自分の好きな道を選び、チャレンジし続けている人たちは、どんなパートナーを選んでいるのでしょうか。
パートナーとしての決め手や、リスクをとる決断や心が折れそうなピンチを乗り越える時、どんな言葉が支えになったのかなど、妻と夫にあえて同じ10の質問をすることで掘り下げます。
第2回は、完全オーダーメイドのウェディングサービスで知られるCRAZY創業者の山川咲さんと、 同社社長の森山和彦さん夫妻。2020年には共同経営者としての関係を解消したものの、夫婦としては良好な関係というお2人。果たして、お互いの存在をどのように受け止めているのでしょうか?
—— 出会いのきっかけと結婚の経緯は?
夫の森ちゃんは、前職の人材コンサルティング会社の先輩です。入社した当時はまだ20人くらいのベンチャー企業で、情熱的で活発な人が多い環境。その中で、冷静沈着タイプの森ちゃんの影はちょっと薄かったです(笑)。半年くらいかな、一緒のチームで仕事をして付き合うようになって、翌年には結婚することを決めていました。
社会人としてのスタート期に、常に目標設定をして成長意欲を高めるカルチャーに一緒に身を置いた共通体験は、今も私たちの価値観のベースになっていると思います。
—— なぜ「この人」と結婚しようと思ったのですか?
私はもともとイケメンの人が好きで、森ちゃんの顔立ちは実はタイプとは違ったんです(笑)。でも、森ちゃんとなら安心して2人で幸せになれると思えた。
私は自由奔放で大胆な人間だと思われがちだけれど、本当は臆病で怖がりで、光と影の両面をどちらも強く持っているんです。過去に付き合っていた彼氏たちはそのギャップに振り回されて、それでも好きだからと頑張ってくれて、だんだんとエネルギーを失っていくというか痩せていっちゃうというか(笑)。なので自分から別れることもよくありました。
でも、森ちゃんは、“とっ散らかっている私”を丸ごと面白がってくれる人だった。どんな私を見せても動じずに可愛がってくれる。出会ったときから、いわばおじいちゃんと孫のように私をとっても可愛がってくれて、絶対的な安全地帯のような存在でした。
今でこそ感謝していますが、私はこだわりのある親に育てられて、子どもの頃はその対等な関係性ゆえに、自分が愛されているのかがよく分からない時期もあったんです。森ちゃんに出会い、愛されて、「もう一度生まれた」ような感覚になれました。
親が自分の人生を手放さないことが一番大切
—— 日頃の家事や育児の分担ルールは?
3歳になる長女の英(はな)を保育園に送迎する担当は、週ごとにスケジューリングして分担しています。大体7:3で私が担当しますが、急な依頼とか、仕事がいっぱいいっぱいな時にはお迎えをお願いするとほとんど応えてくれるので、精神的にはかなり満たされています。料理は私が好きで作るのも早いので、どちらも家にいるときは私が担当。森ちゃんも料理上手で、(森ちゃんが)ワンオペの日には英のために腕を振るっています。「それ、私も食べたかった!」と思うくらい(笑)。
あとはそれぞれが得意な家事を積極的にやる感じで、例えば掃除は私で、整理整頓は森ちゃん。“見えない家事”って相手がやってくれていることには気づきにくいから、「自分ばかりやってる気がする!」って思いがちです。なので私の生態をよく知る森ちゃんはよく「あれやっておいたよ。あ、咲ちゃんができていないって責めている訳じゃないからね」と言ってきます(笑)。
以前は家事を外注していましたが、コロナを機に自分たちだけで回すように。今のところ結構うまくいっていると思います。
—— 子育てで大事にしている方針は?
