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前回は「良質なインプットをしてアイデアを生み出し、イノベーションにつなげるスキル」についてお話ししました。続く本稿では、「アイデアを実際の商品・サービスにつなげて顧客に提供する」ために知っておきたい思考フレームについてご紹介します。
「良いモノを作れば売れる」という誤解
「イノベーション」という言葉を聞くと、日本では多くの場合「画期的なプロダクト」を連想する人が多いのではないでしょうか。日本に根強くある「モノづくり神話」とでも言うのでしょうか、このような思考の人たちは、良い商品を作れば売れると考えがちです。
しかし、イノベーションの範囲はなにも商品(プロダクト)に限った話ではありません。ジョセフ・シュンペーターはイノベーションを次の5つに分類しました(前回記事も参照)。
- 新しい生産物の創出(プロダクト・イノベーション)
- 新しい生産方法の導入(プロセス・イノベーション)
- 新しい市場の開拓(マーケット・イノベーション)
- 新しい資源の獲得(サプライチェーン・イノベーション)
- 新しい組織の実現(組織イノベーション)
物流を極限まで効率化する:アリババ
例えば、サプライチェーン・イノベーションの事例を1つご紹介しましょう。中国のEコマース最大手であるアリババです(※1)。
アリババの試算では、中国国内の1日の宅配量は10億個近くにもなるそうです。それだけの量をさばくためには、物流の効率をできる限り高めなくてはいけません。
中国国内では毎日おびただしい量の配送物が行き交う。これをもっと効率よくさばくにはどうしたらいいだろう?(写真は(中国江蘇省にあるアリババの物流部門、2020年10月撮影)
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これを解決するためにアリババが何をしたのかというと、物流の自動化です。ひとつは「倉庫内」。もうひとつは顧客へ届ける「ラスト3km」です。
倉庫内の自動化というとどのようなものをイメージしますか? おそらく多くの場合、人がロボットに引率されながら棚を歩き回って必要な商品をピッキングしている様子をイメージするのではないでしょうか。
でもアリババの倉庫は、その逆。なんと棚が動いて作業員のところに近づいてくるのです。作業員は自分が歩き回るよりも、自分の近くに移動してきた棚から商品をピッキングする方がはるかに楽で効率的です。
そしてもうひとつの「ラスト3km」とは何かというと、ロボットが顧客のもとへ商品を届けにきてくれるというものです。
例えば従来、中国のある大学の構内には寮生活を送る学生が荷物の受け渡しができる宅配ロッカーがありました。荷物が届くと、学生はそのロッカーの場所まで歩いていき、さらにいくつものロッカーの中から自分の荷物が保管されているものを探すのですが、これがかなりの手間でした。
そこでアリババが開発したのが、複数のロッカーが備えられた自走式のロボットです。顧客の近くまで自動走行で移動すると、自動電話でロボットが来たことを顧客に知らせます。到着を知った顧客がスマホで認証することで、ロボットに備えつけられたロッカーの扉が開くというしくみです。
最高の人材だけが集まるしくみ:ネットフリックス
もう1つ例を挙げましょう。日本でも広がってきたネットフリックス(Netflix)は、組織イノベーションの最高の事例の1つでしょう。
ネットフリックスは従来、顧客に最適な既存コンテンツをレコメンドしていました。しかしそれだけでは最高の顧客体験はつくれない。そう判断した同社は、現在ではオリジナル作品も手掛けています。
最高のオリジナル作品をつくるためには、何をおいても優秀な人材が必要です。ネットフリックスが最高の人材を採用するのに徹底的にこだわっているのは、こうした理由からです。
「人材採用にこだわっている」と言う会社は他にもたくさんありますが、ネットフリックスのこだわりようはレベルが違います。それは例えば、同社の有名な「No Rules」にも表れています。
ネットフリックスには休暇や経費や旅費などの規定(ルール)がありません。会社に期待されている成果を上げる限り、いつ休むのか、いくら使うのか、出張に行くのか、その際にどこに泊まるのかは社員個人に任せています。要するに、自律した優秀な人材は、ルールで管理する必要はないということです。
もしも成果が出せない、あるいは同社に合わない人がいたらどうするのか? 高額の退職金を支払い、辞めてもらうのです。
