「2〜3年前に精子が少ない状況であることに気がつきました。それから半年くらい妊活をしていたのですが、夫婦で話し合いを重ねていく中で、今は子どもを持つことにこだわるのはやめよう、ということになりました」
埼玉県在住、都内企業で働く会社員のユウヤさん(仮名・36歳)は、3年前、たまたま簡易検査キットで精子の濃度が少ないことが判明し、病院を受診。そこで、精子の量が少ない「乏精子(ぼうせいし)症」と診断された。
いわゆる「男性不妊」だ。
「測り方間違えたのかな?」突然発覚した不妊という現実
さまざまな結婚の形がある現代とはいえ、自然といずれ子どもを持つことを想像する夫婦は多いだろう。(写真はイメージです)
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お互い30歳を越えてから結婚したユウヤさんら夫婦。子どもは結婚式や新婚旅行などのイベントが一段落してから考えようと、妊活よりもむしろ避妊に気を遣っていた。
妊活を始めたのは、生活が落ち着いた後。いわゆる「基礎体温法(※)」でマイルドにはじめていったという。
(※女性の体温変化から妊娠が可能な期間を推定して妊活を行う方法)
「正直、何度か試せば子どもは簡単にできるんだろうなと思っていました」
と、自分は「不妊」という言葉とは縁遠い存在だと思っていたとユウヤさんは話す。
不妊とは一般的に、子どもを望み避妊せずに性交渉を持っている夫婦が、一定期間以上妊娠しないようなケースを指す。日本産科婦人科学会は、この期間を「約1年」と定義している。
ユウヤさんが乏精子症であることが分かったのは、妊活を始めてから半年たったころ。一般的な不妊症の定義に当てはまる前の段階だ。
当時、新規事業の立ち上げに関するイベントに参加していたユウヤさんは、そこでたまたま精子セルフチェックサービス「シーム」の事業例を耳にした。
まさに自分の年代がターゲットとされた「新しいガジェット」への興味から軽い感覚で購入。試してみると、結果が思わしくなかった。
「悪い結果が出るとはまったく思っていませんでした。正直、最初の検査の結果はあまり信じられませんでした。『昨日飲み会だったしな』『測り方が間違っていたのかな』などと理由を探しましたが、1週間後くらいにもう一度確かめてみても似たような結果で、現実を認めないといけないなと…」(ユウヤさん)
「どうしますか?」と言われても
2018年の調査では、日本では、約16人に1人が体外受精で生またことになる。不妊治療の需要は高い。
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1度目の測定の結果が出た段階で、「何かおかしいかもしれない」とパートナーには伝えていた。2度目の測定でも結果は変わらず、埼玉県内にある不妊治療専門の病院を夫婦で受診することにした。
ユウヤさんはそこで精液検査を行い、精子の量が少ない状態であることを正式に告げられた。パートナーには、特に異常はみられなかった。
「検査結果が出た後、『どうしますか?』とたずねられました。すぐに子どもが欲しいなら人工授精や体外受精、顕微授精、という方法があり、一方で自然にまかせて様子を見ていく方法もあると。
ただ、いきなり体外受精や顕微授精となるとかなりお金もかかるので、まずは生活改善や漢方、ビタミン剤を服用して様子を見てみようとなりました」 (ユウヤさん)
乏精子症や無精子症という症状は、精子の状態をあらわしているだけであり、原因が分からないケースも多い。
ただし、精子が少なからず存在するのなら、精巣から精子を取り出して顕微授精などを行うことは可能だ。また、精子の状態は日々の健康状態によって左右されることもあるため、漢方やサプリメントなどの服用により自然妊娠が可能になるケースもある。
「ただ、それ(漢方などの服用)も、半年くらいでやめてしまいました」(ユウヤさん)
「子ども」は幸せのために不可欠なのか
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なぜ、積極的な不妊治療をやめることにしたのか。
ユウヤさん自身、結婚した直後は、将来的には当たり前のように子どもを持つものだと考えていたという。
しかし、今はもう、そのこだわりは薄い。
考え方が変わったきっかけは、不妊治療開始後に積み重ねてきたパートナーとの「対話」だった。
テレビやネットを見ていれば、子どもに関する話題を嫌でも目にしてしまう。また、通院の際には、医師から「次のステップ」となる体外受精などへの考え方を問われた。
そういった生活の中で、ユウヤさん夫妻は、食事の後や休日のふとしたときに、5分、10分という短い時間でも、少しずつ互いの将来の生活に対する考え方について話をするようになっていったという。
