オリンピックはどうなる? 2度の五輪出場経験がある女性フェンシング選手が明かす、東京大会への想い

イザオラ・ティブス

フランスのイザオラ・ティブス選手(2016年10月8日、ブラジル)。

REUTERS/Peter Cziborra

  • 2020年3月、国際オリンピック委員会(IOC)は夏季五輪を2021年に延期すると発表した。
  • 大会が延期されたことで、アスリートにはもう1年トレーニングを積む時間が与えられたものの、同時にオリンピックはどうなるのかという不安も与えた。
  • フェンシングのチャンピオンであるイザオラ・ティブス選手はトレーニングを続け、貴重な時間を不安で無駄にはしないと決めた。

イザオラ・ティブス選手には、若い頃から世界のトップアスリートになる素質があった。

「わたしは勝つことが好きだと、かなり早い段階で気付きました」とティブス選手はInsiderに語った。

「試合には毎回、勝つために出ていたんです。負けると泣いていました」

フェンシングのチャンピオンは、カリブ海のフランス領グアドループの小さな島で育った。

子どもの頃に所属していたフェンシング・クラブは彼女にとっての"家"、チームメイトは"家族"のような存在だったと、ティブス選手は言う。フェンシングを始めた頃は、この競技が自分をどれほど遠くまで連れて行くことになるのか分かっていなかったものの、自分が熾烈な競争にも負けないアスリートであることに気付くのにさほど時間はかからなかった。

ティブス選手は17歳で友人、家族、島から離れ、フランスで新しい生活を始めた。ハイレベルな練習、厳しいトレーニング、高い目標のためだ。

「オリンピックに出たい、世界選手権で勝ちたいと思っていました」とティブス選手は語った。

彼女は世界で最も権威ある大会の1つであるオリンピックで戦うことを目標に据え、それを2度実現した。ただ、いずれの大会でもメダルを逃し、ティブス選手は2020年の東京大会を目指した。

ところが、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)で2020年の夏季五輪は延期となった。

現在、ティブス選手はオリンピックを目指す何千という他のアスリートたちとともに、開催されない可能性もある大会を待ち、そのためにトレーニングをしている。

過去の経験を生かして

現在29歳のティブス選手が初めてオリンピックに出場したのは、2012年のロンドン大会だった。

当時18歳だったティブス選手は、2012年の初めには自分がオリンピックに出場できるとは思ってもいなかったと振り返った。フランス代表チームに「シェイクアップ」として追加されたティブス選手いわく、コーチたちは何か新しいもの —— 若い女子 —— を試したかったのだという。

ティブス選手が加わると、チームは勝ち始めた。最後の選考大会で、ティブス選手とチームはオリンピック出場を決めた。

「オリンピックに参加できるというのは、わたしたちにとって"勝利"でした。わたしにとっては初めてのオリンピックで、それがどんな感じなのか想像もつきませんでした。でも、本当に素晴らしい経験でした」とティブス選手は語った。

その4年後、世界のトップ・フェンシング選手の1人として出場したリオデジャネイロ大会では、状況はまるで違った。

ティブス

リオ五輪で、トルコのイレム・カラメテ選手と戦うティブス選手(2016年10月8日、ブラジル)。

REUTERS/Peter Cziborra

「本当にたくさん目標を持っていたんです。すごくメダルも欲しかった」

ティブス選手は、個人で5位になった。

「あともうちょっとでした」

ただ、こうした経験が彼女に重要な教訓を与えてくれたという。失敗は必ずしも悪いことではない、と。

目標とした2020年の東京大会がパンデミックで延期に

2度目のオリンピックの後、ティブス選手は"変化"を取り入れた。新しいトレーニング方法を採用し、独自にコーチを雇った。ロサンゼルス、ニューヨーク、パリでトレーニングを積んだ。

