壁にぶつかるたびに、佐藤優さんにい助言を求めてきたシマオ。少しずつだが、「成長した自分」を感じる瞬間が増えた。はたらき続けること、自分らしくはたらくために信じるべきものは何なのか? 佐藤さんは優しく語り始めた。
どんな労働も価値を生み出す
シマオ:佐藤さん、聞こえますか? オンラインでのお話も、もう慣れましたね。
佐藤さん:そうですね。わたしへの取材も、今はほぼオンラインになったので、かなり楽になりました。
シマオ:この1年間、新型コロナの影響もあって、僕、本当に情緒が不安定で……。すぐネガティブになってしまうことがあったんですが、佐藤さんにいろいろと相談に乗っていただいて、かなり助けられました。本当にありがとうございます。
佐藤さん:どうしたんですか? ずいぶん改まって。
シマオ:いや、いつもうじうじと佐藤さんに聞いてばっかりだったので、今年は自分で考えられるようにならないとな、って思ったんです。僕、30歳を過ぎて、このままでいいんだろうかってずっと不安だったんです。まわりの人は転職したり、起業したりして充実していて、僕だけ取り残されているんじゃないかって。
佐藤さん:焦ることはありませんよ。SNSなどでは、自由な生き方や新しい働き方といった言葉がもてはやされていますが、誰もが成功する訳じゃありません。成功する人は、ごく少数です。それを見て「ここではないどこか」へ行きたくなるのは無理もありませんが、多くの「普通」な人は地道に頑張ったほうが幸せになれるはずです。
シマオ:佐藤さんは、僕が相談するたびに、いつもそんな話をしてくれましたね。
佐藤さん:相談事をする人というのは、その時点で自分の中で結論は決まっているものですから。シマオ君の相談を聞いていると、情報に振り回されて不安になっているだけというのが分かります。でも、おそらくシマオ君は、今の生活にそこまでの不満はなく、このまま続けていきたいと思っているんじゃないですか。
シマオ:確かに、そうかもしれません。ビジネス書とかを読んでいると「本当にやりたいことを仕事にしろ」とか「動く人しか成功しない」とか書かれていて。僕の本当にやりたいことって何だろう……って考えてしまうんです。
佐藤さん:最初からやりたいことがある人なんて、そんなに多くありません。やれることをやっているうちに、自分の得意なことが見つかるはずだから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。
シマオ:そんなものでしょうか……。
佐藤さん:そんなものです。それまではいろいろとやってみればいいんです。注意しなければいけないのは、「自己実現」という名の下に「ただ働き」をさせようとする人たちが、この社会には多いことです。
シマオ:「やりがい搾取」というやつですね。
佐藤さん:自己実現をしたい時に、必ずしも外側ばかりに目を向ける必要はありません。どんな人でも、一人ひとりがかけがえのない個性を持っているものです。まずはそれを大切にして伸ばしていくことを考えてください。
シマオ:はい。まずは自分の内側に目を向けることを忘れずに……ですよね。
佐藤さん:それから、マルクスの言う「労働価値説」に今一度立ち返ってみることです。
シマオ:えっと……確か以前に聞いた記憶はあるのですが、何でしたっけ……。
佐藤さん:ごく簡単に言えば、価値の源泉は労働にあるということです。逆に言えば、自分が生きて再生産できるだけの価値を生み出すことはできるということですから、結論すれば、余程のことがなければ食いっぱぐれることはないということです。
シマオ:つまり、ちゃんと働いていれば何とかなるさ、ってことですね。
グローバリゼーションへの歯止めと格差社会
シマオ:それにしても、この1年は新型コロナウイルスに翻弄されましたね。
佐藤さん:世界中が同じ危機を共有したという意味では、稀有な経験でした。
シマオ:これから世の中はどうなっていくんでしょうか?
佐藤さん:大きく2つのことが言えます。1つはグローバリゼーションに歯止めがかかるということです。
シマオ:え、そうなんですか。確かにコロナで海外との往来は少なくなりましたが、IT化は進んでますますグローバルな社会になるのかと思っていました。
佐藤さん:グローバリゼーションの象徴のように思えるIT企業も、実はグローバルな雇用を生んでいる訳ではないんです。アマゾンやウーバーといった企業で生まれたいちばん大きな雇用はどのようなものだと思いますか?
シマオ:倉庫とか配送に携わる人たちでしょうか。
佐藤さん:その通りです。それらは非常にローカルな雇用ですよね。ですから、全体としてはローカルな仕事が増えている訳です。
シマオ:なるほど。
佐藤さん:ローカルの語源はラテン語のlocus(ロクス)で「場所」という意味です。この複数形がloci(ロキ)ですが、神学ではこの言葉を主題や要点という意味で使います。つまり、主要な論点がどの場所にあるかということが重要視された訳です。
シマオ:……どういうことでしょうか?