親が子どもに与えられるのは、視野の深さと広さ。それくらいしかないと思っていて。娘にとって大好きで、世界のすべてとも言えるほど影響を受けるお母さんの私自身が、日々何を見て、何を感じ、何を信じているかを見せていく。私自身が自分の感性を磨き続けて、自分の人生を手放さないことが一番大切だと思っています。私は愛しい誰かに対して、とことん尽くしてしまうところがあると自覚しているから、意識的に「自分の人生を大切にしよう」と思うようにしています。
日常的な関わりの中では、「食」は大事にしています。私の母は、私が生まれたときに「この舌に触れる食べ物は本当にいいものだけにしたい」と誓って、そのとおりにこだわった人でした。そんな母を尊敬していた私も、娘に与える離乳食はすべて手づくりし、冷凍を一度もせずに頑張りました。仕事もしながら、夜中の3時に起き出したりして。
でも離乳食の時期を終えたときに、自分の人生を失うほど頑張り過ぎるのはやめようって思ったんです。お母さんであるだけで、十分パーフェクト。どんなお母さんも、一生懸命できる限りのことを子どもにしているのに、「もっと」とか「完璧」を求めるのはやめようと思いました。今でも食事を大事にしたい気持ちは変わらなくて、時々の特別な外食を計画したり、心から食べたい献立を考えたりして、料理も楽しんでいます。
もう一つ、子育てで大事にしているのは、娘を「子ども扱いしない」ということ。赤ちゃん言葉は使わずに、一人前の人間として、大人にするのと変わらない言葉でコミュニケーションをしています。森ちゃんはもっと理論派なので、3歳の娘に「おやつを今食べるのか、後で食べるのか。自分で決めることが大事だよ」と、セルフマネジメントの話をよくしています(笑)。一人ひとりが自立して自分の人生を向上させていきたいねって話しています。
離婚は3回くらい考えた
—— お互いの自己実現を支援するために、大切にしてきたことは?
私にとって森ちゃんは、常に応援してくれる人。「咲ちゃんならきっとできるよ」と言い続けてくれます。私が森ちゃんにとって何ができているか、あまり意識したことはないけれど、“彩り”のような役割なのかな。
森ちゃんは凪いだ海のように安定した精神を持っていて、物事も冷静にバランスよく見極めている人。私は「全力少女」といつも表現されますが、おそらく森ちゃんの想定範囲を超えるエネルギーを何かに注ぎながら、常に全力で生きていると思います。だからこそ私と出会ったことで、森ちゃんには1人では体験し得なかったような出来事が、きっとたくさん起きていると思います。苦労や挑戦、感動……森ちゃんの世界に彩りを与えて、人生をダイナミックに味わう兆しを運ぶ。そして2人で波を越えていく人生を丸ごと楽しむ。そんな関係だと思います。
—— 夫婦にとって最もハードだった体験は? それをどう乗り越えましたか?
離婚したほうがいいんじゃないかなと考えたことは、3回くらいあります。
私は一つのことに没頭して自分がいいと信じるものを創り出そうとする人間で、だからこそ完全オーダーメイド型のウェディングを生み出せた。その半面、家族や会社に対して自己犠牲的に尽くし過ぎて、自分を失ってしまう不安に襲われることが時々あるんです。会社が大きくなるにつれて、会社や森ちゃんという存在が、私が私であることへのストッパーになっているように感じることが多くなった。大好きな会社なのに、居続けることがつらくなったんです。
結果、2020年3月に、私は自分がつくった会社を卒業することを決断。森ちゃんは最初は本当に驚いて、珍しく取り乱して反対したけれど、最後には私の気持ちを尊重してくれました。
独立後は、決まっていた仕事がコロナで延期になったので、娘と2人で奄美大島に2カ月滞在し、自分の人生や家族のことを見つめ直しました。
時間が経つにつれて気づいたのは、森ちゃんも会社のみんなも英も、私の人生を心から応援してくれていたのだということ。森ちゃんは「僕にしかCRAZYの経営ができない」という言葉で、私を解放してくれたんだという、深い愛に気づきました。
経営者仲間の男友達からは「オレだったら共同経営者の関係は続けたまま、離婚するけどな」と言われたけれど、私にとっては、会社よりも家族のほうが自分と切り離せない存在だった。会社は自分から生まれても、形を変えていくもの。大きくなるにつれて、いろんな正解が見えてきて、森ちゃんとお互いの“正しさ”を主張する関係になっていくのはつらかった。このままじゃ、創造的な関係を維持できないと思ったんです。
離れてみて1年経って、今はお互いのチャレンジをピュアに応援できるようになって、とてもいい雰囲気です。「ねぇ、私、やっぱり世界を変えたい。これをしようと思うの」「いいね、最高だね。咲ちゃんならきっとできるよ」って(笑)、CRAZYの創業期のような会話ができるのが嬉しい。あの頃にオーダーメイドウェディングができる式場がなかなか見つからなくて途方に暮れていた夜、森ちゃんが創業メンバーを東京タワーに連れて行ってくれて夜景を見ながら、「これだけ無数の会社が世の中にはある。使える会場がないなんてありえないよ」と言ってくれた、あの頃と同じ森ちゃんがまたそばにいる。
人生の難しい局面で何度かあった、別れるべきか迷うその度に、森ちゃんと生きていく人生を、やっぱり何度も選んでしまうんです。
「相手はこう思っている」という思い込み
—— パートナーから言われて、一番嬉しかった言葉は?
