元ゴールドマンサックスのゴールドマン・サックス証券のチーフ日本株ストラテジスト兼副会長のキャシー松井氏(写真は2020年11月に撮影)。
撮影:今村拓馬
森喜朗氏の女性蔑視発言以降、組織における女性登用の議論が急速に活発化している。
トヨタ自動車や三井住友銀行、日本生命保険をはじめとする多くの日系大企業が公式に発言へ反対の表明をした。その一方で、政府が目標とする女性管理職が3割を超える会社は一社もないなど、ちぐはぐさも目立つ。
ゴールドマン・サックス証券の副会長兼チーフ日本株ストラテジストを2020年末まで務め、女性の活躍によってより経済が活性化する社会のあり方を示した「ウーマノミクス」(1999年)提唱者でもあるキャシー松井氏は、一連の動きをどう見ているのか。
ウーマノミクスから22年……日本は変わった?
取材はZoomで行われた。
撮影:西山里緒
—— 森喜朗氏の女性蔑視発言を契機に、組織のトップに女性を登用する議論が活発化しています。この動きをどう見ていますか。
松井:私は20年超に渡って「ウーマノミクス」つまり女性活躍が経済にどれだけ影響を与えるかの調査に取り組んできました。
分かったことは、ジェンダー多様性を推進するためには、3つの角度からのアプローチが必要だということです。
一つは政策で、2016年に施行された女性活躍推進法などが当たります。次に民間企業の改革で、メンタリングやキャリアサポートなど組織内の取り組みですね。
最後に社会全体の意識改革ですが、ここが一番難しい。だからこそ国際的な組織のトップがこうした女性蔑視の発言をしたことは非常に残念だなと思いました。
一方で社会の動きについては、違う印象を受けました。昔であればその夜のニュース番組にチラッと出て翌日には忘れ去られていたような失言が、大きなムーブメントになった。
海外メディアで「日本は世界からこう見られている」と報じられる機会も多く、森氏の発言に対して毅然と反論する組織のトップもいましたね。かつてはなかったことだと思います。
「企業も差別に反対しなければ、それに賛同していると捉えられかねない」(写真は米アパレル企業・ヴィクトリアズ・シークレットの前でデモをする人々)
Spencer Platt / Getty Images
—— 確かに。東京オリンピック・パラリンピックのスポンサー企業が、森氏の発言に対して、相次いで批判的なコメントを発表したことが印象的でした。
松井:#MeToo運動や #BlackLivesMatter 運動もそうでしたが、アメリカでも昔だったら自分の企業に関係ないことであれば、コメントをする必要はなかった。
今の時代は、直接関係なくても「What is your stance(あなたの見方・意見は)?」と聞かれてしまう。
発言しなければ「沈黙=容認(Silence is Complicity)」、つまりそれに賛同している、という危険な立場になりかねない。
若い世代はそうした企業からの発信に特に敏感になっている。差別的な企業には就職もしたくないし、サービスや商品も買いたくない。採用やマーケティングにおける企業の競争力に直結するわけです。
ですから直接関係がなくても、差別に対しては「ゼロ・トレランス(不寛容)」である、と公式に表明することが、その企業の価値をあげることにつながるのです。
日本企業にとって一番の資源であり一番足りないのが人材です。特に今は売り手市場ですから、どの企業の経営者も人材確保に悩んでいる。
優秀な人材に企業で長く働き活躍してもらうためには、職場環境・風土・価値観を、真剣に考えなければならない。そういう時代になっていると感じます。
森氏の女性蔑視発言に反対するネット署名は15万7000筆以上を集めた。
画像:Change.org.
