「福島の野菜、東京で売らないで」。震災後、駅でマルシェを続けて起きた変化【3.11 #あれから私は】

マルシェ風景

2021年3月7日、JR川口駅構内で開催された「福島マルシェ」。日替わりで駅を変えJRの駅構内で開催している。

撮影:丹治倫太郎

JRの駅構内に並んだ収穫されたばかりの野菜と、「ふくしま野菜」と書かれたのぼり旗。JR目黒駅、高円寺駅、川口駅や大宮駅…首都圏のJR駅構内約10カ所で、福島県産野菜を日替わりで巡回販売する「福島マルシェ」は、連日買い物客でにぎわっている。

私は都内の大学に通いながら、2020年11月から、ここで週1回アルバイトとして働いている。

アルバイトを始めるまで、福島第一原発事故の風評被害はすでに過去のものだと思っていた。ところがこの2月、「福島のいちごは、放射線が怖いから買いたくない」とお客さんから面と向かって言われる経験をした。自分の認識はまだ甘いと思い知らされた出来事だった。

東日本大震災から10年で、風評被害はどう変わってきたのか?

震災後にマルシェを起業し、運営を続けてきた大川昌義さん(48)に聞いた。

ヤマト運輸を辞め、福島に残る

親子

福島県郡山市からオンライン取材に応じた大川昌義さん(左)と、大川さんの息子・翔さん(右)。

Business Insider Japan

私が大川さんと出会ったのは2020年の冬、インスタグラムで「福島マルシェ」を知ったのがきっかけだった。アルバイトの学生にも笑顔で声をかけてくれる大川さんだが、東日本大震災からの10年は、大川さんにとっては「風評被害と戦い続けた10年だった」という。

神奈川県生まれの大川さんは、親の仕事の都合で福島県郡山市で育った。1997年、都内の大学を卒業後にヤマト運輸に入社。東北支社に配属され、福島県で働くことになった。

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