「よくこんな時代に、僧侶になろうと思いましたね」
フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち(フリスタ)」の編集長、稲田ズイキ(28)が僧侶としての修行を始めた時、指導員の僧侶に言われた言葉だ。
確かに「坊主丸儲け」という言葉は過去のもの、寺院は今、総じて厳しい時代を迎えている。
少子高齢化が進む中、檀家の数は先細りだ。過疎の集落が消えていく中で、2040年までに約7万7000ある仏教法人の3分の1が消えかねないとの推計もある。お坊さんを呼ばない家族葬や散骨、維持できなくなった墓を処分する「墓じまい」も増えている。
お坊さんの側も後継者不足で、1人の僧侶が複数の寺の住職を兼務することも珍しくない。住職の常駐しない寺は、地域住民との関わりも途絶えがちだ。
仏教をアイドルや『鬼滅の刃』と絡めて語る
稲田は京都・久御山町で400年以上続く寺、月仲山称名寺に生まれ育った。
提供:稲田ズイキ
稲田は今、京都にある実家、称名寺(しょうみょうじ)で副住職を務めるかたわら、「煩悩クリエイター」を名乗ってフリスタの編集長としても活動し、信仰の有無を超えて若者の支持を集めている。2020年末には初の著書も出版した。
彼の持ち味は、仏教と現代のコンテンツとの組み合わせの妙にある。ある時は諸行無常を「推し」アイドルに絡めて「彼女たちはいつか必ず卒業してしまうのだから、今を大事にして推せるうちに推せ」と説明し、またある時は般若心経を、アイドル集団「ハロー!プロジェクト(ハロプロ)」のエース集団に例える。稲田自身、小学生のころに「モーニング娘。の加護(亜衣)ちゃんと結婚する」と決めて以来のアイドル好きでもある。大ヒット漫画『鬼滅の刃』やミュージシャンも、さかんに題材に取り上げる。
「お経ってレゲエやテクノと相性がいいし、浄土宗は合間打(あいまうち・木魚を裏拍で叩くこと)なので、ジャズにも合います」
こんな彼の話を聞いていると、仏教までもがファンキーで楽しそうなコンテンツの一つに思えてくる。
コロナ禍の最新号、テーマは「地獄」
コロナ禍は、社会に広がりつつあった「分断の空気」をさらに強めたように見える。自分かわいさに人を攻撃する「自粛警察」が目を光らせ、シングルマザーや失業者が貧困に陥るなど格差もじりじりと広がりつつある。2020年にはテレビ番組で誹謗中傷を受けたタレントが、命を絶つ事件もあった。
稲田は「共感力の強いタイプ」と自ら認めるだけに、こうした不安の高まりに敏感に反応し、精神的に参ってしまったという。
「なぜ人は人を傷つけてしまうのかと、どんどん悲しくなっていきました」
仏教は、世の中のすべてはつながっており、互いに影響を与え合っているという「縁起」と「因果」を説く。このため
「万が一自分が感染して、高齢の檀家さんにうつしてしまったら、という思いにがんじがらめになり、一歩も動けなくなってしまった。当時は仏教の教えにも苦しめられた」
と振り返る。最初の緊急事態宣言が出された2020年4~5月には、ストレスのため、三半規管に異常をきたすメニエール氏病も患った。
社会はまさに地獄。そんな思いから、フリスタ最新号のテーマは「地獄」となった。
表紙は、閻魔大王がスクリーンに映し出された「現代の地獄」を眺める風刺的なものだ。
「あなたが『地獄』と感じたこと」をネットで募集すると、「月の残業180時間」「SNSのクソリプ」「失恋」など、100件以上の「地獄」が寄せられた。誌面にはこうした人々の声や、イラストレーター・みうらじゅんのインタビュー、「地獄研究家」との対談などが盛り込まれている。面白く読めるが「宗教臭さ」はあまり感じられない。稲田は、
「仏教的な『地獄』を伝えるのではなく、みんなと一緒に地獄を考えたかった」
と語る。
編集長就任も「仏教広める気はない」
「フリースタイルな僧侶たち」はこれまでに58号を発刊。2017年4月号(写真左)ではメンバーの思いを特集。稲田はこの年同誌を手にし、衝撃を受けたという。
