あの日の津波、避難所、そして復興…南三陸の写真館は、震災後の10年を撮り続けた(写真22枚)

震災直後の被害状況、避難所、復興していく町の様子…。この10年で佐藤さんが撮り続けた写真は数万枚にのぼります。

震災直後の被害状況、避難所、復興していく町の様子…。この10年で佐藤さんが撮り続けた写真は数万枚にのぼります。

撮影:丸井汐里

3月11日で東日本大震災から10年 ——。地震と津波で600人以上の命が奪われた宮城県北部・南三陸町の写真館「佐良スタジオ」の店主・佐藤信一さん(55)は、町に津波が押し寄せた瞬間をカメラで記録していました。

震災直後の被害状況、避難所、復興していく町の様子。この10年で佐藤さんが撮り続けた写真は数万枚にのぼります。

自主的に語り部として活動し、写真とともに当時の体験を伝え続ける佐藤さん。写真を見て、話を聞いてくれた人たちが、身近な人に伝えてくれたら……。それが、間接的に震災記憶の伝承に繋がるのではないかと佐藤さんは語ります。

ただ、コロナ禍の今は被災地を訪れることは難しい——。震災記憶の継承の一助になるべく、Business Insider Japanでは佐藤さんにご提供いただいた撮影した写真の一部を紹介します。

※本記事では東日本大震災に関する写真が含まれます。ご覧になった際に精神的なストレスを感じる可能性があります。閲覧にご注意ください。

2007年9月、志津川中学校から撮影した南三陸町の景色。

2007年9月、志津川中学校から撮影した南三陸町の景色。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


震災前の佐良スタジオ(写真左)。 南三陸町の夏の風物詩「トコヤッサイコンテスト」の日に撮影。

震災前の佐良スタジオ(写真左)。 南三陸町の夏の風物詩「トコヤッサイコンテスト」の日に撮影。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


2011年3月11日、津波が水門を破った瞬間。

2011年3月11日、津波が水門を破った瞬間。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


写真右上が津波に飲まれる前の南三陸町防災対策庁舎(防災庁舎)。屋上に多くの人が避難していた。

写真右上が津波に飲まれる前の南三陸町防災対策庁舎(防災庁舎)。屋上に多くの人が避難していた。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


津波は濁流となり、町を飲み込んだ。

津波は濁流となり、町を飲み込んだ。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


猛烈な津波は、公立志津川病院の建物を突き抜けた。手前にアンテナのようなものが見える場所が南三陸町防災対策庁舎(防災庁舎)。屋上の大半が津波に飲まれていた。

猛烈な津波は、公立志津川病院の建物を突き抜けた。手前にアンテナのようなものが見える場所が南三陸町防災対策庁舎(防災庁舎)。屋上の大半が津波に飲まれていた。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


津波は防災庁舎の屋上を襲った。佐藤さんは、身を寄せ合い、何とか流されないようにと耐える人、アンテナによじ登る人の姿を捉えていた。

津波は防災庁舎の屋上を襲った。佐藤さんは、身を寄せ合い、何とか流されないようにと耐える人、アンテナによじ登る人の姿を捉えていた。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


津波で押し寄せられた瓦礫。

津波で押し寄せられた瓦礫。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


津波が引き始めたころの防災庁舎。

津波が引き始めたころの防災庁舎。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


2011年3月11日午後5時16分。破壊された水門を見て、立ち尽くす人たち。

2011年3月11日午後5時16分。破壊された水門を見て、立ち尽くす人たち。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


震災直後の南三陸町。ところどころに雪が見える。

震災直後の南三陸町。ところどころに雪が見える。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


2011年3月11日午後6時5分、志津川中学校から撮影。

2011年3月11日午後6時5分、志津川中学校から撮影。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


震災翌日の3月12日、午前11時40分。

震災翌日の3月12日、午前11時40分。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


2011年3月19日、避難所となった志津川小学校の体育館。

2011年3月19日、避難所となった志津川小学校の体育館。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


