急成長するSaaS企業。4社の最初の100万人を獲得したグロース戦略には共通点があった。
撮影:伊藤有
こんにちは。パロアルトインサイトCEO・AIビジネスデザイナーの石角友愛です。リモートワークが定着するにつれ、以前私が書いた寄稿記事でも紹介したFigmaをはじめとしたB2B向けのSaaSツールの成長が著しくなっています。
通常マーケティングなどが難しいと言われるB2B業界ですが、今回はこのようなB2B向けのSaaSツールを開発している会社が、「最初の100万人のユーザーを獲得するためにどのような戦略をとっていったのか」。また、その後のグロースフェーズにおいてどのようなKPIを作り成長を遂げたのかについて紹介したいと思います。
急成長SaaS4社に共通する、5つのグロース戦略
今回、SlackやFigma、Stripe、Databricksなどの急成長を遂げたB2B向けSaaS企業を調べて判明した、グロース戦略に関する共通項は以下の5つでした。
(2)こだわりつくしたユーザー体験
(3)口コミ効果とフリーミアムモデル
(4)テックコミュニティーでのインフルエンサー経営陣
(5)具体的なKPI設定
そこで、これら5つのポイントに沿って、具体的なケーススタディを紹介したいと思います。
(1)真の問題解決を押し出すことによる差別化ポジショニング
「プロダクトではなく、イノベーションを売る 」ことでユーザーを惹きつけたSlack。
撮影:編集部
例えばSlackでは、ローンチ当初から「競合他社があるにもかかわらず、実は前例のない市場を創造する」ことに取り組んできたと言われています。
B2B向けの社内コミニュケーションツールは既にたくさん存在していたものの、多くの企業が気がつかないうちにコミニュケーションに関する重大な問題を抱えていたのです。それは、ツールが溢れすぎた結果、SMS、Eメール、スカイプチャット、フェイスブックのプライベートグループなど、社内で複数のツールを使ってコミュニケーションが行われていることで、「コミニュケーションが一元化できていない=関連性の高い情報が後から検索できない、共有できない」ということでした。
ECの決済インフラとして業界では広く知られるStripe。
撮影:伊藤有
企業が気づいていないこういった問題の解決策を売り込むために、Slackは 「プロダクトではなく、イノベーションを売る 」ということに注力。単なるコミニュケーションツールとしてのポジショニングではなく、「コミュニケーションのコスト削減」や「手間いらずのナレッジマネジメント」、「意思決定の迅速化」、「チーム内のすべてのコミュニケーションが瞬時に検索可能で、どこにいても閲覧できること」、「Eメールの75%削減」といったメリットを全面的に押し出すことで、その他のツールとは別のレベルでのポジショニングを獲得していったのです。
これらのメリットを売りにすることで、Slackは新たなコミュニケーションツールを探していた訳ではない顧客をも惹きつけ、初期ユーザーを増やすことに成功しました。
また、ウェブサイト上の支払い処理ソフトウェアとAPIを提供するStripeの成長は、開発者に優しいペイメントサービスという圧倒的ポジショニングを創業当時に確立したことが成功要因の一つだと言えます。
EC市場が活性化してきた創業当時、色々な会社が自社サイトで支払い機能を拡充させようとしていましたが、開発者の視点からすると、オンラインでの支払い機能実装は難しい、セキュリティが心配、データ統合が難しい等の課題を抱えていました。
そこで、Stripe社は開発者目線で作成されたしっかりとしたQ&Aドキュメント、詳細なテスト環境、使いやすいAPI、誰でも利用できる決済UI等を提供することに成功。Stripeは 「開発者の請求処理の面倒を取り除くという目標を達成するために活動しています」とオフィシャルに言っているほど、開発者目線のサービスに重きをおいています。
(2)こだわりつくしたユーザー体験
Slackは「使いづらさの原因」を徹底的に解消する努力を重ねた。
撮影:小林優多郎
