世界が熱狂する音声SNSアプリ「Clubhouse(クラブハウス)」。共同創業者のローハン・セス(Rohan Seth)とポール・デイビソン(Paul Davison)。
Rahul Seth/Twitter(L); LeWeb/YouTube(R)
- 音声SNS「Clubhouse(クラブハウス)」は3月にローンチ1周年を迎える。週間アクティブユーザー数はすでに200万人を突破、評価額は10億ドル以上に達している。
- ただし、創業者らは一夜にして成功を収めたわけではない。ポール・デイビソンとローハン・セスはこの10年、ソーシャルアプリ開発に取り組み続けてきた。
- 失敗してはまたやり直し、粘り強く新しいアプリを生み出そうとするなかで、Clubhouseの原型が生まれていった。
ポール・デイビソンとローハン・セスが初めて一緒の仕事に取り組んだのは、資金調達のアイデアをひねり出すためのブレインストーミングだった。
と言っても、それはいま話題の音声SNS「Clubhouse」の話ではない。
元グーグル社員でClubhouse共同創業者のセスは、生まれたばかりの娘のために数百万ドルの資金を必要としていた。
娘のリディアは遺伝子突然変異の影響で生まれつき重度の心身障害を患い、誕生したその日から発作に悩まされ、歩いたり話したりできない可能性もあるとの診断を受けていた。
当時グーグル社員だったセスと妻のジェニファーは、他の夫婦ならやらないようなある行動に出た。数百件の研究論文を片っ端から読み込んで、研究者たちに会って話を聞き、ジェニファーの病状を改善する彼女専用の治療薬をつくろうと動き始めたのだ。
そしてもう1つ、セス夫妻はテクノロジー企業の社員らしい取り組みに着手する。
リディアの病気について研究する資金を集めるため、非営利財団を創設し、薬物療法など有効な手法をできるだけ早く発見できるよう、「アクセラレーター」(=加速器、スタートアップ支援組織の意味でも使われる)と命名したのである。
2019年秋、セスは友人で連続起業家のデイビソンに会い、財団の資金調達策についてアドバイスを求めた。デイビソンを含む多くの人たちから支援を受けたリディアン・アクセラレーターは、その後現在までに200万ドル以上の資金を集めることに成功している。
この相談の場がきっかけになって、セスとデイビソンは定期的に会って話をするようになり、ついには一緒に事業を立ち上げることを決意する。それがClubhouseの始まりだ。
創業からまだ1年も経っていないのに、Clubhouseはすでにユニコーン(=評価額10億ドル以上の未上場企業)の仲間入りを果たしている。最新の資金調達を経た評価額は14億ドル(約1500億円)、前回ラウンドの10倍以上だ。
1月第4週(17〜23日)の週間アクティブユーザー数はおよそ200万人で、セレブやテック業界の著名人らが音声を通じた交流を楽しんだ。
アプリはいまのところ完全招待制だが、積極的な拡大に向けて準備が進んでおり、1月24日にセスとデイビソンが投稿したブログ記事によれば、最近調達した資金はインフラ整備と信頼性・安全性の向上、ユーザーサポート体制の強化に充てるという。
Clubhouseは創業者2人の「最後の挑戦」
至ってシンプルで、スマホユーザーに特化した(とみられる)Clubhouseのウェブサイト。
Screenshot of Clubhouse website
一夜にして成功を手にしたかのような見方をされているClubhouseだが、それはまったくの誤解だ。
セスとデイビソンはほぼ10年間にわたってソーシャルアプリ開発に取り組んできたにもかかわらず、目ぼしい成功は得られなかった。失敗作に終わったアプリは少なくとも9つ。そこには2人の最初のコラボ作品、Clubhouseの前身アプリ「Talkshow(トークショー)」も含まれる。
セスもデイビソンも自ら立ち上げた会社を売却した経験(いわゆるエグジット)がある。ただ、いずれも従業員は引きとってもらえたが、開発した肝心のアプリは廃棄された。
そんな彼らにとってClubhouseは、ウェブ上の人と人とのつながりのあり方を変える「最後の挑戦」との位置づけだ。先に紹介したブログ記事で、セスとデイビソンは率直な感想を吐露している。
「これまでつくってきた数々のアプリと違って、今度のClubhouseは、本当の意味でみんなの共感を得たみたいだ」
経緯をよく知る関係者らは、2人の創業者がここまで積み重ねてきた経験こそが、新たなソーシャルアプリの青写真を生み出し、今回の成功につながったと口を揃える。
「プロダクトマーケットフィット(=市場で支持される商品やサービスの開発)を獲得するスタートアップを立ち上げるのは簡単じゃない。ましてや一般消費者向けのソーシャルビジネスとなると、ほとんど不可能に近い。なぜって? すごく繊細で、本当にちょっとしたひねり、工夫次第で結果がまったく違ってきてしまうから」
