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IT批評家の尾原和啓さんと、『決算が読めるようになるノート』著者のシバタナオキさんの不定期対談。
今回のお題は、にわかに注目を集めているアップルの自動車業界参入。アップルに限らず、中国のアリババなどメガITが続々と自動車業界に参入しているのはなぜか、について議論してもらった。
——アップルの自動車業界への参入が話題です。いわゆる「アップルカー」の衝撃をどうご覧になりますか。
尾原和啓氏(以下、尾原):2つの観点があります。ひとつは電気自動車(以下、EV)化が進むことで、自動車産業のルールが根底から変わること。もうひとつはバイデン政権の誕生によってグリーン・ニューディール政策が加速し、サステナビリティ(持続可能性)に貢献した企業が生き残りやすくなるというルールチェンジです。
そもそも、なぜアップルがEVに参入できるのか。それは熟練工が不要になっていくからです。これまでの自動車は、エンジン内部でガソリンを爆発させたエネルギーによって動力を得る仕組みで、その組立は緻密な技術が求められるものでした。シャーシ(機構)も金型で製造しますから、職人の高度な技術が求められます。
しかしEV化によってエンジンがモーターになり、シャーシも金型も空力計算をシミュレーションし製作できるようになった。すると従来の自動車メーカーが持つ技術よりも、アップルのようなIT企業の持つ技術の方が自動車における競争優位につながります。
バリューチェーン型からバリューネットワーク型へ
ティム・クック率いるアップルは、現代自動車とその傘下の起亜自動車と製造の委託生産契約を協議していると報じられるたが、2社は否定するコメントを出した。
REUTERS/Stephen Lam
——これまで自動車メーカーは垂直統合を進めてきましたが、アップルカーはおそらく、これまでのアップル製品と同じように、設計はアップル、製造は別の会社でという分業モデルになりそうですよね。
尾原:『イノベーションのジレンマ』著者のクレイトン・クリステンセンは「バリューチェーンからバリューネットワークになる」と言っています。
これまでは上流から下流過程まで一気通貫で製造するバリューチェーンこそが自動車メーカーの強みでした。しかしEVになると、それぞれのパーツごとに一番良いものを外部から調達して、その組み合わせからバリエーションが生まれるようになる。自動車産業のルールがバリューチェーン型からバリューネットワーク型に変わります。
提供:尾原和啓
提供:尾原和啓
かつて携帯電話業界でも同じことが起きました。ノキアはバリューチェーン型、つまり現地生産・現地製造・現地販売まで自社で行うビジネスモデルでしたが、iPhoneの出現によってファブレス化が進み、製造は自社工場を持たずに外注し、コンテンツはコンテンツデベロッパーが開発したものをApp Storeで購入してもらうようになった。それぞれの提供者がネットワークとなってバリューを発揮するというようにルールが変わりました。
バリューチェーン型からバリューネットワーク型にシフトした携帯電話業界の勝者であるアップルが、その優位性を今度は自動車に持ち込んでいるのです。
——アップルカーの衝撃は、シリコンバレーではどう受け止められているのでしょうか。
シバタナオキ氏(以下、シバタ):僕自身、この数年はテスラのEVに乗っています。シリコンバレーに住む先進的な人たちは、自宅の屋根を全部ソーラーパネルにしています。テスラの家庭用蓄電池を買って、ソーラーパネルで発電した電気を蓄電して、EVに充電する。ソーラーパネルの初期コストはかかりますが、家単位では100%再生可能エネルギーに切り替わる。アメリカ、特にカリフォルニアが目指しているのは、そんな社会だと感じます。
——中国でもアリババ、ファーウェイ、DiDiをはじめ巨大IT企業による自動車業界への参入が進んでいます。環境問題もあってEVが国策としても促進される中、中国の自動車業界はどう変わっていくのでしょうか。
尾原:EVについて考えるにはモビリティを考える必要があり、そのためには移動とは何かを考える必要があります。移動の最上位概念は、実はClubhouseやZoomのようにバーチャルな場だからです。極端な話、コミュニケーションすべてがバーチャル上で完結できるようになれば、移動そのものが不要になりますよね。そんな未来を考える必要があります。
アリババのリモートワークアプリ「Dingtalk」は、コロナ禍でユーザーが1億人増えたそうです。リアルな移動でもDiDiの配車アプリを利用すれば、見知らぬ他人の車に乗って移動でき、車を所有する必要のない社会が到来しています。DiDiではプラットフォームによってドライバーの信用が可視化され、GDPやスマホとの連携によって、ドライバーが安全運転をしているか計測することで、「あの」中国ですら、知らない人の車に安心して乗って移動ができる社会が実現しているわけです。
2017〜2019年の3年で中国の自動車製造量は3割減っています。もはや車は所有するものではなく、他人の車に乗るのが当たり前の世界になりつつある。それもやがて他人が運転する車のライドシェアから、AIが運転する車、つまり自動運転に変わっていくでしょう。
中国版Googleとも言われるバイドゥ(百度)は、検索に使われるAI技術を応用して、すでに自動運転のOS開発に乗り出しています。産業の次の「関ヶ原」に向けて、各社が自社アセットを投下して戦いが始まろうとしている。中国は規模が大きい分、変化は雪崩のように起きるでしょう。テスラも中国生産をガンガン進めていますから、ボーダーレスな競争になっています。
「ソフトウェアが世界のすべてを喰らい尽くす」
テスラは2019年末に上海工場の操業を開始。中国市場に打って出た。
REUTERS/Aly Song
——テスラは上海に工場をつくり、中国市場に力を入れています。今後、アップルカー vs. テスラの行方はどうなるのでしょうか。