UXに強みを持つことで有名なSlackですが、それは創業当初から始まっていたようです。SlackのCEO兼共同創業者であるスチュワート・バターフィールド氏によると、同社は初めてプロダクトを使うユーザーの立場になって、「使いづらさの原因」となりうるあらゆる可能性を見つけ出すことで、ほぼ完璧に近いプロダクトを作るための努力を重ねてきたとのことです。
Slackの共同創設者を務めるStewart Butterfield(スチュワート・バターフィールド)氏。
撮影:小林優多郎
また、Slackは初期の段階からユーザーのフィードバックを活用することでユーザー体験を向上させることを重視していました。
その考え方は現在にも生かされており、去年、Slackで大規模なサイトデザインのリニューアルが実施された際に、プロダクトデザインチームがこだわった点として以下の3つがカンフェレンスで発表されました。
ユーザーに、どうやってSlackを使うのか、どこに何があるのかを探すといったことに時間を割かせないために、ユーザーが考えなくても直感的に使えるできるようなデザインにすることが大切。
2. 重要な箇所だけ見せるデザイン(Show fewer, more important things)
重要であるものとそれほど重要でないものをきちんと分け、重要なものの数を絞ってデザインを見せるということ。
3. ホスピタリティー精神溢れるデザイン(Be good hosts)
ユーザーの立場を理解して、ニーズに寄り添い、ユーザーが使いたいと思うプロダクトを作り提供すること。
また、UXデザイナーなどが活用するコラボレーションツールである「Figma」が早い段階で成長できた理由の一つにも、デザイナーにとってのUXを極めたという点が挙げられます。
ユーザーは自分のデザインを共有する際、他のデザイナー、エンジニア、プロダクト・マネージャーにFigmaを共有します。メンバーがクラウド上でデザインファイルを確認して、リアルタイムでピンポイントな箇所にコメントを残せます。
デザインのイテレーション(試行錯誤)の全てのファイルも保存できますし、簡単に比較することもできます。Figmaはクラウド上でのメンバーのコラボレーションを可能にしたことで、それまで主流とされていた「PCにインストールしてあるデザインツールでデザイナーが独自にデザインを作成し、ファイルをEメールなどで共有する」といった方法を覆し、「リアルタイムでフィードバックを集めてデザインの改善プロセスの効率化を図ることができる」というユーザー体験を提供することに成功しました。
(3)口コミ効果とフリーミアムモデル
Figmaなどのコラボレーションツールは、ユーザー数を口コミ効果で急速に増やすことができる良い例です。
UXデザイナーは自分のデザインをその他チームメンバーに共有しますが、コメント等をするために他のメンバーもFigmaアカウントを作成する必要があります。このように1人のUXデザイナーがFigmaを使い始めれば、結果的に社内全員に拡散するようになります。
また、インターネットの決済インフラサービス「Stripe」の初期の成長は、使いやすいペイメントシステムを見つけることができて嬉しいと感じたエンジニアなどにより、プロダクトが口コミで拡散されたことも大きな要因です。
具体的には、Stripeの初期投資家であるYコンビネーターのパートナーであるギャリー・タン氏がブログ記事にしたことで人気に火がつきました(後にピーター・ティールやイーロン・マスクも投資をすることで一気にユニコーン企業の仲間入りを果たします)。
Stripeの共同創業者でCEOのパトリック・コリソン氏が2012年2月にTechZingから受けたインタビューによると、「当初は(Stripeは)決済システムであってソーシャルネットワークではないので、拡散性があるとは全く思っていませんでした。しかし、他の決済サービスはどれもあまりにも酷く作業が面倒であったので、実際にはユーザー達が仲間にStripeを勧めてくれたのです」と述べています。
実際に私も複数のスタートアップやウェブプロダクト開発に携わっていますが、開発者が「Stripeを使いたい」「使いやすいと評判だからこれがいい」というケースが多く、実際に使ってみると開発者ではなくてもわかりやすいUIやテスト環境などに感動したのを覚えています。
