変わらない化学業界の危機感から生まれた「両利きのDX」とは

「小さな改善を積み重ねることはDXでない、とも言われますが私はそうは思いません」

こう話すのは、機能商品・素材・ヘルスケア分野の4事業会社と連結従業員約7万人を擁する三菱ケミカルHDで、全社のDXをリードするCDOの浦本直彦氏だ。

2017年、業界内でいち早くDXに取り組み始めすでに一定の成果を出した同社は、さらに新たなステージに進むため、2021年2月の事業説明会において新たなビジョンである「DXグランドデザイン」を発表した。

なぜいま新たなビジョンを示したのか、冒頭の発言の真意とは何なのか、話を聞いた。

経営層が抱いた「危機感」

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執行役員CDOの浦本直彦(うらもと・なおひこ)氏。日本IBMの東京基礎研究所にて、自然言語処理、Web技術、セキュリティなどの研究開発に従事。2017年三菱ケミカルホールディングス入社、2020年4月より現職。2018年から約2年間、人工知能学会会長を兼務。

三菱ケミカルHDがDXに着手したのは2017年のこと。社内外からデジタルの精鋭人材を登用し、「デジタルトランスフォーメーション(DX)グループ」を設立。このとき登用された一人が、現在CDOを務める浦本氏だ。大胆な変革に乗り出した背景を浦本氏はこう振り返る。

「当時すでにディスラプターの脅威に晒されていた銀行や自動車業界ではDXが始まっていましたが、化学産業にはまだ波が来ていませんでした。しかし、いま手をつけないと、グローバルの戦いの中で生き残れなくなる——。経営陣はそうした危機感を強く抱き、外から人材を取り込んでDXの起爆剤にしようとしたと聞いています」(浦本氏)

新しい風を吹き込むために組織された“外様集団”は、組織に良い化学反応を引き起こすケースもあれば、不協和音を生むケースもある。後者の轍を踏まないように、DXグループは現場の悩みや課題をデジタルで解決することからスタート。具体的には、製造現場の異常予測や異常検知、R&D部門でマテリアルズ・インフォマティクス、事業部ではサプライチェーンの可視化や顧客接点のデジタル化などを提案し、事業会社や各部門と対話を重ねながら一歩ずつDXを推進してきた。

そうして各プロジェクトが軌道に乗ると、次の課題もあらわになる。浦本氏は、DXが現場で進展したからこそ見えてきた新たな課題を次のように語る。

「当時はグループ内でDXと名がつく組織は私たちだけでした。しかし、いまや主要事業会社内の製造部門やR&D部門などにDXを担うチームができて、それぞれが自らDXを推進できる体制が整いつつあります。

ボトムアップでDXが進む体制が整うと、私たち親会社であるHDに所属するDXチームの役割も変化します。これからは個別のプロジェクトをつなげて大きな動きにしたり、全体方針を指し示したりと、個々の活動では見渡せない課題に取り組んでいく必要があります。そこでまず全社的なDXの羅針盤として、2021年2月に新たに『DXグランドデザイン』を策定しました」(浦本氏)

トップダウンとボトムアップをつなぐ指針が必要だった

DXグランドデザイン策定の理由は、グループ全体のDXの効果を最大化させることだけではない。浦本氏は、DXの活動が経営に近づき改めて全体の経営ビジョンとすり合わせる必要があったと明かす。

注目したいのは、2020年2月に発表した中長期経営基本戦略「KAITEKI Vision30」(以下KV30)との関係だ。KV30は、2050年の目指すべき社会とグループのありたい姿からバックキャストして2030年のあるべき企業像をまとめたもの。具体的には、持続可能な社会やウェルビーイングの実現に向けて、社会課題に対する継続的なソリューションを提供することを目指している。

「デジタル技術はあくまでも“道具”であり、ビジョンを実現するために使うものです。まずKV30が目指す先にあり、その下にDX戦略があるという位置づけです。ただ、トップダウンで『これが戦略だからやってほしい』と押しつけても機能しません。そこで戦略の実行を担う各事業会社のDXリーダーと議論を重ねて、一緒に作り上げました」(浦本氏)