フリスタは2010年に創刊され、ステレオタイプな仏教のイメージを覆す記事を生み出す一方、修行体験などのリアルのイベントも仕掛けてきた。稲田は3代目の編集長に当たる。
2017年、僧侶になるための修行を一応終えたものの、将来の展望を描けずうつうつとしていた大学院生の稲田に、住職である父親が「こんなのもあるで」と手渡してくれたのが「フリスタ」だった。
稲田はまず、「フリースタイル」というタイトルに衝撃を受けた。「その日は興奮のあまり、ノートに寺で挑戦したいことをいくつも書き出した」ほどだった。
この時の感動がその後、地元の町と実家の寺をつなぐウェブサイトや、「寺主(じしゅ)」制作映画といった試みにもつながった。「僧侶にも面白いことはできる」というメッセージを発信し、本当の意味で仏教の道に進むよう、稲田の背中を押したのがフリスタだった。
2017年には実家の寺を舞台にし、住職である父や檀家までをも巻き込んだ映画を製作した。
寺主制作映画『DOPE寺』予告編
実家の寺は小規模で、生計を立てるためにはサラリーマンとの兼業が不可欠だ。稲田も翌年、東京の広告代理店に就職した。ウェブ制作の力を買われてフリスタの編集に参加するようになり、2020年9月、紙面のリニューアルで新しい編集長を探すことになった時に「恩返しのつもりで」手を挙げた。
稲田はフリスタを、10~20代の若い世代に読んでほしい、と考えている。彼らは宗教から遠いように見えて、実は「マジ卍」だの「成仏」だのといった仏教用語を知らず知らずのうちに使ってもいる。
「若者が日ごろSNSでつぶやいている出来事は、僧侶の側から見るとこんな世界ですよと紹介することで、彼らの世界をより豊かにするお手伝いをしたい」
フリスタを通じて、多くの人に仏教を広めよう、とも思っていないという。
「誰かを自分の思想で染め上げようとすれば、必ず反発を招き、対立の火種を生む。仏教の『版図』を広げるという考え方には気持ち悪さを感じるし、中央集権的で、仏教本来の教えに沿ってないと思う」
稲田は現代を、一人一人が「心のよりどころ」という小さな同心円を持つ社会と捉えている。そして「仏教から見ると、あなたの円とあの人の円にはこんな共通点があるんですよ、という視点を示して、小さな円同士をつなぐ架け橋になりたい」と語った。
形式主義が招いた「寺離れ」
フリスタの代表で、三津寺(大阪市)の副住職を務める加賀俊裕(35)は、「フリースタイルでありたいというのは、稲田君の信念そのもの」と話す。
加賀の言うフリースタイルは、僧侶らしくない振る舞いをあえてする、という意味ではない。
僧侶は、法事やお葬式など日常の壇務をこなすうちに「このタイプの人にはこの話題」「得意な法話はこれ」といった「型」が決まりがちだと、加賀は言う。人の生死と日々向き合う中で自分がつぶれてしまわないためには、型を使って人から受け取った「苦」を手放すことも、ある程度は必要だともいう。
「しかし型にとらわれすぎると、壇務は寺を維持するための仕事にすぎなくなり、人々に世間とは違う価値観や、高い視野からの見方を示すという僧侶の存在意義が失われてしまう。僧侶が型に頼りすぎたことが、人々の共感を失い『寺離れ』を招いた一因でもあると思う」
加賀は、形式主義的で変化を嫌うようになった寺の在り方を「沼」に、そして稲田を流れる川に例えた。
「稲田君は目の前にいる人の『苦』とがっぷり4つに組んで、苦を取り除くための方法を何物にもとらわれずフリースタイルで考え続けている。いつまでも自由でピュアなままで、教わることが本当に多い」
加賀はリニューアルしたフリスタの仕上がりに「編集長を任せて良かった」と感じたという。
「これからも稲田君には、万人向けのこじゃれた言葉ではなく、彼自身が伝えたい人に話しかけるように雑誌を作ってほしい。彼の言葉がガツンと届く人もいれば、チクチク刺さる人もいる。それでいいと思う」
(敬称略、第2回に続く)
(文・有馬知子、写真・伊藤圭、デザイン・星野美緒)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。