撮影:今村拓馬、イラスト:Valenty/Shutterstock
今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
地政学者のイアン・ブレマーが率いるユーラシア・グループが1月に「2021年の10大リスク」を発表しました。いずれも国際政治の行方に大きく影響を及ぼしそうなトピックが並ぶなか、入山先生はどんなことを考えたのでしょうか?
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こんにちは、入山章栄です。
この連載では毎回、記事の最後に読者の方への「お題」を出しています。少し前のお題になりますが、「2021年に仕事で成し遂げたいこと、または変えたいことは何ですか」という問いかけに対して、ハンドルネーム「いちうま」さんが、こんな回答を寄せてくださいました。
いちうまさん
仕事で成し遂げたいのは「既存知と既存知の新しい組み合わせ」が生まれる仕組みをつくること。変えたいことは、自分の弱点は「社外のネットワークづくり」だと思うので、コロナ禍ですが、なんとか頑張ること(笑)。
(HN:いちうま/50代以上/男性/メディア関連企業の社長)
確かにこのご時世、社外のネットワークづくりは難しいのですが、最近はZoomやTeamsなどオンラインで集まる仕組みもあります。最近なら、音声SNSのClubhouseも面白いですよね。
例えば、僕の『世界標準の経営理論』という本を題材にした有志の方による勉強会などもオンライン上で開かれています。オンラインなら場所を問いませんから、この本に興味のある人たちが日本中から集まれる。こんなふうにオンラインだからこそできる人脈づくりに、チャレンジしてもいいかもしれませんね。
地政学的なリスクが高まっている
さて、Business Insider Japan編集部の常盤亜由子さんから、次のようなお題が届きました。
BIJ編集部・常盤
2021年1月、イアン・ブレマー率いる地政学専門のコンサルティング会社であるユーラシア・グループが「2021年の10大リスク」を発表しました。1位は「米国第46代大統領」ですが、ランクインしているそれ以外の項目を見ても、地政学的にかなり混沌とした世界が広がっている気がします。先生はこれをどうご覧になりますか?
イアン・ブレマー氏は、地政学、国際政治学の世界的な第一人者ですよね。
学術的に言うリスクとは、「不透明感が強くて先が読めないけれど、もしこれが変化したら、世界的にものすごく大きな影響を与える」という意味です。
だから良いほうに変化することもあり得るわけですが、逆に悪いほうに振れると、世界的に大きなマイナスのインパクトを与える。1位が「米国第46代大統領」ということは、1月に就任したバイデン大統領がうまくやれば世の中ハッピーだけれど、うまくやらないと大変なことになるということですね。
僕は経営学者なので国際政治学はある意味で素人です。ですので、専門家として発言する権利はありません。ただ、あえて自分の知っている国際政治学・地政学の視点を提示すれば、国際政治学には「覇権安定理論」と呼ばれる考え方があります。簡単に言うと、世界中で大きなパワーが一国に集中している、つまり覇権国が存在するときは、世界情勢はそれなりに安定するという現象のことです。
世界一の強国がそこそこ健全な政治をしていれば、周辺の小さな国の紛争は抑え込めるので、世界情勢は比較的安定する。これは歴史的に見てもそうですね。
古くはローマ帝国がそうですし、かつての覇権国家であるイギリス、そして20世紀・21世紀なら、少なくとも少し前まではアメリカが覇権国でした。特に1991年にソ連が崩壊してからはアメリカ一強となり、アメリカが他国の紛争に政治介入したりすることで中東の問題などが抑えられてきた。
ところが、今のアメリカは相対的に弱体化していて、国内にも分断が生まれています。一方で中国という新しいパワーが台頭してきている。
さらに中国は、経済成長は著しいけれども、言葉を選ばず言えば一党独裁体制による政治的リスクを抱えていて、香港の問題にしても、ウイグルの人権問題にしても、ひずみが目立ってきている。
つまり、今の世界は一国覇権が存在しない、「タガが緩んだ状態」であり、したがって地政学的なリスクが非常に高まってきているのです。
「制度理論」で自分の常識を疑う
次に経営学の理論を地政学の視点と組み合わせて、この状況を考えてみましょう。
まずは、この連載でも何度か取り上げた「制度理論」と呼ばれる経営理論です。これは簡単に言えば、常識に関する理論です。
われわれの社会には「常識」と呼ばれるものがたくさんあります。例えば子どもの受験のとき、親はどんな服を着ていけばいいか迷いますよね。そうするとたいてい、マニュアル本やネットで「お受験のときに着るべき服」を調べたり、同じ立場の親から話を聞いて、「紺色のスーツを着ていれば無難だな」というように、時の「常識」に照らして行動を決めるわけです。