Clubhouseの出資者で、アーリーステージに特化したベンチャーキャピタルWeekend Fund(ウィークエンドファンド)の創業者、リアン・フーバーはそう指摘する。
「(前身となったアプリ)Talkshowはじめ、セスとデイビソンが生み出しては潰してきたすべてのプロダクトがベースとなり、ついにはクラブハウスという形で結実したわけだ」
「SXSW」で脚光を浴びるも人気は続かず
2012年、ポール・デイビソンはBusiness Insiderの取材に応じている。
Business Insider
2人が親しい友人を介して知り合ったのは2011年のこと。もっと早くに何かの偶然で知り合いにならなかったのが不思議なくらいだ。
セスとデイビソンはともにスタンフォード大学の出身だが、在学中の4年間は接点がまったくなかった。しかし2人は紆余曲折を経て、偶然にもまったく同じ時期(2006年6月)からグーグルで働き始めることになる。
運命の出会いを果たす前のそれぞれの人生について、まずはデイビソンからふり返っておこう。
2002年の大学卒業後、コンサル大手ベイン・アンド・カンパニーに入社したデイビソンは、経営学修士(MBA)を取得するため、数年後には退社してスタンフォード(ビジネススクール)に戻っている。
グーグルでのサマーインターンを経て、2007年に無事MBAを取得すると、同年、データベースを手がけるMetaweb(メタウェブ)にジョイン。パートナービジネス部門の陣頭指揮をとった。
3年後、Metawebはグーグルに買収されるが、デイビソンは合流せず、Metawebの出資企業だったベンチャーキャピタルのBenchmark(ベンチマーク)に移る。
同社が提供する「アントレプレナー・イン・レジデンス(EIR、客員起業制度)」の歴史は長く、堅実な実績で知られる。連続起業家たちはそこで新たにスタートアップを立ち上げる機会を得る。いわば、創業者にとってのサバティカル(=研究や再学習に専念する期間)だ。
デイビソンはこの制度を利用し、Benchmarkのオフィスに陣どってワイヤーフレームを描き、本を読み、周囲の面白い人物たちと議論を重ね、考え出した新たなプロダクトのアイデアについて、サポートチームから意見をもらったりして過ごした。
2012年当時、Business Insiderのインタビューに答えたデイビソンはこう語っている。
「いくつものアイデアを考えたけれど、どれもこれも要するに、数年前から思い浮かべてはメモしてきたものと一緒だった」
彼の頭からいつまでも離れなかったもの、それを形にしたのが位置情報SNSアプリ「Highlight(ハイライト)」だ。
デイビソンがかつてつくり出した位置情報SNSアプリ「Highlight(ハイライト)」。
Highlight
ユーザーはアプリを通じて自身の現在地を共有し、友だちや興味関心が共通する他のユーザーが数ブロック以内に近づいたときには通知が飛ぶ。セレンディピティ(=偶然の思いがけない巡り合わせ)を生み出すのが狙いだ。
2012年のテックイベント「サウス・バイ・サウスウェスト(SXSW)」で、ハイライトは最も注目すべきアプリとして脚光を浴びたが、その人気は長くは続かなかった。
デイビソンと共同創業者のベン・ギャレットはへこたれなかった。
2015年、カメラロールを友だちと共有するスマホアプリ「Roll(ロール)」を発表すると、翌年には同じコンセプトで、近くにいる任意のユーザーに写真や動画、スクリーンショットをシェアできるアプリ「Shorts(ショーツ)」をリリースした。
だが、いずれも大失敗に終わった。2016年には写真共有サービスのPinterest(ピンタレスト)がHighlightを買収し、共同創業者のデイビソンとギャレット以下ほとんどの従業員がそのまま移籍したが、Rollなどのアプリはサービス終了となった。
デイビソンはPinterestでほぼ2年を過ごしたのち、仮想通貨取引所「CoinList(コインリスト)」の最高経営責任者(CEO)に就任している。
「ソーシャルアプリに特化」起業も不発に終わる
次に、Clubhouseのもう1人の創業者、ローハン・セスの経歴を見てみよう。
インド出身のセスは、スタンフォード大学院を卒業するまでは、あちこち転々とするような人生は歩んでいない。
2006年6月から(大学院在学中含めて)5年強をグーグルで過ごし、位置追尾ソフトウェアの品質向上に貢献。また、アンドロイドとグーグルマップを担当するモバイルチームの初期メンバーとしても活躍した。
グーグルの元同僚で現在はエンジェル投資家のマイケル・チューは、当時のセスについてこう語る。