まさに、「究極の自律人材を集める」という目的にかなった組織イノベーションです。ネットフリックスではこのような自律人材を集めることで、顧客満足度を徹底的に追求したプロダクトをつくっているのです。
「販売企業」と「マーケティング企業」
マネジメントという考え方を普及させたピーター・ドラッカーと、近代マーケティングの礎を築いたフィリップ・コトラーが、『非営利組織の経営』という本で対談をしています。彼らはマーケティングと販売の違いを、次のような言葉で表現しています。
- 製品やサービスからスタートすることが「販売」
- 顧客や消費者からスタートすることが「マーケティング」
製品やサービスを起点に物事を考える「販売企業」と、顧客や消費者を起点に物事を考える「マーケティング企業」。あなたはどちらから購入したいですか? あるいは、どちらで働きたいですか? おそらく多くの人が、マーケティング企業と答えるのではないでしょうか。
先ほど例に出したアリババとネットフリックスも、典型的な「マーケティング企業」です。アリババは、より無駄を減らして顧客に商品を届けるためにはどうしたらいいかを考えました。ネットフリックスは、優秀な人材に権限移譲することで最高の顧客体験を提供することを考えました。アリババはサプライチェーン・イノベーションに、ネットフリックスは顧客志向を実現する組織イノベーションにつなげということです。
そこで以降では、あなたの組織を真の「マーケティング企業」へと進化させるうえで役立つフレームワークを2つご紹介します。ぜひ活用してみてください。
顧客から考える際のフレーム1:STP
1つめは、「STP」と呼ばれるコトラーのマーケティングの思考フレームです。
STPとは、セグメンテーション(Segmentation)、ターゲティング(Targeting)、ポジショニング(Positioning)の頭文字。つまり、市場を分割し(セグメンテーション)、分けた市場のうちどこを狙うのかを決め(ターゲティング)、ターゲット市場の中で競合のプロダクトとどう差別化するか(ポジショニング)を決める、ということです。
STPのフレームワークを用いる際に特に重要になるのが、ターゲット市場の決め方です。市場を分割するには、できるだけ細かく、具体的に設定します。分類の仕方の例としては、次のようなものが考えられます。
- 人口統計データ:年齢、性別など
- 地理的データ:国、地域、市町村など
- 心理的データ:価値観、性格など
- 行動データ:購入頻度やタイミングなど
この分割が大雑把すぎると、顧客を具体的にイメージすることができなくなってしまいます。「首都圏にいる20代女性」では広すぎて、どんな業界に勤めていそうか、どんな服装を好み、休日は何をしていそうか、どんなことに悩んでいそうかが分かりませんよね。
そうではなくて、例えば「渋谷区のIT企業に勤める4大卒の入社3年目の25歳独身女性、出身は大阪府堺市」というように、「そうそう、こんな人いるよね」と思えるくらいにまで細かく分割することが大切です。これなら、そのターゲット顧客が自社のプロダクトを使う場面まで具体的にイメージできるでしょう。
顧客から考える際のフレーム2:ジョブ理論
顧客があなたの会社のプロダクトを使うのは、何らかの「ニーズ」を満たすためです。このニーズのことを、「イノベーションのジレンマ」で有名なクレイトン・クリステンセン教授は「ジョブ」と表現しました。仕事という意味のjobですね。
顧客が「商品Aを選択して購入する」ということは、「片付けるべき仕事(ジョブ)のためにAを雇用(ハイア)する」ことだ、というのがジョブ理論の考え方です。顧客のニーズを理解するうえでは、このジョブ理論が役立ちます。
ジョブとはどういうものかをもう少し具体的に理解していただくために、クリステンセンの著書『ジョブ理論』で取り上げられている例を1つ紹介しましょう。
その男性は何のためにミルクシェイクを買うのか?
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平日の朝と休日の夕方にミルクシェイクを買いに来る男性がいます。
一見すると「男性がミルクシェイクを買いにくる」という点は同じですが、それぞれの男性をよく観察すると、平日の朝に買うミルクシェイクと休日の夕方に買うミルクシェイクでは「状況」が違う——つまり、解決したい「ジョブ」が違うことが分かります。
まず、ミルクシェイクを朝買いにくる男性のジョブは何でしょうか?
