一般人にとって僧侶は、難局に直面しても取り乱すことなく、悟りすましているようなイメージがある。しかし稲田ズイキ(28)は、
「僧侶だってもやもやするし、泣きも悩みもする。自分のことが一番見えなくて苦しいのも、普通の人と同じ」
と話す。
「仏教で悟った人はブッダだけ。どんな人間にも必ず悩みや怒り、欲望などの『煩悩』があり、煩悩を見つめる中で悟りへの道が開ける。しかし、『あるべき僧侶』の姿に縛られ、自我を押し殺して苦しむ若い僧侶も多い」
僧侶は決して聖人君子ではないのに、人前ではしたり顔で仏教を説かなければいけない。本当の自分とのギャップに苦しみながらも、僧侶ゆえに他の人に悩みを打ち明けられない。悩んだ末に、うつに陥る人もいるという。
だから稲田自身は、
「自分も一人の悩む人間だということをさらけ出し、みんなと一緒に悩む存在へと、僧侶を再定義したい」
と語る。
法話で涙、何も喋れず
幼少期の稲田。地元・京都で幼い頃からふれあった人の葬儀では、感情が抑えられなくなることもあった。
提供:稲田ズイキ
こう考えるようになったきっかけは、3年ほど前の出来事だ。副住職として近所のおばちゃんの葬儀を務めた時、稲田は法話の時に泣いてしまった。
修行では法話で泣いてはいけないと、散々指導されていた。しかし子どものころ、毎日登下校で出会うたびに「おはよう」とあいさつしてくれたおばちゃんの笑顔が目に浮かぶと、涙がこみ上げ何も話せなくなった。
「仕方がないので『今日は寒いですね』と言ったら、参列者が笑ってくれた」
終了後に稲田が謝罪すると、施主は「あれでよかったですよ」。父も「いいんちゃう」と言っただけだった。
それ以来、「宗教の固定観念に固まりすぎず、自分の感情に素直になることも大事だ」という思いが強まった。「実は僧侶の多くが、薄々同じことを考えているのでは」とも言う。
「葬儀や法事など現代の宗教儀式は、信仰よりもお世話になったとか、付き合いが長いといった人間同士の関係性が拠りどころになることが多い。僧侶も自分と故人の『物語』に乗せて『お見送り』をするのも、一つのやり方だと思う」
仏教広めることが分断を生む皮肉
2018年には独立し、「フリーの僧侶」になった稲田。当時はアフロの髪型がトレードマークだった。
提供:稲田ズイキ
稲田は2018年、会社を辞めて「フリーの僧侶」になる。お盆などには実家の寺を手伝いつつ、東京の友人宅に家賃1日200円で居座り、ライターやメディア出演の活動を続けていた。しかし、次第に「仏教にとらわれずフリースタイルを貫いているつもりが、仏教に取り込まれてしまっている」というジレンマが強まっていく。
メディアに出るたびに、「滝に打たれたんですか」「毎日庭掃除してるんですか」といった、ステレオタイプな質問に答えることに徒労感を抱いた。ただ当時の稲田は、間違ったイメージを修正することも含めて、「仏教を人々に伝える」のが、僧侶としての自分の役割の一つだと考えていた。
しかしSNSで一般の仏教愛好家が何かを発信すると、決まって「仏教はそんなものではない」「修行を終えてこそ会得できるものがある」とマウントポジションを取る僧侶が現れる。稲田自身はそれを「くだらない」と一蹴するが、自分のフォロワーからも時折「(僧侶の)〇〇さんに負けないで」という「激励」のメッセージが入り、困惑した。「仏教について発信することが、分断を生む」という皮肉な構造を前に、仏教を伝えることは、果たして人を幸せにするのかと、悩むようになった。
何よりも嫌だったのは、身の回りで何かが起きるたびに、口から自動応答装置のように「それって仏教的だよね」「仏教ではそれは……といった意味で……」という言葉が流れ出るようになった自分だ。友人が泣きながら、「お父さんが病気で余命宣告を受けた」と電話してきた時も、「諸行無常」という言葉が真っ先に思い浮かび、そんな自分に激しい嫌悪感を覚えた。
「法話で泣いた時の姿から自分がどんどん離れていく。今自分が仏教について発信しているのは、単なる自己満足ではないか。一度何もかもリセットし、もっともっと多くの人と会って、本当にやりたいことが何なのか見極めたくなった」