「その中で、妻は絶対に子どもを欲しいというわけではないことが見えてきました。どちらかというと、私のほうが子どもを欲しがっていたみたいです。また、妊活に必死になって疲弊するような生活は、自分たちの望む将来ではないということも分かってきました」
10年後にどう過ごしていたいか。どんなふうに仕事に携わっていたいのか。
ユウヤさん夫妻は、どうなれば二人で幸せになれるのか、互いの本音を少しずつ積み重ねていくことで、互いに納得できる落としどころにたどり着いたというのだ 。
「もちろん、直接的に子どもについて話すこともありました。実際、養子を受けるのはどうか、という話もしました。ただそういった中で、『子どもをもつこと』が、この先の2人にとって絶対に必要な要素ではないのかもしれないと考えるようになりました。
私たち夫婦の場合は男性側が不妊でした。自分が無理するだけでどうにかできるのなら良いのですが、不妊治療で次のステップ(体外受精など)に進むことを考えると、体力的にも精神的にもつらい思いをするのは女性側です。
『子どもが欲しい』という気持ちが残る部分もありますが、積極的に不妊治療を続けることをやめたんです」(ユウヤさん)
男性不妊は「元気がない」ということではない
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ユウヤさんは、「まわりに同じような症状の人はいるのかもしれないけど、なかなか男性はそういったことを話さない傾向があります」と取材の中で語っていた。
男性不妊に対する認知の広がりを妨げる要因として、多くの「誤解」もある。
ユウヤさん自身、みずから不妊に悩む中で周囲からの軽率な一言に心を痛めることもあった。
「上司に話をしたときに『おまえ元気ないらしいな、焼き肉でも食いに行こうか(笑)』などと軽率に声をかけてくる人もいました。
正常だと思っていても、数値が駄目で不妊になることはあり得る。男性の認識を上げていかないとダメなんじゃないかと思います」
結婚をして、妊活に意識を向けている人と話してはじめて、男性不妊という現実についての基礎知識が共有できるのが現状で、そうではない人との会話はどうしても会話が食い違ってしまうことが多いという。
こういった誤解が多い状態では、男性不妊の認知はなかなか広がらない。
男性不妊、約半分は治療ができるのに見過ごしも…
不妊治療は女性だけが行うものではない。
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「不妊の原因の約半分は男性に関係していますが、その情報がなかなか男性に届きません」
こう話すのは、NPO法人男性不妊ドクターズの理事長を務める永尾光一医師だ。
日本産科婦人科学会によると、不妊のカップルは約10組に1組。近年では、妊娠を考える年齢の高齢化によって、その割合はさらに高まってくるのではないかと指摘されている。
そんな中で男性不妊に対する、男性や社会の認知度の低さは、大きな問題だ。治療そのものを妨げていることもあるからだ。
男性不妊の診断は、精液の状態を調べるところから始まる。
「精液の検査では、精液の量、精子の濃度、運動率に注目して検査がなされます」(永尾医師)
それぞれの検査数値が一定の値を下回ると、「精子の所見が悪い」と判断される。
精子の所見が悪くなる原因はいくつかある。ただし、永尾医師によると、そういった場合でも半数近くは治療が可能だという。
「例えば、精液所見の悪い人の3〜4割が『精索静脈瘤』だといわれています。あとは精子の通り道がふさがっている状態の『精路閉塞』(5%)と、ホルモンバランスなどに異常がみられる『内分泌異常』(1%程度)。これら3つは、治療が可能な男性不妊の三大要因です。また、射精障害の原因はさまざまありますが、勃起不全(ED)が原因なら薬剤による治療が可能です」(永尾医師)
精索静脈瘤や精路閉塞は、外科的手術。内分泌異常は、ホルモンの注射によって治療が施される。
治療が終われば、精子の所見が改善され、当然、自然妊娠の可能性も高まる。
「原因が分からない場合は、根本的な治療法がないため、補助的な治療を提案することが多いです。抗酸化性のサプリメントや亜鉛、漢方などですね」(永尾医師)
こうした「選択肢」がさまざまあるにもかかわらず、結果的に、治療可能な男性不妊であっても、それを知らずに人工授精や体外受精へと不妊治療のステップを進めてしまうケースもある。
というのも、泌尿器科の中でも、男性の不妊治療に対応できる病院はそこまで多くはない。日本では不妊に対する男女の意識差が依然として大きく、妻のついでに婦人科で検査することも少なくない。
「そこで精液に異常がみられると、すぐに人工授精や体外受精のステップに進んでしまうことも多いんです。治療が可能な男性不妊の原因は、泌尿器科医を受診しなければわかりません」(永尾医師)
男性の不妊に対する認知度の低さが、こういった見過ごしにつながっている側面も否定できない。
(文・三ツ村崇志)