「地図はすぐに古くなるけれど、真北を常に指すコンパスさえあれば、どんな変化にも惑わされず、自分の選択に迷うこともない」
そう語る山口周さんとさまざまな分野の識者との対話。
第4回目の対談相手は、解剖学者の養老孟司さん。人工物で作り出された都市を「脳化社会」として身体性の喪失について警鐘を鳴らし、新刊『AIの壁』では人間の知性を問い直しています。コロナ禍で地方に拠点を移す人が増えてきた現状をどう捉えているのでしょうか。
山口周氏(以下、山口):新型コロナという1年半前には想像しなかったことが起こりました。先生は以前から一種の思考実験として「鎖国してみたらいいんじゃないか」とおっしゃっていましたが、事実上そうなった。環境が劇的に改善されるなど良い側面も注目されていますが、この事態をどうご覧になっていますか。
養老孟司氏(以下、養老):来るべきものが来たと思いますね。パンデミック自体は予想していた人もいました。ただ実際起こってみると、初めてなのでびっくりしますね。
山口:都市に人が集中するから疫病が流行するわけですが、これまでは都市化を逆行させよう、分散させようという動きは起こらず、都市化やグローバルな人の往来という流れは止められなかった。人が集まった方が便利だし効率がいいということで。
ところが2020年7月、初めて東京の人口が転出超過となりました。明治元年から、人口が増加する一方だったのが減少に転じた。上場企業の50%は東京に本社があり、これまで毎日800万人が東京に通勤していました。でもテレワークになったら意外とスムーズにできた。これまで都市部に住んで毎日出勤していたのは一体なんだったのか。
先生は脳化社会、唯脳論ということをおっしゃっています。6年前に私が東京から葉山に引っ越した時にも感じましたが、都市は、実は情報がすごく少ない。東京は情報過多と言われますが、逆です。都市は人間の脳がつくり出したものでできていて、360度見回しても人工物ばかり。
歴史を見ると、疫病は数百年ごとに流行して、世の中が大きく変わるきっかけになっています。今回、都市に集まる必然性が見直されて、大きな変化が起こるといいなと思います。先生は以前から都市の問題について論じておられますが、今後どのようなことが起こるとお考えでしょうか。
養老:そういう予測はちょっと、難しいと思います。大体当たらない(笑)。当たり前に戻ってきたんですよね。
山口:当たりませんね(笑)。
養老:人間の歴史は、情報化の時代と身体化の時代が螺旋状に繰り返されています。縄文時代は身体化の時代でした。弥生時代以降、情報化社会に変わっていきます。
文字の伝来は、当時としては完全なIT(情報技術)です。本人がいなくても話が伝わるというイノベーションが起こった。「詠み人知らず」はその典型で、詠んだ人の実体は不明でも歌だけが形を変えずに残る。情報の特徴ですね。
乱世になって再び身体化の時代に戻ります。面白いことに、鎌倉時代は意外に文章の記録が少ない。鎌倉時代末期には誰が執権だったかさえよくわかりません。身体化の時代でしたから、文字に残さない。情報化された時代、つまり脳化社会では、身体化の時代は野蛮で遅れていると見られていた。ですから平将門以来、関東は都から見た辺境でした。江戸時代になって再び情報化社会に戻ります。
日本の歴史を振り返って、思想の上で一番大きな切り替わりは平安時代から鎌倉時代です。当時書かれた『方丈記』や『平家物語』は、いずれも諸行無常と言っています。気がつくとすべてのものが移り変わっているじゃないかと。ところが文字に書くと移り変わらない。平家物語のテキストは700年経っても同じです。それが情報の特徴ですから。万物流転という言葉はギリシャ時代に生まれて流転することなく残っています。そういう普遍のものを情報と呼ぶ。現代は典型的な情報化の時代です。
では情報になっていないものから情報に変化するところで何が起こっているのか。いま私が関心を持っているのはそこです。田舎で暮らしていると五感からさまざまな情報が入ってきます。具体性の強い情報です。五感から概念へ変化していく。都会にいると、そのことに気がつかない。全部省略していますから。僕はそれを情報化と言っています。情報化という言葉はごく普通に使われますが、情報でないものが情報に化けることがどこでどのように起こるのか。脳の中ですけどね、もちろん。
社会が便利さだけを追い求めると、五感から得る情報の大切さが見過ごされてしまう。
Julia von Siebenthal/Shutterstock
山口:私はもともとコンサルティング会社で企業経営に携わる仕事をしていました。アメリカの会社に長くいて、聖書の影響を強く感じました。モーゼの十戒では偶像崇拝を禁止しています。モノにするな、具体にするなというわけです。時間が経っても場所が変わっても、聖書の言葉は不変です。ところがモノにすると現地化してしまう。
欧米の会社では、会社のビジョン・ミッションが明示されています。ミッションという言葉自体、キリスト教の言葉ですね。世界中どこでも「これに従って仕事しなさい」というわけです。つまりグローバルの基準とローカルの基準が共存する。ダブルスタンダードは、カタストロフィーを避けるためのひとつの知恵とも言えます。言葉にすることで普遍化する。そこに当てはまらないものは現地の状況に合わせてなんとかする。