彼はミルクシェイクを、通勤の車の中で飲むために買います。眠気覚ましを兼ねた朝食をとるというジョブを解決したいのです。車での移動時間の間じゅう飲んでいたいので、すぐに飲み終わってしまうコーヒーではジョブは解決しません。コーヒーよりも飲み終わるのに時間がかかるからミルクシェイクを選んでいるのです。
では、この男性のジョブをさらに満たすにはどうしたらいいでしょうか? そう、シェイクの粘度を通常よりも高くすればいいのです。粘度が高いほど飲みにくくなるので、飲むのに時間がかかりますし、強く吸わなければならないない分、眠気も覚めます。
ここまで気づければ、「粘度を高くする」というイノベーションにつながります。男性は他店のミルクシェイクではなく、なかなか飲み終わらないうえに朝食代わりにも眠気覚ましにもなるこの店のミルクシェイクを、より強く支持してくれるはずです。
一見同じでも、解決すべきジョブは違う
では今度は、休日の夕方に幼い子どもを連れてミルクシェイクを買いにくる男性はどうでしょうか。
この男性は、平日に子どもと遊んでやれないことの罪滅ぼしのためにミルクシェイクを買いにきます。つまり、子どものご機嫌をとるというジョブのために、ミルクシェイクを「ハイア」しているのです。
そうなると、このジョブは先ほどの朝のジョブとは異なることが分かりますね。
子どもにミルクシェイクを飲ませてご機嫌をとることが目的ではあるものの、男性にしてみれば、子どもに長々と飲んでいられては困ります。子どもが喜んでくれて、なおかつサッと飲み終わってくれたほうがいいわけです。
であれば、ミルクシェイクの粘度は低い方がいいはずです。子ども向けの小さなカップに、お気に入りのキャラクターでも描かれていればなおさら嬉しいでしょう。そんな商品があれば、男性は他店よりもこの店のミルクシェイクを買い続けてくれるはずです。
大規模なマーケティングリサーチは必要ない
この事例から分かるように、ジョブはつくり出すものではなく、見つけ出すものです。また、一見よく似た顧客(この例では「男性」)だからといって一括りにせず、じっくり観察してそれぞれのジョブの違いを見つけられるかどうかが、イノベーションを起こせるか否かの分かれ目になります。
あなたは、顧客があなたのプロダクトを選んでいる「本当の理由」を理解していますか?
あなたが顧客として取り込みたいあの人が、なぜあなたのプロダクトではなく他社のプロダクトを選ぶのかを理解していますか?
ぜひ自問自答してみてください。
顧客のジョブを見つけることを、クリステンセンは「ジョブをハンティングする」と表現しています。重要なのは、顧客が言わないことを聞き取ること。顧客の行動プロセスを観察し、そこから分析することです。
だからといって「大規模なマーケティングリサーチが必要だ」「システム構築をしなければ」と考える必要はありませんよ。ジョブは、顧客の行動を観察することで見つけ出すことができます。大切なのはその姿勢なのです。
次回は、これをさらに具体化するための「新しい4P(マーケティングミックス)」について説明します。
※1 竹内亮「コロナ禍で加速する“無人化”計画 アフターコロナに突き進む中国の無人物流・交通革命」Yahoo! CREATORS Program、2021年1月3日。
※本連載の第17回は、3月5日(金)を予定しています。
(連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
この連載について
誰かから指示された「やらされ仕事」より、「裁量ある仕事」のほうがやる気は出るもの。しかもそれで結果を出せれば成長につながり、何より楽しい。では、裁量ある仕事を任されるためには何が必要でしょうか? 答えは「自分で考え、生産性高く成果を出すスキル」です。
このスキルを「自律思考」と呼ぶのは、リクルートグループに29年間勤務し、独立後はさまざまな企業に対して業績向上支援を行っている中尾隆一郎さん。連載「『自律思考』を鍛える」では、生産性高く成果を出すスキルを身につけるためのエッセンスを中尾さんに解説していただきます。
中尾隆一郎:中尾マネジメント研究所代表取締役社長。1989年大阪大学大学院工学研究科修了。リクルート入社。リクルート住まいカンパニー執行役員(事業開発担当)、リクルートテクノロジーズ社長、リクルートワークス研究所副所長などを経て、2019年より現職。株式会社「旅工房」社外取締役、株式会社「LIFULL」社外取締役、「LiNKX」株式会社非常勤監査役も兼任。新著に『自分で考えて動く社員が育つOJTマネジメント』がある。