バックパック背負い、「出家のち家出」
家出中の稲田。かつての僧侶も寺に常住せず、「遊行(ゆぎょう)」という全国を旅する修行をしていたという。
提供:稲田ズイキ
2019年5月、稲田は修行と称して、お世話になっていた友人の家を出た。Twitterで「泊っていいよ」とメッセージをくれた見ず知らずのフォロワーや、長く音信不通だった大学の先輩、僧侶仲間などの家を渡り歩く生活が始まった。
バックパックに、身の回りの品に加えて木魚を入れたのは、「何もかもリセットすると言いつつも、僧侶としての自分を手放すことに葛藤があったんだと思う」。
木魚は結局、家出中一度も使わず、場所ふさぎなだけだった。その上、バッグを床に置くたびに「ぽこっ」と間の抜けた音を立てた。
稲田はほぼリアルタイムで、家出中の生活や思いを幻冬舎のウェブメディアの連載につづった。最初のうちは、「疲れた」「家に帰りたい」「一体僕に何ができるだろう」といった、暗いトーンの文章が目立つ。宿泊先の相手と夜更けまで話し込むので睡眠不足になったし、泊まる場所がなくて、公園やファミレスなどで夜明かしせざるを得ないこともあり、実際に疲れもたまったという。交通費などの出費が予想以上にかさむのも痛手だったが、連載の読者にアプリでの「お布施」をお願いするなどして賄った。
一方、訪問先の人に御馳走でもてなされることも多く、体重は5キロ増えた。夜更けに洗濯してもらい、宿泊先の子どもを風呂に入れ、初対面の人と銭湯に行く。そんな中で次第に「僧侶らしくしなければ」と力んでいた肩の力も抜けていった。
家出が後半に差し掛かったころの記事には、「誰かのおうちに泊まっている時、誰も僕を僧侶だと思って接してはいない」とつづられている。
僧侶も一人の人間として生きていい
中学時代の稲田。この頃の友人には数年の間、僧侶としての活動は伝えていなかったという。
提供:稲田ズイキ
稲田にとって決定的だったのが、家出して半年ほど経った時の1本の電話だ。
目黒駅を出たところで、突然スマホに着信が入った。通話ボタンを押すと、中学時代の卓球部顧問の、あっけらかんとした声が耳に響いた。
「おう、みずき!」
稲田の名前は「瑞規」という。僧名とペンネームはズイキだが、戸籍上の読み方はみずきなので、同級生や学校の担任、近所の人などはみな「みずき」「みーちゃん」と呼ぶ。顧問は稲田の反応に頓着なく、来週地元の町で卓球大会があるので、手伝いに来いと話し続けた。
「稲田ズイキとは何者か。僧侶は何をすべきか」ということばかり考え続けていた稲田は、「みずき」と呼ばれて、分裂した別人格を突然呼び出されたかのような不思議な思いに駆られた。しかし続いて、頭の上の雲が晴れるような気持ちになったという。
「ズイキに人生を引っ張られ、28歳の人間である『みずき』を置き去りにしていた。でも本当は僧侶であることにとらわれず、人としての生を同時に生きていい。ズイキとみずきの間で揺れながら存在していいのだと、腑に落ちた」
ふたつの名前を取り戻し、稲田は2019年11月24日、家出を終えた。
稲田は家出の後、それまで僧侶としての活動を知らせていなかった「みずき」の友人たちに、あえて著書を出版した、という情報を伝えてみた。すると多くの人から「良かったね」「おめでとう」とメッセージが入り、本を買ってくれたという人もたくさんいた。
「僧侶としての自分の活動など、彼らにとってさほど意味があるとは思っていなかったのに、多くの人が喜んでくれた。この時も『みずき』と『ズイキ』は、1本の糸でつながっていると思えた」
と、嬉しそうに話した。
(敬称略、明日に続く)
(文・有馬知子、写真・伊藤圭)
有馬知子:早稲田大学第一文学部卒業。1998年、一般社団法人共同通信社に入社。広島支局、経済部、特別報道室、生活報道部を経て2017年、フリーランスに。ひきこもり、児童虐待、性犯罪被害、働き方改革、SDGsなどを幅広く取材している。