一方で情報技術、現代ではインターネットをアメリカが主導して、あらゆる場所を普遍化させつつあります。コロナによる事実上の鎖国で現地化せざるを得ない状況と、インターネット上の仮想空間で同じ情報が流通している状況が同時に起こっている。もともとコミュニケーションは五感を通じてするものですが、コンピュータの画面越しに行うようになって、プライベートな生活空間は田舎に置いたままにできるようになった。そこで五感を全開にするので、ある意味引き裂かれているような状況が起こっていますが、これは健全な方向に向かうのでしょうか。
養老:向かわざるを得ないと思いますね。個人がまともに機能するには、身体的な情報と頭の中の概念的なもののバランスを取らなければならない。東京は、そのバランスが完全に頭の方に寄っています。それが行き過ぎだということは感覚的にわかるから、田舎に行きたくなる。当たり前です。
毎日踏みしめている地面も、東京はどこまでも平坦で、硬さも同じです。いま私は箱根にいますが、ただ歩くだけでも全然違います。そういう日常からの感覚情報をできるだけ一定にしてしまったのが都市です。五感から入ってくる情報をノイズとして極力排除してできている。
若い社員も仕事の報告をメールでするでしょう。上司の顔を見たくないんです。これはとうの昔に医学で起こったことです。患者さんの顔を見ずにカルテを見る。ノイズを削ぎ落とすんですね。田舎に行くとそのノイズが中心になる。AI化されていない、データ化されていない情報が入るようになります。
「同じ」という概念が言葉をつくった
Zoom画面上の養老孟司さん。対談は2021年2月、オンラインで行った。
養老:最近、『遺言。』という本にまとめましたが、動物と人の違いは、意識の中に「同じ」という機能があるかどうかです。同じにするから概念が生まれる。動物にしてみれば、リンゴは 一つひとつ違うものです。私がリンゴと言った時、相手も私と同じものを考えている。それが言葉の成り立ちです。「同じ」に括っているわけです。
人は成長するにつれて絶対音感を捨てます。捨てないと、言葉が成立しません。動物は音の高さ、振動数に頼るので、振動数が違えば違う言葉になります。だから動物は言葉を覚えない。ところが人間は振動数が高くても低くても、言葉で識別する。小さい時からピアノを習っている子どもは、ピアノの音を中心に聞いているから絶対音感が残ります。
2020年に出した新刊『AIの壁』で対談した、新井紀子さん(国立情報学研究所教授)のレポートで一番印象的だったのは、彼女のいう読解力が中学生の段階で飛躍的に伸びるという話です。僕も中学生を教えていたことがありますが、中1と中3ではえらく違う。その間に急激に何かが変わる。では、そこで何が起こっているのか。
中学の数学になると文字式が出てくるでしょう。小学校では3+3=6と習っていたのが、2x=6ゆえにx=3という方程式が入ってきます。子どもによっては、これが受け入れられない。xは文字で3は数字なのに、x=3でいいのかという疑問に突き当たります。さらに、a=bになると大変です。aとbは違う字でしょう、a=bならbはいらないじゃないか。子どもの時の感覚入力から、算数から代数に切り替わるところで、概念化するようになります。
たいていの子どもはa=bを受け入れるんです。動物は感覚所与を使って生きています。目に光が入る、耳に音が入るのは感覚所与です。感覚所与と、頭で考えたa=bという結論をどうやって両立させるか。そこで、ある種の倫理観が決まってくるんじゃないか。倫理観は聖書やコーランではなく、学校の教育と関係している。それが中学生の段階で形成されるんじゃないかと思います。
山口:面白いですね。その違和感を拭えない子がいるんでしょうね。『遺言。』の中で、黒色で「白」と書いたら、動物は「黒じゃないか」と言うだろうと書いておられますね。実際に白いものと「白」という漢字を並べて、これは同じなんだと言われても、a=bの話と同じように、まやかしじゃないかと思ってしまいますよね。
(明日の後編に続く)
(構成・渡辺裕子、山口氏写真・伊藤圭、養老氏写真・吉田和本、編集・浜田敬子、小倉宏弥、デザイン・星野美緒)
山口周:1970年生まれ。独立研究者・著作家・パブリックスピーカー。World Economic Forum Global Future Council メンバー。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了後、電通、ボストン・コンサルティング・グループなどで経営戦略策定、組織開発に従事した。著書に『ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式』『ビジネスの未来』など。
養老孟司:1937年、鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年、東京大学医学部教授を退官し、同大学名誉教授に。1989年、『からだの見方』でサントリー学芸賞を受賞。大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けている。著書に『AIの壁』『唯脳論』『バカの壁』『遺言。』『日本のリアル』『文系の壁』『半分生きて、半分死んでいる』など。