舞台は京都の南、巨大なショッピングモールだけが存在感を主張しているような田舎町の、小さな寺だ。チーンという鉦(かね)の音とともに「shake it shake it 釈迦」というラップが始まり、白い着物姿の副住職、稲田ズイキ(28)が、ライムを刻み始めた。
「何もねえ町 これは白紙 つまり革新の価値ある余白に変えてく 俺がそう坊主 描いてく この先の予想図 わかるかこのemotion」
提供:稲田ズイキ
対するは、水冠を被った法衣姿の父住職。こちらもラップで返す。
「のう お前何言うとんのや 何が白紙? 何が革新?」
2017年に稲田が実家を舞台にプロデュースした「寺主(じしゅ)」製作映画『DOPE寺』の1シーンだ。2人の後ろでは、本物の檀家のおじちゃん、おばちゃんたちが半分面白そうに、そして若干困惑の表情で、ビートに合わせて3本指を振る。
稲田と両親は撮影に当たって、ポスターを手に全檀家を回り、出演をお願いした。大半の人が「面白そう」「お寺が盛り上がるなら」と快諾してくれたという。
稲田は高校時代に脚本家を志し、賞に応募した経験もある。
「田舎ならではの寺と檀家の近さや、コテコテの寺の風景と音楽のアンバランスさを映画で表現できたら、外からは奇怪にも、面白くも映るんじゃないか、と思ったんです」
と、制作の動機を語った。
確かに映画からは「厳粛で荘厳」といった従来のイメージとは違う、金色多めで衣装も派手めな、お寺の別の顔が見えてくる。
「仏教をばかにしている」先輩僧侶から叱責
大学時代の稲田。髪型も衣装も「僧侶」のそれだが、修行には身が入らなかったそうだ。
提供:稲田ズイキ
稲田は、兄が早くから寺を継がないと公言していた上、「優しいから、あなたの方が僧侶に向いている」と親から勧められたこともあって、子どものころから何となく「寺を継ぐ」と決めてはいた。しかし僧侶を「辛気臭くて、ダサい」と思っていた時期も長く、中学時代は自分に線香の香りが染みついているように思えて、気になっていたという。大学の夏休みなどに、一定期間行われる修行を終えた時も、「虚無感でいっぱい」だった。
「父や近所の和尚さんを見ていると、毎日同じことの繰り返し。うちの寺は小さくて住職一本じゃ食べていけないので、就職してサラリーマンをやりながら法事やお葬式をする、という道筋も見えてしまった。自分はこれで人生終わるのかと、絶望した」
「僧侶の息子あるある」だというが、修行にも身が入らず「だらだらやっていた」(稲田)。僧侶になる最終試験の穴埋め問題では、来迎引接(らいごういんじょう)という仏教用語を思いつけず、記憶にあった音を頼りにこう書いた。
「清涼飲料」
修行が終わって解散する時、稲田だけが残され、指導役の高僧たちに囲まれて、「仏教をばかにしている」と散々絞られた。ある指導員はこう言ったという。
「清涼は仏教用語やから百歩譲ってまだ許せるけど、飲料はあかん」
その後稲田は、「フーリスタイルな僧侶たち(フリスタ)」との出合いなどさまざまな経験を経て「仏教ラブ」を公言するに至る。修行についても「今となっては、もっと学んでおけばよかったと後悔している」と話した。
映画祭にテレビ取材、100人が来訪
2017年には「テ・ラ・ランド」と題した映画祭を企画したが、父住職は否定的だった。
提供:稲田ズイキ
稲田は2017年、東京にある広告代理店への就職が内定した。将来は地元に戻って寺を継ぐと決めていただけに、いざ故郷を離れることになると、後に残していく寺が気になった。
高齢化が進む中、自分が寺を継ぐ時に檀家はどれほど残ってくれているのか、寺をどのように成り立たせればいいのか。「東京に行く前に、この寺で自分に何ができるか、可能性を確かめたい」と考え、思いついたのがミュージカル映画だ。
しかし最大の壁は「保守的で、堅実」な父住職だった。