「ローハンはソーシャルプロダクトのことになると、いつだって情熱的だった。グーグルで働き始めたばかりの2006〜07年ごろにはもう、ソーシャルの分野で何かをしたい、世の中の人たちがお互いをもっと身近に感じられるようにつなぎたいと言っていた」
セスは2012年にグーグルを退社し、マイクロソフト出身のローハン・ダンと一緒に、ソーシャルアプリ開発に特化した「Memry Labs(メムリーラボ)」を設立した。
「Memry Labs(メムリーラボ)」が生み出したソーシャルアプリ「Phone-A-Friend(フォン・ア・フレンド)」。
Memry Labs
セルフィー(自撮り)を1日1回友だちとシェアする「Dayfie(デイフィー)」や、電話でおしゃべりできる時間ができたら友だちに通知を送る「Phone-A-Friend(フォン・ア・フレンド)」3年間で6つのプロダクトを世に送り出した。
クラブハウスにたどり着く前のデイビソンと同様、セスのつくったアプリはいずれもブレイクしなかったが、少なくとも買い手は見つかった。
不動産売買を手がけるスタートアップ「Opendoor(オープンドア)」の共同創業者兼CEO、エリック・ウーは2015年のエンジェルラウンド(=シード前の資金調達)でMemry Labsに出資、その2年後に買収した。金額は非公開とされている。
Memry Labsのアーリーインベスターだったエンジェル投資家のチュー(前出)によれば、買収によりプロダクトは切り捨てられ、人材だけがOpendoorに移った。このタイプの買収は「アクワイハイア(acqui-hire)」と呼ばれ、会社そのものを得るより、そこで働く人材を獲得することが目的なのだという。
セスとダンはそのままOpendoorに移り、セスは3年近くプロダクトグロースを手がけた。
壊滅的な状況のなか、Clubhouseは立ち上がった
セスと妻のジェニファーが立ち上げた非営利財団「リディアン・アクセラレーター(Lydian Accelerator)」のウェブサイトより。
Screenshot of Lydian Accelerator website
セスは生まれたばかりの娘リディアと36時間を過ごしたあと、診断結果を知った。彼の人生は一変した。
セスと妻ジェニファー、娘リディアは最初の1年、問題を解決すべく足しげく医師のもとに通った。そうしてわかったのは、リディアには特定の遺伝子突然変異を根本的に抑制するためのパーソナライズされた薬剤の投与、すなわち「N-of-1」と呼ばれる治療が必要ということだった。
セス夫妻は、リディアのような患者向けの特注薬をつくるための技術研究に取り組もうという研究医・臨床医を見つけ出した。しかし、夫妻には研究費用に充当する資金を集める手段がなかった。
そこで、セスは妻と設立した非営利財団「リディアン・アクセラレーター」を通じ、デイビソンに相談を持ちかけた。2人はリディアのための資金調達以外にも、さまざまなテーマについて話し合った。
前出の資金調達時のブログ記事で、セスとデイビソンはこう書いている。
「不本意ながら、しかし2人の忍耐強いパートナー(=セスとデイビソンの妻を指す)に支えられ、僕らはすべてを捧げてきたソーシャルアプリ開発で『最後の挑戦』に打って出ることを決めた」
2人が最初にリリースしたのは、ラジオのようなトーク番組をスケジュールしたり、ライブストリーミングしたりできる(本記事前半で少し触れた)アプリ「Talkshow(トークショー)」だった。
ホストは開催中のショーをツイッターで拡散し、リスナーからの質問を受けつける仕組みで、エラッド・ジルやリアン・フーバー(前出)のような著名スタートアップ投資家が出資した。
このアプリの狙いは、ポッドキャスト配信のハードルを下げることだった。
しかし、アンドリーセン・ホロウィッツのゼネラルパートナー、アンドリュー・チェンは1月25日のツイートで、「徹底的なプロダクト思考の人であるデイビソンは、十分にハードルがを下げられたとは考えなかった」とデイビソンの思いを代弁している。
セスとデイビソンはTalkshowからいくつかの機能を削ぎ落とし、ベータ版のテストユーザーから好評だったポイントにフォーカスすることにした。そのポイントとは、ゲストスピーカーとしてリスナーがトークに気軽に飛び入り参加できることだ。
こうして、Clubhouseは生まれた。
その10カ月後、Clubhouseは1億1000万ドル(約115億円)の資金を調達し、評価額は14億ドル(約1500億円)に達した。エラッド・ジルら投資家たちは「この10年で最も新しく、面白いソーシャルネットワークアプリ」と歓迎している。
そして、セスとデイビソンという当事者2人も、いまやジルの評価に同意する。
「僕らがこれまで関わったなかで、最もエキサイティングなアプリだ」
(翻訳・編集:川村力)