単に口コミ効果が広がるだけでは売り上げに繋がりませんが、ユーザー獲得とマネタイズに結びつけるためのビジネスモデルとして、フリーミアムモデルが導入されているケースが多く見られます(全てが当てはまるわけではありません)。
こちらはZoomなどもそうですが、例えば、SlackやFigmaなどもフリーミアムモデルで急成長した会社です。
Slackの場合、このビジネスモデルにより、同社はローンチ時は約400人のデイリーアクティブユーザー数だったのがその半年後には約1万5000人に急増し、Slackに投資していたマーク・アンドリーセン氏が「エンタープライズ分野でこんなバイラルな成長を遂げるアプリは見たことがない。それも口コミ効果だけで。」とツイートしたのもこの時期です。
Slackのユーザー数はローンチの半年後時点で約1万5000人に急増した。
出典:Business Insider
(4)テックコミニュティでのインフルエンサー経営陣
Stripeファウンダーのパトリック・コリソン氏。
Reuters/Brendan McDermid
SlackCTOのカル・ヘンダーソン氏。
撮影:伊藤圭
前述の口コミ効果につながりますが、口コミに火をつける起爆剤となるものに、「インフルエンサーとしての経営陣の存在」が挙げられます。SlackのファウンダーはFlickrの元共同創業者ということで、テック業界では名の知れた起業家です。
また、Stripeのファウンダーの2人(パトリック・コリソンとジョン・コリソンのアイルランド出身の兄弟)も共に優秀で知られた兄弟です。
兄のパトリック・コリソンは16歳の時にLispというプログラミング言語の研究で第41回ヤング・サイエンティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞し、弟のジョン・コリソンは、リービング・サーティフィケート(アイルランドの国家統一試験)において史上最高のスコアを獲得し、飛び級してMITに進学するなど、10代の頃から天才エンジニア兄弟として注目を集める存在でした。
ビッグデータを使ってAIや機械学習モデルを開発するためのインフラサービスを提供しているDatabricks社の場合も似ています。
創業メンバーの1人に、アパッチスパーク(オープンソースのクラスタコンピューティングフレームワーク)を開発した著名なエンジニアであるマテイ・ザハリア氏がいました。彼の存在によって、ビッグデータを扱う開発者や、機械学習モデルの「DevOps環境」(開発と運用を連携させる開発手法のこと)への組み込みなどに苦労しているエンジニアなどが、初期ユーザーとして一気に集まったという経緯があります。
(5)具体的なKPI設定
Slackの主要なKPIの1つに、送信されたメッセージの数があります。
Slackの場合、1つのチームが2000件のメッセージを交換すると、そのチームは本当にプロダクトを活用しているアクティブユーザーとカウントされるとのことです。この数字は会社にとって重要な指標と考えられており、ユーザーがプロダクトの利用登録をしたその瞬間に、この数字がKPIとなります。
チームの大きさにかかわらず、2000件のメッセージ送信をした会社の93%がSlackを使用し続けているというデータがあることから、2000という閾値を設定したと言われます。通常の会社が設定しがちな表面的なKPIに追われることなく、「ロイヤリティーの高いユーザーと、そうでないユーザーを分ける特徴量(指標)は何なのか」という考え方をKPIに生かしていたのだろうと考察できます。
B2B向けのソフトウェアプロダクトはこれまで、マーケティングなどが難しく、営業コストがかかりスケールしにくいと以前は考えられていました。優秀な営業チームを抱えて、それぞれの営業に頼らなければならないと思われていたからです。
しかし、優れたプロダクトとそのポジショニングを確立し、拡張性のあるビジネスモデルとマーケティング戦略を組み合わせれば、成功するという事例も数多く見られます。
(文・石角友愛)