シバタ:テスラの圧倒的な優位性は変わらないと思います。理由は2つあります。
ひとつは、イーロン・マスク自身の言葉ですが、電気自動車の設計と製造の間では、難しさが1万倍くらい違うというんですね。実際、モデル3の生産を拡大させた時、テスラはあと数カ月で倒産するところだった。最初、ドイツのロボット会社を買収してオートメーションで製造しようとしましたがうまくいかず、工場の外にテントをつくって、その中で製造していました。イーロン・マスクもテントに寝泊まりしていたという話です。それほど製造が大変であるという点がひとつ。
もうひとつは、ソフトウェアに関する技術です。テスラは、すでに高速道路での自動運転はほぼ問題なくできています。人間がハンドルに手を置いている必要はあるものの、実質的には自動運転できる。一般道でも進化していて、ベータ版で出ているソフトウェアでは、交差点での左折右折もほぼ自動でできるところまで来ています。
いまやスマホのソフトウェアアップデートよりも、車のソフトウェアアップデートの頻度の方が多いんですよ。2週間に1回くらいアップデートしています。最近では、ダッシュボードのUIが変わりました。その前のアップデートで走行速度計の表示が小さくなって、おそらく見えにくかったから、次のアップデートで大きくなった。
そんな風に細かい仕様も変わっていきます。製造とソフトウェアの強みがありますから、すぐに追いつけないと感じています。
尾原:この対談を公開しているClubhouseに投資している米国ベンチャーキャピタル、アンドリーセン・ホロウィッツの創業者マーク・アンドリーセンは、2011年に“Software is eating the world.”(「ソフトウェアが世界を呑み込んでいる」)と言いました。ソフトウェアが世界のすべてを喰らい尽くす。まさにそれが今、ハードウェアの象徴とも言える自動車メーカーさえ、それが起き、価値の源泉がソフトウェアに移行しています。
さらに、今では“AI is eating software”(「人工知能がソフトウェアを喰らい尽くす」)という言い方もしています。AIを持っているところがソフトウェアを喰らい尽くしていく、つまりAI技術を持つ会社がさらに勝っていくという循環です。
より重要なのは、実はもっと地道なところです。自動車のアップデートというのは非常に高度な技術です。自動車は安全性が第一ですから、アップデートの間にバグって事故にでもなれば洒落になりません。
OTA(Over The Air)技術、つまりソフトウェアの更新などに使われる通信技術が、世界一優れているのはアップルです。M1搭載MacでしばらくZoomが使えなくなったじゃないかという異論もあると思うのですが、自動車のソフトウェアに使えるレベルでのOTA技術を開発するには時間がかかる。このOTAやAIが競争優位性に直結するようになると、既存の自動車メーカーは不利になるでしょう。
日本メーカーは「ポスト自動運転」の生態系つくれるか
日本の自動車メーカーも、EV、自動運転、コネクティッド技術などの開発を進めるが……。
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——日本の大手自動車メーカー関係者からは「EVをつくろうと思えばいつでも製造できますよ」「でも日本ではまだ充電設備が少ないから、製造してもなかなかペイしない」と聞いたことがあります。しかし、このままでは日本が置いていかれてしまうのではという危機感も感じます。
シバタ:キラーアプリはEVではなく自動運転だと思っています。洗濯機や食洗機の出現によって衣服や食器を手で洗う必要がなくなったように、運転のストレスが減ることは、人間にとってすごく大きな進歩だと思います。ガソリン車での自動運転も不可能ではないでしょうが、EVの方が圧倒的にやりやすい。
ガソリン車のエンジン制御を外部からコントロールすることは、技術的に不可能ではありませんが、難しく危険を伴います。電気自動車をデジタルで制御する方が楽なんですね。キラーアプリは自動運転で、その結果としてEVが普及するのではないでしょうか。
尾原:既存の自動車メーカーが「いつでも製造できる」というのは、ものづくりとしての自動車です。でもバリューチェーン型からバリューネットワーク型に産業構造が変わる中、ものづくりの競争から、自動運転のOSやソフトウェア開発の競争に変わりつつあります。
さらに自動運転が普及すると、そもそも運転する必要がなくなるので、車中体験をどうつくるかが付加価値になっていきます。車のエンタメ化です。スマホが普及して「パズドラ」のゲームアプリがヒットしたように、自動運転の普及によって、車中体験を楽しくするエンタメ産業が儲かるようになります。
iPhoneがアプリをAppStoreで提供してきたように、移動中の車中体験を楽しむコンテンツを、自社で開発するのではなくサードパーティ型で開発するデベロッパーの生態系をつくるところまで見据えなければいけない。
アップルが勝つかテスラが勝つかというよりも、バリューネットワークの中で競争力が生まれるようになっている、つまり日本の自動車メーカーがこれまで苦手としてきたところに競争優位性のコアが移りつつあることを考える必要があると思います。
(聞き手・浜田敬子、構成・渡辺裕子)
尾原和啓:IT批評家。1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー、NTTドコモ、リクルート、グーグル、楽天などを経て現職。主な著書に『ザ・プラットフォーム』『ITビジネスの原理』『アフターデジタル』(藤井保文氏との共著)『アルゴリズムフェアネス』など。
シバタナオキ:SearchMan共同創業者。2009年、東京大学工学系研究科博士課程修了。楽天執行役員、東京大学工学系研究科助教、2009年からスタンフォード大学客員研究員。2011年にシリコンバレーでSearchManを創業。noteで「決算が読めるようになるノート」を連載中。