稲田はそれまでも、「モーニング娘。を仏教的の視点で読み解く」などのブログがネットでバズり、メディアに出演する機会もあった。しかし父が喜ぶ姿を見たことも、褒められた記憶もないという。
「僕が『新しいことを始めたい』と話しても、父から『目立ったことはしてくれるな』と釘を刺されることが多かった」
稲田は若い僧侶仲間からも、父親や檀家の意向で新しいことを始められない、という話をたびたび聞くという。寺の僧侶である以上、お布施で経済的に寺を支え、子どもの頃からお世話にもなっている檀家の声をむげにはねつけることはできない。ラップのごとく「何が革新?」と反論されれば、若造は口をつぐまざるを得ないのだ。
父親は、稲田が映画撮影の理由を説明しても、「何の意味があんねん」「俺は出ない」と前日まで言い続けた。最後には稲田は説得を諦め、ただ「やるよ」と繰り返した。
「本気でやりたいという気持ちを見せて、押し切るしか方法はなかった」
結局当日になって、父親は観念したのか「仕方ない」と応じる。そして生まれたのが冒頭の「説法ラップバトル」だった。
映画を上映するため「テ・ラ・ランド」と題した映画祭を企画すると、テレビ局の取材なども含めて100人余りが寺を訪れた。「この寺でも面白いことはできる」という手ごたえとともに、稲田は東京へ出発する。
編集者を夢みたのに配属は営業
約1年勤めた広告代理店での過去を振り返る稲田は、少し苦々しい表情をしていた。
稲田のブログを読んだ社員に、「キミは編集者の才能があるよ!」と力説されて入った会社だったが、ふたを開ければ配属先は営業だった。クリック広告の値段を上げ下げしたり、サイトの閲覧数が増えるよう対策したり。「やりたくない仕事ばかりで、もやもやした」という。
同期入社で友人の野田翔(現Business Insider Japan編集部員)は、「当時の稲田は本当に鬱屈して、目が死んでいた」と振り返る。一方で野田は、「世の中に起きていることや会ったことのない人の気持ちですら『自分ごと』として捉え、できることはないかと常に考えている」稲田の気性を、高く買っていた。
野田は当時、副業で自分でもメディアを運営していた。ネットの世界は攻撃的な言葉が飛び交い、記事が炎上することもある。だからこそ「自分たちのメディアには、疎外されてしんどい思いを抱える人を見つけて、声を掛ける優しさが必要だ」と考え、稲田を誘い入れた。記事を書いている時の稲田は、仕事とは一転して生き生きしていたという。
稲田が目指すのは、「対立構造をあおり、仮想敵を作りがち」(稲田)な、SNSの世界とは真逆の文章とも言える。アイドルや漫画を題材にしたり、ギャルに色即是空を語らせたりするのは、読みやすさのためもあるが、「例え話にすることで結論を明言せず、読者自身のイメージに委ねたい」という思いからだ。
「仏教では『仏の姿は一人ひとり違う』、それぞれが心で感じ取るものだと説き、悟りの内容すらあいまいにしか説明されていない。絶えず変化する事象を言葉で切り取ってしまうのは、固定観念や執着など『苦』の原因になるとも教えられています」
高校時代に岡田斗司夫を愛読したという稲田の文章は、評論の形を取ることが多い。しかし、いずれは宮沢賢治のように「心にあるものを、物語で表現したい」とも語る。分断した人々をつなぐのは、物語への「感動」だと考えているからだ。
「自分の言葉で人を染めるのではなく、感動を呼び起こし、人々がつながり合えるようなものを書きたい」
これまで息子を褒めなかった父住職は、稲田が2020年に初の著書を出版すると、「昼ごはんも食べずに」(稲田の母)書店を回り、5冊購入して人に贈った。
(敬称略、明日に続く)
(文・有馬知子、写真・伊藤圭)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。