—— 若い世代の話でいうと、女子大学生らが始めた署名運動が15万人超の賛同者を集め、組織委員会と対談するまでになりました。こうした若者の意識変化が、企業の変革を後押ししていると言えるのでしょうか。
松井:署名運動がどれほど企業のトップの耳に入っていたのかは分かりませんが、少なくとも女性差別的な発言に対して、翌日に忘れてしまって済む時代ではなくなった。
今までは不満があっても、それを表明する手段が少なかった。SNSを通じて、昔は聞こえてこなかった声が一気に聞こえてきたことは健全な動きかなと思います。
特にこれから未来を担う子どもたちがいる日本社会において、どんな価値観が正しいのか、なにが常識なのか。企業もそれを見極めて発信するアカウンタビリティ(説明責任)やチェック&バランスがなければ、立ち行かなくなる。そうした危機感があるのでしょう。
森批判も……女性管理職30%超の企業はゼロ
「海外では民間企業にクオータ制を取り入れている国もある。ただ……」(写真は2020年11月に撮影)
撮影:今村拓馬
—— 一方で今回、Business Insider Japanがオリンピックのスポンサー企業にアンケート調査を取ったところ、日本企業では女性管理職の割合が3割を超えている企業はゼロ、さらに女性役員の割合も1割に満たない企業がほとんどでした。企業の言っていることとその実態がちぐはぐな印象も受けます。
松井:確かに日本企業の女性リーダー比率は先進国の中でもとりわけ低いです。国によっては、民間企業にクオータ制(女性比率をあらかじめ一定数決めて積極的に起用すること)を取り入れているところもありますよね。
これは私の意見ですが、日本全体の政策を決める組織である国会などの公的組織においては、なんらかの形でのクオータ制は実験的に行ってもいいかなと思っています。
しかし民間部門においては、なかなか難しいのでは。女性だからという理由でアファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)として、能力のない女性がトップになると、本人のためにもならず周りも色々な批判を浴びるからです。
その代わりに私が進めるべきと考えるのが数値の「見える化」そして「評価測定(メジャーメント)」です。
——「見える化」だけで組織の女性登用は本当に進むのでしょうか。
2016年に女性活躍推進法が施行され、女性活躍に向けた数値目標と達成のための取り組みの情報公開が求められるようになりました。
これは上場企業だけではなく、社員数が101人以上の全ての企業に当てはまります。
例えば、現状の数字はこうで、5〜10年後には管理職の割合◯%を目指す、取締役会の多様性を、女性のみならず、マイノリティの比率を◯%入れる、など。
こうした明確なゴールやターゲットを設定することで、株主からも問い合わせが来たり社内でも「この目標が未達成のようですが、なにが障害になっているんですか?」と話すきっかけにもなる。
組織にはそれぞれ人材がいて、それぞれ目指しているゴールが違うので、数値目標もそれぞれでいいとは思います。
ただ、ある業界でA社が管理職の25%が女性、B社が10%だとしたら、優秀な学生はきっとA社に魅力を感じるはず。そうやって業界内の健全な競争が働くことが理想だと思います。
—— 単に数字を追いかけるだけではなく、内部改革も進めていかなくてはいけないと。
この会社は女性比率が少ないからダメだと切り捨てるのではなく、その要因に何があるのかを見ていく必要があります。採用の段階で女性はどれくらいか?どこから採用しているか?採用後どのように人材をマネジメントしているか?こうしたところを逐一変えていかなければ、根幹の課題解決にはなりません。
2020年7月に書籍(『ゴールドマン・サックス流女性社員の育て方、教えます』)を出版した理由もそこにあります。自分の30年間の金融キャリアの経験から分かったことですが、組織のマネジメントでも、女性と男性の扱い方は違います。これは日本人だけでなく世界でも一緒です。
—— 2020年には、アメリカの証券取引所・ナスダックが上場企業の取締役に女性や有色人種などのマイノリティの登用を義務化するルールを設けました。欧米では早い段階からそうした取り組みが進んでいる印象があります。
松井:とはいえ、アメリカがものすごく進んでいるわけでもないですよ。
例えば、アメリカも上場企業は女性社長もすごく少ないじゃないですか。2月にはマッチングアプリのBumbleが株式上場(IPO)しましたが、現在上場している数千社のうち、女性が創業した企業はたった20社ほどです。
どこも今は移行期間にありますが、必要なのはトップのコミットメントですね。とりあえず人事部に任せておこう、という考え方では前には進みません。
多様性こそが業績に直結する、成長を加速させるために多様性が不可欠だ、とトップが心の底から思わないと浸透しない。
多様性は経済合理性で語りかけるべきか?