しかしこうした常識はみな、言ってしまえば幻想です。法律で決まっているわけでもないし、「みんなこうするのが常識だろう」と思い込んでいるだけです。「こんなときはこうするものだ」という決まり・常識をつくっておけば日常生活が円滑に回るという、ただの約束事にすぎないのです。
直感的に言えば、人は脳みそのキャパシティに限界があるから、なるべく脳を使いたくない。だからある程度のことは「これが常識です」ということにしてしまって、どうすべきかいちいち真剣に考えずにすむようにしているだけなのです。その方が脳・認知の負担が減り、別のことに認知を回せるからです。
さてこのように、日本にもさまざまな常識がありますが、例えばそれが中国人の常識と同じとは限りません。
中国は先に述べたように中国共産党の一党独裁体制ですが、日本人からすれば、「中国の人はなぜあんな政治体制を受け入れているんだろう」と不思議に思う人も多いでしょう。
もちろん中国人の中でもさまざまな議論はありるでしょう。しかし中国の人からすれば、それなりの経緯があって、結果として違う常識があって、あの政治体制を支持しているのです。
シーパワーとランドパワー
四方を隣国に囲まれた中国は、過去に何度も領土を脅かされてきた。
Todd Brown/Getty Images
国際政治用語に、「シーパワー」と「ランドパワー」というものがあります。シーパワー(海洋勢力)とは、国境のほとんどが海に面している国のことで、日本やイギリスがそうです。
実はアメリカもシーパワーに属します。もちろんアメリカは北にカナダ、南にメキシコがあるけれど、その両国との間に領土紛争は起きていない。そう考えると、太平洋と大西洋に挟まれた、国境のかなりの部分を海に囲まれたシーパワー国家と見なせるわけです。
一方、大陸の中に位置し、周りは地続きでいろいろな国に囲まれている。そういう国をランドパワー(大陸勢力)と言います。
典型的な二大ランドパワーは、中国とロシアです。両国ともいろいろな国と陸続きなので、外部から攻撃されやすい。実際、中国の歴史は、北方民族に常に領土や生活を脅かされ続ける歴史でした。何千年もの間、いかに自分たちの領土を守るか苦労に苦労を重ね、幾度となく国家の崩壊を経験してきている国なのです。
だから中国の人たちには、「トップダウンで意思決定しないと、敵が急に攻め入って来た有事に国が機能しない」という感覚が刷り込まれている。それが中国の「常識」なのです。敵に攻め入ってこられて撃退できないよりは、共産党一党独裁のほうがましだと思っているのです。
一方で、日本は基本はシーパワーの国です。2000年間ずっと海に守られて、第二次世界大戦が起きるまでは領土を外国に占領されたこともなかった。日本と中国のような国とでは、「常識」が違うことがよく分かると思います。
地球温暖化で北方領土返還の可能性が消えた?
中国と同様、ロシアもわれわれ日本人からすると理解に苦しむ部分のある国です。しかしそれはロシアが中国同様にランドパワーの歴史が長い国だからです。したがって彼らにとって領土の確保は死活問題なのです。
例えばロシアと日本の間には、長らく「北方領土問題」が横たわっている。そして率直に言って、ロシアは北方領土を返還するつもりはおそらくないと私は思います。それはまずは同国がランドパワー国家で一度奪った領土の重要性を歴史的に知っているからであり、加えて言えば別の理由もあります。
それは、ユーラシア・グループの予想した10大リスクの1つである「気候変動」の影響です。
北極の氷が溶けるということが、ロシアにとってはどんな意味を持つのだろう?
Chase Dekker Wild-Life Images/Getty Images
ご存じのように地球はいま気温が徐々に上昇していて、そのせいで北極の氷が溶けている。そこで北極を経由した新たな航路ができて、北方領土のあたりに船を通せるようになってきたのです。これはロシアから欧州、北米などへの新しいルートです。
つまり、北極付近の地域はこれからロシアにとって重要な海路になる。言い換えれば、ランドパワーだけでなく、シーパワーも得られる可能性があるのです。ロシアはそれを見越して軍事強化していますから、北方領土を手放すわけにはいきません。2次元の地図を見ているとなかなか思い至りにくいことですが、地球儀を見れば、北極周辺が地政学的に押さえておきたい場所だということがよく分かります。
このように、常に陸続きで諸外国から攻められてきた歴史を持つ国の人たちの常識と、海に囲まれた日本人の「常識」は簡単には噛み合わないのです。これはいい悪い、の問題ではありません。そもそも常識は幻想だということを頭において、相手と100%分かり合えることはないとの前提に立つ。これが国際政治を考える上で重要なのではないかと思っています。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。