必要なのは「自分探し」ではなく「キャリア戦略」
「あなたらしさとは何ですか?」——これは企業のキャリア研修で実によく投げかけられる問いです。それに続くワークでも、多くのケースではアイデンティティに関する内容に多くの時間が充てられる。このように、これまでのキャリア論はどこか自分探し的なニュアンスが強く、私はそこに問題意識を持ってきました。
というのも、ビジネスパーソンにとってのキャリア論とは、ビジネスシーンでの一挙手一投足のヒントになるような、身近で具体的で実践的、かつ戦略的なものであるべきだと考えるからです。研修の中でしか使えないようなキャリア論では困るのです。
私が本連載やその底本となる拙著『プロティアン』で試みているのはまさに、こうした問題意識に応えることです。
プロティアンという最新のキャリア理論に、キャリア資本論を接合させる。そこでは、貸借対照表(バランスシート)のフォーマットを用いて、「ビジネス資本」「社会関係資本」「経済資本」の3つの資本の蓄積と転換から形成される「キャリア資本」に焦点を当てる。こうすることで、キャリアを戦略的かつ計画的に考えることができるようになるのです。
キャリア戦略に役立つフレームワーク「3S分析」
そこで今回はさらに一歩進めて、キャリアを戦略的に考える知見を磨きましょう。ここでもビジネスの現場で使われるフレームワークを応用してみたいと思います。
企業戦略を考える際の環境分析フレームワークとして「3C分析」と呼ばれるものがあります。3Cとは、顧客(Customer)、自社(Company)、競合(Competitor)の頭文字。この3つのドメインから現状の課題や成功要因を導き出すことで、中長期にわたる有効な計画を戦略に立てられるというものです。
ビジネスシーンで用いられているこのフレームワーク、実は個人のキャリア形成のヒントにすることもできます。キャリア戦略を考える際の分析フレームワークとして私が提唱したいのが、「3S分析」です。
筆者作成
「3S」とは、あなたがキャリア戦略を考えるうえで必ず分析すべき3つの対象——自己(Self)、状況(Setting)、社会(Society) です。1つずつ詳しく見ていきましょう。
自己(Self)
まず、キャリア戦略で大切なことは、自己(Self)を把握することです。自己とは、日常のさまざまな行動や意思決定、物の考え方や思考の源泉となる、あなたがこれまで生きてきた歴史そのものです。
自己は、これまでの経験と今の仕事を客観視することで見えてきます。先に述べた「キャリア資本」という概念も、自己を客観的に把握するのに役立つはずです。
あなたがこれまで働いてきたことでどんな自己資本を蓄積してきたのかを把握し、そして、今の仕事でどのような資本を形成できているのかを考えてみてください。
状況(Setting)
次に重要なのが、状況(Setting)です。あなた自身が今置かれている状況を捉え直してください。
例えば私の場合であれば、主には大学の教員として働いているので、勤務している大学と同規模の他大学の同年代の教員の働き方と比較して何が足りていないのか、自分の武器は何かを分析します。
ここで勘違いしないでいただきたいのですが、妬んだり羨むために他人と比較するわけではない、ということです。あくまでも、自分の位置を把握するために、自分をとりまく状況を冷静に分析することがポイントです。
私は隙間時間を見つけては、この状況分析を行っています。日頃はパソコンを用いて文章などを打ち込んでいますが、状況分析は手帳に書き込んでいます。
自分をとりまく状況を可視化させることで、今やるべきこと、これからやるべきことが整理されます。あわせて、やらなくてもいいのに時間がとられていることにも気づくことができます(「やらなくていいこと」については、連載第7回を参照)。
コツは、自分がいま置かれている状況をつくり出している「外部環境要因」と「内部環境要因」をそのつど把握しておくこと。これでより的確な分析ができるようになります。
私たちのキャリア形成には、そのつどの的確な意思決定が欠かせません。経営戦略を思い浮かべてください。状況分析に基づく意思決定を疎かにすると、売上が鈍化していきます。これはキャリア戦略においても同様です。常に状況を把握して、何をすべきかを考える癖づけをしておくことが大切です。
社会(Society)
そして、軽視できないのが社会(Society)です。自己のこれまでの蓄積や、いま置かれている状況を把握したら、それが社会トレンドの中でどう位置づけられるのかを定期的に把握しておくようにすること。私が一番大切にしているのは、この「社会分析」です。
いま何が起きているのか、これからどうなっていくのか、自分なりの仮説を持つようにしたいものです。そのために、学びをアップデートし続けるのです。
この社会分析を行うと、社会における自己の立ち位置が明確になります。別の言い方で表現するならば、働く自己の社会的存在を意識できるようになります。目の前の業務をただこなすだけでなく、目の前の業務が自らのキャリアにとってどんな意味を持つのか、どんなキャリア資本を形成するのかを把握したうえで、その業務がどんな社会的インパクトにつながるかを考えられるようになるわけです。
ビジネスを通じて、社会を悪くしたいと思う人はいません。仮にそのようなやましさがあるビジネスモデルは、持続可能ではありません。必ず淘汰されます。「働くことの意味を考える」「これからのキャリアを考える」ということは、けっして、自己(Self)だけを考えることではありません。状況(Setting)を理解し、社会(Society)への貢献を具現化することなのです。
理想を語るのではなく、行動計画を立てる
撮影:今村拓馬
キャリア戦略とは、「どうなりたいか」の理想を語ることではありません。これまでの自分、そして、いま置かれている状況、それらをとりまく社会トレンドとの関係性を緻密に分析したうえで定める、中長期での「働き方と生き方の行動指針・計画」なのです。
キャリア形成で大切なことは、自らのキャリア形成に関して、圧倒的な当事者意識を持つことです。プロティアンはキャリア自律を促進させる理論フレームです。
上司や会社に指示され、仕事でのアウトプットだけを求め続ける働き方は、一時的で虚しいものです。キャリア戦略を考え、自己の存在、自らをとりまく状況を把握し、社会に対して貢献をしていくこと。これこそが働くということなのです。
時間が許す人は、この3S分析のそれぞれの項目について、「過去−現状−未来」という時間軸ごとに分析してみてください。
経営者が企業を戦略的にマネジメントしていくのと同じように、自らのキャリアにオーナーシップを持ち、より豊かな人生に向かって戦略的に舵取りしていくのに役立つはずです。
(撮影・今村拓馬、編集・常盤亜由子、デザイン・星野美緒)
この連載について
物事が加速度的に変化するニューノーマル。この変化の時代を生きる私たちは、組織に依らず、自律的にキャリアを形成していく必要があります。この連載では、キャリア論が専門の田中研之輔教授と一緒に、ニューノーマル時代に自分らしく働き続けるための思考術を磨いていきます。
連載名にもなっている「プロティアン」の語源は、ギリシア神話に出てくる神プロテウス。変幻自在に姿を変えるプロテウスのように、どんな環境の変化にも適応できる力を身につけましょう。
なお本連載は、田中研之輔著『プロティアン——70歳まで第一線で働き続けるキャリア資本術』を理論的支柱とします。全体像を理解したい方は、読んでみてください。
田中研之輔(たなか・けんのすけ):法政大学教授。専門はキャリア論、組織論。社外取締役・社外顧問を23社歴任。一般社団法人プロティアン・キャリア協会代表理事、UC. Berkeley元客員研究員、University of Melbourne元客員研究員、日本学術振興会特別研究員(SPD東京大学)。著書は『プロティアン』『ビジトレ』等25冊。「日経ビジネス」「日経STYLE」他メディア連載多数。〈経営と社会〉に関する組織エスノグラフィーに取り組む。