4年をかけて準備してきたオリンピックが3カ月半後に迫った。

そこに新型コロナウイルスのパンデミックが起きた。急速に日常が崩れ始め、海外旅行もストップした。世界中に不安、恐怖、混乱が広がった。

2020年3月24日、国際オリンピック委員会(IOC)は夏に予定されていた東京大会を2021年に延期すると発表した

それを知ったティブス選手は「泣きました」と当時を振り返った。

「同時にホッとしたんです。変ですよね」

東京大会の延期を自宅から遠く離れたアメリカで知ったティブス選手は、しばらく途方に暮れていた。

地に足を付ける必要があったと、彼女は語った。そして、自分自身に「トレーニングできないなら、自分は何者? 試合ができないなら、自分は何者? この状況にどうしたら適応できる?」という困難な問いかけをしたという。

「それで答えが見つかったんです。前向きになるには、頑張るしかありません…… 前へ進み続けるために、わたしはトレーニングの方法を変えました」

イザオラ・ティブス

ロンドン五輪に出場したイザオラ・ティブス選手(2012年7月28日、イギリス)。

REUTERS/Damir Sagolj

大会延期がもたらしたのは"トレーニングの時間"と"不安"

東京大会が延期された時、約1年後もまだ開催が危ぶまれるような状況が続いていると予想した人はほとんどいないだろう。だが、開会式を約5カ月後に控えた今も先行きは不透明だ。

東京側は大会を開催するつもりだと言い、IOCのトーマス・バッハ会長も2月上旬に予定通り開催する意向を強調した。しかし、中止の日本人からの開催反対の声もある。

アスリートにとって、どうなるか分からない状況が続くのは厳しい。

「試合が行われるのか、いつ再開されるのか、先が分からない状況です」とティブス選手は言う。

「自分がなぜトレーニングをしているのか分からなくなりますし、肉体面でも精神面でも、もう1年自分を追い込まなければならず、難しい状況です」

それでもティブス選手は、手に入らないかもしれない答えを待ち続けることはできないと心に決め、自分自身の物事の見方を変えた。

「オリンピックについては、開催されると考えることにしました。大会まであと半年弱…… 不安に時間を費やすことはできません。エネルギーの大きな損失です」

フェンシングにとってオリンピックは特に重要だと、ティブス選手は語った。フェンシングの世界にオリンピックと同等の大会はなく、オリンピックに出ることで出場選手の「全てが変わる」という。

「オリンピックでわたしはフェンシングをするんだと信じています。できなかった時はできなかった時です」

他の関心事を持つことが不安をコントロールする助けに

ティブス選手にとって、フェンシングはもちろん人生の大切な一部だが、全てではない。そして、彼女はそれがいいと考えている。

ティブス選手はファッションと旅行が大好きだ。2020年には時間を見つけてパリのビジネススクールを卒業し、女性アスリート向けに、自身の困難や勝利のストーリーをシェアするメディア・プラットフォーム「EssentiElle」をスタートさせた。

「わたしたちは(スポーツという)本当に男性的な世界にいるので、わたしは自分の役割を果たしたかったんです」とティブス選手は語った。

スポーツ界における女性の声や意思決定者を増やすことに熱心な彼女は、さらなる女性中心のプロジェクトを準備しているという。

フランスチーム

モスクワで開催されたフェンシング世界選手権で銅メダルを獲得、メダル授与式で写真を撮るフランス女子チームのメンバー。右から2番目がティブス選手(2015年7月19日、ロシア)。

REUTERS/Grigory Dukor

東京大会に向けてトレーニングを続ける中、ティブス選手はメダル獲得にこだわった自身2度目のオリンピックの経験を振り返っている。

「今回は違います」とティブス選手は言う。

「家族も作りたいし、旅行もしたいし、ニューヨークに引っ越すのもいいかもしれません。わたしはメダルを獲らなくちゃいけない、獲れなかったら失敗…… みたいなことではないんです」

[原文:Training for the games that may never come: Olympic fencer Ysaora Thibus discusses challenges of preparing for an uncertain Tokyo

(翻訳、編集:山口佳美)

Popular

あわせて読みたい

BUSINESS INSIDER JAPAN PRESS RELEASE - 取材の依頼などはこちらから送付して下さい

広告のお問い合わせ・媒体資料のお申し込み