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2021年2月に掲げたDXグランドデザイン。

提供:三菱ケミカルHD

ビジョンの実現手段を議論する中で生まれてきたのが、7つのDXイニシアチブだ。これらは事業会社との議論を重ねて出てきたものだけに、現場の思いが反映されたものになっている。そしてそれらをつなぐものが、4つのDXビジョン(上図参照)だ。1つずつ簡単に解説してもらおう。

「R&D、製造、事業部の個別のDXは粒がそろってきました。次は粒をさらに磨きあげたうえでつなげていくことが大切。1つ目の『マテリアル・ヘルスケアイノベーションのトップランナー』というビジョンには、粒をつなげて総合力を活かすという思いが込められています。

2つ目の『ソリューションで新たな顧客価値を創出する企業』というビジョンは、KV30で示されたモノからコト化。つまりモノ売りにとどまらず、ソリューションを提供する企業になるというビジョンに関係しています。私たちのビジネスはBtoBの上流に位置しており、今までは顧客の先にある消費者のニーズや最終的に事業が社会に与える価値をつかみ切れていなかった 。今後はDXも顧客価値を起点に考える必要があります」(浦本氏)

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「また、化学産業は常に環境問題の解決とともに歩んできた産業です。近年、社会が求める価値は変わり、サステナビリティやリサイクルが経営の中心課題になってきています。これに応えて、社会的価値に基づいたビジネスモデルを構築していくこともDXには求められています。 そこに向き合うために、3つ目として『サステナビリティ価値をデザインし、広める企業』というビジョンを掲げました。

最後に4つ目。いま私たちのグループはジョブ型の人事制度に移行中で、働き方を変えつつあります。ロボットやAI、ソフトウェアの活用も進みますが、それは『ヒトが創造性を発揮し躍動する企業』というビジョンを実現するためのものでなければいけません」

大きな変革と小さな改善で目指す「両利きのDX」

DXビジョンの策定で、目指すべき姿とその実現手段はクリアになった。あとはDXをどう進めるか。浦本氏の念頭にあるのは「両利きのDX」だ。

「イノベーション理論の一つに、既存事業や製品の深化・磨き上げと新たなビジネスモデルの探索を両輪でまわしていく『両利きの経営』という概念がありますが、DXも同じだと思っています。

我々のようにこれまで多くの事業を積み重ねてきた企業にとって、過去のやり方を全部捨てて新しいことを始めるのではなく、一人ひとりの改善から始まるDXと全体変革のためのDXを両軸でまわし続けることが、DXをドライブさせるために必要不可欠なのです」(浦本氏)

既存事業で小さなDXを連続的に起こしていくには、現場の社員一人ひとりにDXを「自分事」としてとらえてもらう必要がある。ただ、グループは7万人を抱える大所帯。隅々まで本気になってもらうのは容易ではない。何か秘策はあるのだろうか。

「さまざまな現場で行われているベストプラクティスを方法論化して、横展開していきます。

例えば、2018年に初版を作成したビジネスパターン集『デジタルプレイブック』では、現在13個のデジタルプレイがその定義や事例と共に提供されています。商品特性や課題が異なる事業部と新しいビジネスモデルを考える時に、画一的な提案をするのではなく、複数のデジタルプレイを組み合わせることで各事業部に合ったソリューションを作り出すために使われています。

ここでも、小さな部品を組み合わせてまず始める仕組みと、それを新しいビジネスモデルへと繋げていくという両利きの考え方が活きています。

また、無償公開している『機械学習プロジェクトキャンパス』は、機械学習を用いたデータ分析のプロジェクトを遂行する際に陥りやすい罠を事前に回避するために考案されたもので、プロジェクトの目的や成功の指標、データとアルゴリズム、最終システム形など、12項目を記述することでプロジェクトを明確化するのに役立ちます。

さらには、すでにグループ内にはデータサイエンティストのネットワークをはじめとした組織横断的なコミュニティが複数あり、スキルを磨きあったり情報交換をしたりしています」(浦本氏)

DXのさらなる推進のための準備は整った。
「今後は組織の壁を越えた動きをさらに活発にすることで、ミドル層やベース層に火をつけていきたい。そしてその熱が大きく広がるよう、ときには先導しときには寄り添いながら、引き続き現場と一緒に汗をかきたい」と語った浦本氏。

果たして、目指すビジョンに向けて巨大組織はどう動いていくのか。今後の展開に注目だ。


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