらくNTTグループ)が、「それならば」と先陣を切った、ということなのではないかと思います。
BIJ編集部・常盤
聞けば聞くほど熾烈な戦いになりそうですね。その中で、4大キャリアはどうやって生き残ればいいのでしょうか?
当面は、一度価格を切り上げたので政府への顔も立てたし、様子見でしょうね。一番怖いのは、これまで述べたようなメカニズムがさらに働き、ベルトラン競争の泥沼にハマってしまうことです。とはいえ、それでもまだ「4社しかいない」とも言えるので、その程度ならおそらくまだなんとかなるんですよ。
4大キャリアが本当に恐れているのは、MNOとMVNOの差がなくなって、多くの人が常盤さんのように「LINEモバイルでいいじゃん」などと思うようになり、MVNOに乗り換えられてしまうことでしょう。
でも今のところは僕のように、「契約変更が面倒」という理由だけで、ずっと同じ大手キャリアを使い続けている人のほうが多い。料金プランを比較検討するのも大変だし、手続きも煩雑です。だから惰性で今のキャリアを変えない人は大勢いる。
自分に合ったプランをもっと明解に比較検討できるようになったり、乗り換え手続きが簡素化されたりすると、乗り換えの敷居が下がって、ユーザーはどんどんMVNOを含めた他社に移っていくようになるはずです。キャリアにしてみれば、おそらくそちらのほうが恐ろしいはずです。
でも翻って、われわれ消費者にとっては携帯料金が安くなるのは大歓迎です。このような競争のメカニズムを理解したうえで、メリットはうまく享受したいものですね。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子、音声編集:イー・サムソン)
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入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。