たくさんあるけれど一番最近で嬉しかったのは、「そんな咲ちゃんが僕は好きだよ」という言葉です。一緒に創業した森ちゃんを会社に残して独立して、自由に奄美の暮らしを体験して、全国を旅をしながら、新しい挑戦に向かうエネルギーを満たしている私のことを、森ちゃんはどう思っているのか、実は少し懐疑的だったんです。その間、森ちゃんはずっと大変な経営をしていたから。
でも、森ちゃんはそんな状況をものともせず、純粋に私のことが好きだと言ってくれた。出会った頃の「好き」の意味とは違う、いろいろなことを共に乗り越え、恨まれてもおかしくないくらいの経験をした後の「好き」は深く沁みました。
夫婦って、理解し合っているようで、ちょっとした日々の言葉や表情から「相手は自分のことをこう思っているんじゃないか」と勝手に思い込んでいることって結構ありますよね。話してみると実は違っていることも多いというのは、ウェディング事業でカップルのヒアリングをしていた経験からも学んだことです。
—— これからの夫婦の夢は?
子どもはあと何人か欲しいです。夫婦としては、常識にとらわれず、自分たちが納得できる関係を引き続き築いていきたいです。関係性って相手と私にしか理解し得ないものだし、それが正しいと思うから、自分たちにとってのベストを、ずっと探求したいなと思っています。
独立後は、新たな出会いにも恵まれて、今は新しい高専をつくるプロジェクトに没頭しているところ。「共同創業者だった妻が会社を離れて新しい事業に夢中になることに快く思わない男性もいる」とこのインタビューで言われて、「そうかもなぁ」と気づいたくらい、森ちゃんは私を100%応援してくれています。何よりも私が幸せでいることを願ってくれている人なのだと、この1年でまた心から理解できました。
そして、またいつか森ちゃんと2人で事業をつくれたらいいな。こんな気持ちも、私が会社を卒業しなかったら生まれなかったかも。我ながらいい決断をしたなと思います(笑)。
自分の幸せと他者との幸せ、両方を諦めない
—— 日本の夫婦関係がよりよくなるための提言はありますか?
割り切らないで、そして、諦めないでいましょう。人は自分の人生を尊重したいと思うと同時に、他者と交わり合いたいと願う生き物。他者との融合の最たる関係が夫婦なのだと思います。
そこでよく起こるのは、期待のかけ違い。相手に期待して、「期待してくれたのにやってくれない」という失望が、夫婦の不幸の原因になってしまう。ちょっと油断すると、「私の人生がうまくいかないのは彼のせい」という考えに陥りがちなのが夫婦関係。そのことを自覚して、意識的に相手への期待を捨てて、「自分は自立した個人としてどうしたいのか」を突き詰めていくことが大事な気がします。
一人では生きられない心許ない存在である自分を知った上で、自分が幸せであることと他者と交わることの両方を諦めない。提言というより、私自身の誓いです。
—— あなたにとって「夫婦」とは?
同じ運命を背負う人。自分が選んだ運命の中で、どう自分が成長でき、生き抜いていくのか。共に生きる時間の中で起こり得る酸いも甘いもすべて、成長へと変えていける。私にとって夫婦とは、「変化する信頼」を重ねたパートナーであり、互いに選んだ運命を共に生きる人です。
(後編の夫編に続く)
(聞き手・構成、宮本恵理子、撮影・千倉志野)