佐藤さん:これから地理的な意味でも、仕事という意味でも「ローカル」つまり自分の居場所はどこかを見極めることが重要になってくるということです。
シマオ:自分の居場所……。
佐藤さん:人は「青い鳥症候群」に陥りやすいですから、外を探すのではなく、まずは自分が今いる場所を確認することが大切です。
シマオ:そうかぁ……。僕も、まずは置かれた場所で咲くことを目指さなきゃな。
佐藤さん:もう1つ言えるのは、格差が開いた1年でしたし、これからますます開いていくだろうということです。
シマオ:格差社会とか分断が広がったと言われていますよね。
佐藤さん:その内実は3つあって、「社会階級」「地域」「ジェンダー」です。この3つの側面が複雑に絡み合っているのが現状です。この論点で見れば、非正規雇用で地方に住む母子家庭が社会的な弱者であることがよく理解できます。そうしたところには早急に公なる支援の手を差し伸べることが必要です。
日本の未来は大丈夫?
シマオ:ちなみに日本は大丈夫なんでしょうか……。ざっくりですけど、世界的にみて日本の競争力は落ちてますし、他の国に遅れをとっている点も浮き彫りになってきました。
佐藤さん:それについては、世界的に見れば日本はまだまだ強い国で余裕はあるけれど、一方で次の世代への課題や不安は山積しているというのが冷静な見方でしょう。絨毯に灯油が漏れ続けているけれど、火事にはなっていない。早く拭き取らなければいずれ燃え出すでしょう。
シマオ:え! 僕たち、灯油がしみた絨毯の上で生活しているんですか? 怖!
佐藤さん:今、日銀の国債保有残高は500兆円を超えました。考え方にもよりますが、単純な表現をすれば、日本はGDPに近い額の借金があるということです。日銀は2%のインフレを達成することで経済再生を目指していますが、今のところ実現していません。
シマオ:やっぱり日本の財政は破綻の危機にあるということでしょうか?
佐藤さん:こればかりは何とも言えませんが、解決には経済を着実に成長させるしかありません。過度のインフレもデフレも、しわ寄せは経済的弱者にいちばん行きますから。その意味で、こうした格差は資本主義の限界でもあります。
シマオ:それなら、資本主義以外のシステムに……。
佐藤さん:歴史を見る限り、それは非常に難しいでしょうね。もちろん格差はよくありませんから、社会構造は民主的な手段で変えていかなければなりません。それと同時に、私たちは、この資本主義社会で生き残っていく必要もあります。
シマオ:厳しいなあ……。
佐藤さん:とはいえ、そんなに心配することはありませんよ。これまでも繰り返し説明してきたように、日本においては、生きていくことはそれなりにしんどいけれど、飢え死にの心配も少ない。だから、シマオ君はまず自分のできることを精一杯頑張って、幸せに暮らすことを考えてください。そして、投票はちゃんとする。みんながそれを積み重ねていくしかありません。
シマオ:自分の力の及ばないところばかりを見て不安になるくらいなら、きちんとはたらいて、きちんと休んで、きちんと投票する——それがはたらく僕たちの責務であり「はたらく哲学」ということですね。
佐藤さん:はい。甘い言葉に惑わされず、不必要な悲観にも動じず、自分の心、居場所、やるべきことを見つめることです。それをきちんと続けていく間は、シマオ君は大丈夫ですよ。
シマオ:ありがとうございます。佐藤さん、また人生に迷った時は、相談に行ってもいいですか?
佐藤さん:いつでも歓迎しますよ。頑張ってください!
毎回、シマオ君の疑問、悩みに、ときには優しくときには厳しく、助言を与えてくれた佐藤さん。ありがとうございました!
※連載「佐藤優さん、はたらく哲学を教えてください」は今回で最終回となります。ご愛読ありがとうございました。そして、3月より新連載「佐藤優のお悩み哲学相談」がスタートします。ご期待ください。
佐藤優:1960年東京都生まれ。作家、元外務省主任分析官。85年、同志社大学大学院神学研究科修了。外務省に入省し、在ロシア連邦日本国大使館に勤務。その後、本省国際情報局分析第一課で、主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕、起訴され、09年6月有罪確定。2013年6月に執行猶予期間を満了し、刑の言い渡しが効力を失った。現在は執筆や講演、寄稿などを通して積極的な言論活動を展開している。
(構成・高田秀樹、撮影・竹井俊晴、イラスト・iziz、編集・松田祐子)