EHTによって観測された巨大楕円銀河「M87」に存在するブラックホールの影の画像。
出典:EHT Collaboration
あなたは覚えているだろうか。
人類史上初めて「ブラックホール」の撮影に成功したことが発表されたあの日の興奮を……。
2019年4月10日。この日、世界6カ所で同時に行われた記者会見で、「ブラックホール」の姿が初めて世界に公開された。筆者も、ベルギー・ブリュッセルで行われた会見に参加したうちの一人だ。
当時、世界中の新聞の1面を飾り、テレビ等でも大きく報道されたブラックホールの画像は、「イベント・ホライゾン・テレスコープ」(Event Horizon Telescope, EHT)と呼ばれる、世界中の200人以上の研究者が関わる巨大な国際共同研究プロジェクトによって得られたものだ。
EHTによって観測されたのは、巨大楕円銀河「M87」の画像。
その中心核に存在する巨大なブラックホールによって作り出された「影」と、それを縁取る「光の輪」が撮影されたのだ。このドーナツの様な明るいリングとその中心にある黒い穴の発見によって、人類はブラックホールが本当に存在していることを史上初めて視覚的に捉え、その存在は決定的なものとなった。
あれから、もうすぐ2年。
ではこのドーナツのような画像から一体何が分かり、何が分からなかったのか。EHTの理論作業班の世話人として理論的な解釈と論文の執筆に携わった筆者が、ブラックホールの「影」を撮影した“後”、これまで何が行われてきたのかを前後編の2回に分けて紹介する。
ブラックホールとは何か?
EHTの成果は世界で同時に開催された会見で発表された。これはワシントンで開催された会見で話す、創設ディレクターのシェパード・ドールマン氏。(筆者はブリュッセルで開催されたものに参加)
Chip Somodevilla/Getty Images
そもそも「ブラックホール」とは何か、ご存知だろうか。
ブラックホールとは、天才物理者アインシュタインが考案した「一般相対性理論」によって予言された極限的に強い重力場での「解」だ。
ニュートンの「万有引力の法則」では、質量を持つあらゆる物質の間には、互いに引き合う「万有引力」が働いているとされている。地球に重力があるのもそのためだ。
一方、アインシュタインの一般相対性理論で重力を理解しようとすると、考え方が変わる。
一般相対性理論では、質量を持つ物体があると、その場所の「時空」が歪むと考えられている。そして、この時空の歪み具合に応じて、重力の強さが決まるのだ。
地球が時空を歪めるイメージ。
koya79/GettyImages
では、質量がどんどん大きくなったり、一点に小さく収束して物体の密度が高くなったりしたら、どうなってしまうのだろうか?
ニュートンの万有引力の法則では、質量が大きくなったり、密度が高くなったりすると、ただ万有引力(重力)が無限に大きくなっていくだけだ。
一方、一般相対性理論では、質量が大きくなったり、密度が高くなったりした結果、「時空の歪み」が無限に大きくなる(重力が無限に大きくなる)点が現れることが予想された。
これが「ブラックホール」だ。
ブラックホールの「影」とは
ESO,ESA_Hubble,M.Kornmesser_N.Bartmann
では、EHTが撮影した、ブラックホールの「影」とは何なのだろうか。
重力が無限に大きいブラックホールの周辺では、光さえもその重力によって(時空の歪みに沿って)捻じ曲げられる。そして、重力がある大きさ以上の領域では、光さえもブラックホールの外側に逃げ出すことができなくなる。
この境界を「事象の地平面(Event horizon)」という。
ブラックホールは、周りにあるプラズマ状態のガスをその重力で引き寄せ、飲み込もうとしている。その際、プラズマ状のガスは摩擦によって発熱し、光りを放っている。
ブラックホールのすぐ近くから出た光や、すぐ近くを通過した光は、その強い重力により大きく軌道が曲げられ、ブラックホールに落ち込んでしまい、私たちのもとへ届くことはない。
一方、ブラックホールから「少し離れたところ」から出た光は、ぎりぎりブラックホールの重力にとらわれずに私達の元まで届くことができる。
その境目には、光がブラックホールに落ち込まず、光が周回している領域があり、これを「光子球(Photon Sphere)」という。この光子球が、我々のもとに光が届く限界の領域だ。
光子球の大きさは事象の地平面より計算上約1.5倍の大きさだ(無回転ブラックホールの場合)。
このように黒い穴の周りに見える明るいリングのことを、我々は「ブラックホールの影」と呼んでいる。