2011年3月22日、避難所となった入谷中学校の体育館。

2011年3月22日、避難所となった入谷中学校の体育館。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


2012年2月、仮設商店街「南三陸さんさん商店街」のオープニングセレモニー。

2012年2月、仮設商店街「南三陸さんさん商店街」のオープニングセレモニー。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


「南三陸さんさん商店街」には、南三陸の『三』と太陽の『SUN』をかけ、燦々と輝く明るいイメージに…と、願いが込められた。

「南三陸さんさん商店街」には、南三陸の『三』と太陽の『SUN』をかけ、燦々と輝く明るいイメージに…と、願いが込められた。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


仮設商店街の人々の集合写真。

仮設商店街の人々の集合写真。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


地元住民にとっては、この商店街は『再会の場』に。観光客も訪れ「復興の象徴」とも……。

地元住民にとっては、この商店街は『再会の場』に。観光客も訪れ「復興の象徴」とも……。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


2017年3月、「南三陸さんさん商店街」は常設の商店街として、かさ上げされた現在の地に移った。

2017年3月、「南三陸さんさん商店街」は常設の商店街として、かさ上げされた現在の地に移った。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


オープン当初は、約2キロ先にある高速道路のインターチェンジから渋滞が続くほどの大盛況。観光バスが立ち寄るようになるなど、多くの客で賑わった。

オープン当初は、約2キロ先にある高速道路のインターチェンジから渋滞が続くほどの大盛況。観光バスが立ち寄るようになるなど、多くの客で賑わった。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


現在のさんさん商店街で実施された餅まき。

現在のさんさん商店街で実施された餅まき。

撮影:佐良スタジオ 佐藤信一


宮城県・南三陸町の写真館「佐良スタジオ」店主の佐藤信一さん(55)は10年前、町に津波が押し寄せた瞬間をカメラで捉えていた。その後も震災直後の被害状況、避難所、復興していく町の様子を10年にわたって撮り続けてきた。

宮城県・南三陸町の写真館「佐良スタジオ」店主の佐藤信一さん(55)は10年前、町に津波が押し寄せた瞬間をカメラで捉えていた。その後も震災直後の被害状況、避難所、復興していく町の様子を10年にわたって撮り続けてきた。

撮影:丸井汐里

佐藤さんが店を構える「南三陸さんさん商店街」では、佐藤さんのメッセージを紹介しています。

あの日以来、多くの人たちが南三陸を訪れて、心を繋いでくれています。
本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。

私は町の小さな写真屋の二代目。
皆さんに支えられて今日まで頑張ってこれました。

先日、私の撮影した昔の町並の写真を見た方が泣いていた。
ガレキの中から探し出した一枚の写真を私に見せ「これでまた生きていけるよ」と大切に胸にしまった人もいた。
ホント写真の力ってすごいなと感じた。

私の店も家もすべて流されたけど、この町に生かされた写真屋ができる事。
それはやはり写真で恩返しする事、そう強く感じています。

写真はありのままを写す。
時に辛い場面も写し出す。
だから喜びも悲しみも心を込めてシャッターを切ろう。
そう心に決めました。

かけがえのないふるさとと人々の心のあたたかさを伝える為に。
今を移せば未来へ繋がる。
写真の力を信じて…

佐藤さんが歩んだ10年間を振り返るインタビュー記事は【こちら

佐藤信一:1966年、宮城県南三陸町生まれ。親子2代で写真館「佐良スタジオ」を営む。2011年3月11日、東日本大震災の津波で自宅兼店舗を失う。地震直後から南三陸町の姿を記録。写真集『南三陸から2011.3.11~2011.9.11』(日本文芸社)で第43回講談社出版文化賞「写真賞」を受賞。

(文・吉川慧、取材協力・丸井汐里

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