イギリスのジョンソン首相。自身のコロナ感染、遅延に遅延を重ねた自由貿易交渉、ウイルス変異株の流行……イギリスは長く続いた不安の季節から脱しようとしている模様だ。
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年初来、金融市場ではアメリカの金利・株・ドルの「トリプル高」が基本的な傾向として続いている。アメリカ経済の力強さを考えれば、それ自体は違和感のない動きだ。
そんな状況のなかで、アメリカドルと同じくらい、考え方によってはそれ以上に気になる動きを見せる通貨がある。
それはイギリスポンドだ。年初2カ月間で見ると、ポンドは対ドルでプラス2%以上上昇。これほどドルに優位を示している主要通貨はほかにない。2月24日、ポンドは対ドルで1.42ドル台に突入し、2018年4月以来、2年10カ月ぶりの高値を記録している。
ただし、欧州連合(EU)を名実ともに離脱したことの悪影響は今後、陰に陽に顕現化してくると考えられ、中長期的にはイギリスの潜在成長率が押し下げられると見方が根強い。
また、自由貿易協定に関する交渉で2020年末に妥結をみたあと、年末年始の移行期に大きな混乱がなかったため、イギリスの正式離脱はいったん市場の取引材料から外れている。
では、いったい何がいまポンドの「買い材料」になっているのか。ひとまず考えられるのは以下の3点だ。
- マイナス金利導入観測の後退
- ワクチン接種の進捗ペースが早いこと
- 上記2点のため、成長率見通しが相対的に先進国のなかでも高いこと
英製薬大手アストラゼネカが開発・販売する新型コロナワクチンの購入代金が、まとまった額のポンド買いを招いているとの観測もあるが、やはり煎じ詰めれば上記の3.を念頭に、ポンドを買い進める向きが多いと考えるのが正攻法だろう。
「遠のいた」マイナス金利導入
ロンドン北部に設置した巨大ワクチンセンター(全英7カ所のうちの1カ所)を訪れたジョンソン首相。接種は順調に進み、イギリス経済の成長見通しを底上げしている。
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まず、1は事実として認められる。昨年来、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行(BOE)には、マイナス金利を導入するのではないかとの観測がつきまとっていた。
同銀のベイリー総裁はそのネガティブな影響を懸念するスタンスを見せていたものの、政策決定にかかわる金融政策委員会(MPC)のソーンダース委員が、「政策金利をさらに引き下げる余地がある程度あるかもしれない」と述べる(2020年12月)など、マイナス金利導入の観測は払拭されなかった。
しかし、2月4日に公表された金融政策委員会の議事要旨では、マイナス金利は「将来必要になった場合への準備を開始することが適切」ながらも「現時点で導入の必要はなく、新型コロナウイルスの感染拡大により景気悪化が長期化した場合に備え、追加緩和手段の選択肢として確保しておく」と、温存する考えが示された。
また同時期、BOE傘下の健全性規制機構(PRA)は、「すべての国内銀行がマイナス金利に備えるためには少なくとも6カ月必要」との認識を(BOEに)報告した。
こうした動きを受けて、マイナス金利導入が近未来の出来事ではなくなったとの見方が強まり、それがポンド相場を押し上げている面があるのは間違いない。
「ワクチン戦略」の良し悪しが、通貨の強さを左右する
だが、ポンド買いのより本質的な背景は、2.のワクチン接種の順当な進捗により、経済活動が正常化に向かい、3.のように成長率見通しが相対的に高まっていることだろう。1.についても、そもそもにして成長見通しが順当だからこそ、マイナス金利の導入が不要になったと考えられる。
実際のところ、最近の主要通貨の強弱関係は、各国のワクチン戦略の巧拙との強い関係性がみられる。
イギリスは先進7カ国(G7)のなかで最もワクチン接種が進んでいる国であり、アメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、カナダと続く【図表1】。
【図表1】100人あたりの接種回数(太字は先進7カ国、2021年3月1日時点)。
出所:Our World in Data資料より筆者作成
ちなみに、日本はまだ統計が得られるほどの水準になく、比較対象にすらならない。年初来の為替市場の対ドル変化率は「ポンド>ユーロ>カナダドル>円」となっており、通貨の強さがワクチン接種の進捗と一致していることがわかる。
イギリス経済の先行きは年初、変異株ウイルスが猛威を振るっていることから悲観視されていた。ところが、現時点で人口の30%近くが接種を済ませ、新規の感染者数・死者数はすでにピークアウトしたことがはっきりみてとれる【図表2】。
【図表2】イギリスのワクチン接種回数と新規感染・死者数の推移(2020年7月1日を100として指数化)。
出所:Macrobond資料より筆者作成
このまま順調にいけば、「7月末までにすべての成人が初回接種を終える」という政府目標への到達も絵空事ではなくなる。3月8日の学校再開を皮切りに開始される4段階の経済再開ロードマップは、最善シナリオの「6月完了」で着地する公算も大きくなってきた。
少なくとも、あいまいな計数に基づく政治ゲームが展開され、雰囲気に流された感染対策が規定されるような不透明さは感じられないので、金融市場としては材料として織り込みやすい状況だ。
今後、ロードマップに従った行動制限の緩和が、想定外の変異株生成ないしは拡大につながるリスクはもちろん否定できないが、ワクチン戦略が奏功しそうな現時点での状況が、イギリスポンドの評価を高めている可能性は相当高そうだ。
イギリスは2022年にさらなる成長の「山」を迎える
こうした状況は当然、経済成長率の見通しにも反映されてくる。
2021年は多くの国が成長率の反発(上昇)を経験するものの、そこから2022年にかけて再び減速に向かうというのが既定路線だ。2020年が「谷」、2021年が「山」という上下動を経験し、2022年以降は「軟着陸」を図るという基本シナリオは自然に感じられる。
そんななかで、イギリスは2021年の「山」から再加速し、2022年にはさらに高い「山」に登ると予測されている。このように山がこれから2度来るのは、G7のなかではイギリス以外にイタリア、カナダも同じだが、イギリスの2022年の成長率はそのなかでも最も高くなることが想定されている【図表3】。
【図表3】2021~22年にかけての先進7カ国(G7)の成長率軌道。
出所:IMF「World Economic Outlook」(2021年1月改定版)より筆者作成
こうした見通しにはワクチン接種の順当な進捗とコロナ感染の抑制が前提として織り込まれているが、国際通貨基金(IMF)がこの見通しを発表した2021年1月時点より、イギリスのワクチン接種ペースは前倒しで進んでいる模様だ。
とすれば、4月に予定されるIMFの「世界経済見通し」改定時、イギリスの成長見通しはさらに上方修正される可能性もある。
近年、先進国の間ではロクな話が聞かれなかったイギリスだが、2021年から22年に世界経済の「台風の目」になりそうな状況にあることは、日本ではあまり報じられていない。知っておいても損はない事実ではないか。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文:唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。