ここで重要なのは、EHTが撮影した画像に見える「黒い穴」の周囲でリング状に光り輝いている領域は、「光りが見えている」という以上、光子球よりも「外側」の軌道から放たれた光であるということだ。
つまり、一見するとEHTの撮影した「黒い穴」が事象の地平面であり、ブラックホールそのものであると思われがちだが、ブラックホールの内側と外側の境界にあたる事象の地平面は更に内側にある。
太陽の65億倍の質量を持つブラックホール
ブラックホールシャドウのメカニズム解説映像
出典:Nicolle R. Fuller/NSF
世界で初めて撮影されたブラックホールの影。これまで間接的にしか証明されていなかったブラックホールの「実態」を捉えた初めての成果だが、結局のところ、ここからいったいブラックホールの何が分かったのだろうか。
ブラックホールの研究をする上で、私達が知ることができる情報はブラックホールの「質量」「角運動量」、そして「電荷」の3つだけだ。これ以外に、ブラックホールの事象の地平面の内部の情報を知ることはできない。これをブラックホール脱毛定理(無毛定理)という。
ただし、ブラックホールが仮に帯電した(電気を帯びた)としても、すぐに反対の電荷を持つプラズマを吸い寄せて中性になってしまうため、ブラックホールの電荷は、ほぼゼロに近いと考えられている。
そのため、ブラックホールの性質は、実質的にその「質量」と「角運動量」の2つのみで決まる。
ブラックホールの質量からはブラックホールの大きさが。ブラックホールの角運動量からは、ブラックホールがどれだけ回転しているのかが分かる。
こういったブラックホールの「性質」を正確に把握することで、アインシュタインの一般相対性理論の検証やブラックホールそのものの理解へとつながっていくわけだ。
今回のEHTの観測で最もよく分かったのは、ブラックホールの質量だ。
ブラックホールの影の大きさはブラックホールの質量によって決まる。もし地球から見て、同じ距離にあるなら、影の直径が大きければ大きいほど、中心にあるブラックホールの質量は大きくなる。
EHTで観測したブラックホールの影の大きさは見かけの直径40マイクロ秒角(角度9000万分の1度)。直径でいうと約1000億km。「M87」までの距離が約5500万光年であることをもとに計算すると、この中心にあるブラックホールの質量は、太陽の65億倍であることが分かった。
活動銀河は膨大なエネルギーを中心部1%程度のコンパクトな領域から出しており、そのエネルギー源について論争が続いていた。EHTによるブラックホールの影の観測は、その膨大なエネルギーの駆動源が銀河の中心に存在する巨大ブラックホールにあることを明確に示すこととなったのだ。
ブラックホールは回転しているのか
EHTのプロジェクトでは、世界中にある電波望遠鏡で得られたデータを組み合わせることでブラックホールの画像を撮影した。この写真は、EHTに参加したチリ、アタカマ砂漠にあるアルマ電波望遠鏡。
ALMA(ESO_NAOJ_NRAO)
では、ブラックホールの角運動量はどうだろう?
角運動量を知るには、ブラックホールがどれだけ回転しているかを計測する必要がある。ブラックホールの影の形は、ブラックホールが早く回転するほど変形していく。逆に言うと、ブラックホールの影の歪み具合から、ブラックホールの角運動量を推測することができる。
ただし、一つ問題があった。
ブラックホールの影の変形具合が最大に見えるのは、ブラックホールを「真横」(ブラックホールの回転軸に対して垂直な方向)から見たときであり、それでも変形の度合いはたったの5%程度だ。
EHTで観測した活動銀河M87の画像は、ブラックホールをほぼ真上(ブラックホールの回転軸に対して並行な方向)から見ている状態であると考えられていたため、ブラックホールの影は、ほとんど変形していないように見えたのだ。
これでは、判断ができない。
そこで出番となったのが、私を含むEHT理論作業班だった。(後編は、3月19日に公開予定)
水野陽介(みずの・ようすけ):上海交通大学李政道研究所准教授。イベント・ホライゾン・テレスコープ理論作業班世話人。ブラックホール天文学、プラズマ宇宙物理学、数値天文学が専門。アメリカ航空宇宙局マーシャル宇宙飛行センターNASA Postdoctoral Programフェロー、アラバマ大学ハンツビル校宇宙プラズマ研究センター常勤研究員、國立清華大学天文研究所助理研究学者、フランクフルト大学理論物理学研究所研究員を歴任。愛知教育大学教育学部卒、愛知教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、京都大学大学院理学研究科物理学・宇宙物理学専攻博士後期課程修了(博士理学)。