—— 日本の組織はまだまだホモソーシャル(男性中心的)な雰囲気が強いですが、多様性が必要だと思ってもらうにはどうすれば良いのでしょうか。
人権問題としてストレートに説明しても、私の感覚では、日本の民間企業の大半ではあまり説得力はないように思います。
ただ、経済合理性の観点から、多様性のある組織は収益性が高いかつ株価のパフォーマンスが高いなど、直接的な正の相関があると説明すると、だいぶ考え方が変わります。
異なる立場からの意見を反映することで決定プロセスの信頼性も強まり、イノベーションも促進され、リスク管理もうまくなる。こうしたデータに基づいたエビデンスを示すことが重要だと思います。
出典:「差別のない活力ある日本を作るために:行動宣言」
—— 女性活躍推進については経済合理性で語りかけなければ、日本の組織にはなかなか届かないということは、私たちメディアもある種、ジレンマとして抱えてきた課題です。
一方で2月に経済界の人たちが中心となって「差別撤廃を求めて行動する」という、明確に人権問題として訴える声明を打ち出されましたね。松井さんもこの声明に賛同されていますが、その理由はなんだったのでしょうか。
※「差別のない活力ある日本を作るために:行動宣言」:性差別を含む差別を撤廃するために経済界や政界の関係者らが中心となって2月に発表した宣言。呼びかけ人には元マッキンゼー・アンド・カンパニーアジア部門シニア・パートナーでコロンビア大学客員教授の本田桂子氏、国連事務次長の中満泉氏らが名を連ねる。
松井:まず、私たちは差別に対してゼロ・トレランス(不寛容)だというメッセージを出したかったのです。
声明文には「日本の発展のために」という言葉が入っているのですが、そもそも常識的なことを再度強調しているだけです。
例えば女性版の経団連があればこうした声明もポンと出しやすいですが、そういう組織はないし、女性活躍についてどう考えているか、組織によって分断している印象も受ける。だからこそファクトベースで、オープンに議論する場を作りたかった。
また海外報道で顕著に見られたことですが、日本人男性全体が女性差別的な考えを持っているというようなイメージがついてしまったことにも懸念がありました。
—— 確かに海外報道を通じて、日本に対するネガティブなイメージは広がってしまった。
松井:このような宣言を通して、そう思ってない人もたくさんいる、女性だけでなく男性も、政治家にも財界の人もたくさんいると、発信していくことも必要かと思います。
公的組織のガバナンスはどこへ?
森喜朗氏の後任には、橋本聖子・元五輪担当相が決まった。
Yuichi Yamazaki / Getty Images
—— 松井さんは女性活躍推進のためには「透明性(トランスペアレンシー)」が大切だと繰り返し主張されています。一方で新会長選出においては、橋本聖子氏の就任に至るまで「密室人事」が批判されました。政府組織の不透明性についてはどう思われましたか。
松井:皮肉というか、二重規範(ダブルスタンダード)ですよね。
私は30年間、アナリストとして日本の株式市場を分析してきて、日本のコーポレートガバナンスのあらゆる問題点を見てきました。その過程で、政府(金融庁)からの要請でコーポレート・ガバナンスコード(上場企業の企業統治の指針)も大きく変わりました。
例えば今は取締役会・ダイバーシティの規定もあるし、持ち合い株(旧財閥系の系列企業などの間で、互いに株式を持ち合うこと)も、経済合理性に乗っ取っていなければ売却しないといけないなど、厳しいルールがあります。
しかし民間企業に対しては厳しく「ああしなさい、こうしなさい」とガバナンスコードが設けられているのに対し、では公的部門のガバナンスコードはどこですかと。
内々にはあるのかもしれませんが、例えばこういった人事指名プロセスのルールは外からは見えませんよね。(民間と公的部門とで)「二重規範だ」という批判は当然あるかなと感じます。
(取材・滝川麻衣子、西山里緒、構成・西山里緒)