2020年12月21日・22日、「バーチャル」と「リアル」が一つに重なった。二つの世界を繋げたのは、2Dや3Dのキャラクターをアバターに用い、ネット上で活動するバーチャルYouTuber(VTuber)たちだ。
業界最大手のVTuber事務所の一つ「ホロライブプロダクション」が開催した、VTuberグループ「ホロライブ」の2日間にわたる有料オンラインライブ「Beyond the Stage」。
28人のVTuberたちが思いを込めて歌い、踊る姿を、約5万人ものファンがネット中継を介してリアルタイムで見守った。
ホロライブで2回目のフェスとなる「hololive 2nd fes. Beyond the Stage」には28人の所属VTuberが参加。圧巻のステージをつくり上げた。キャッチコピーは「広がる世界で、一緒に」
提供:カバー
「同じ未来を見ていたい あの夢手にしたい」
「一緒につくろう 終わらない夢を」
(『Shiny Smily Story』— hololive IDOL PROJECT)
累計チャンネル登録者数3500万人超の大看板
2020年はコロナ禍でリアルの場を共有することが難しい中、バーチャル空間を通じて「つながる」ことの意義を改めて考えさせられた年だった。
そんな時勢に請われるように、「ホロライブ」のVTuberたちは、年齢や性別、人種を超え、バーチャルアイドルとして歩み続ける物語をファンに見せてくれた。
「ホロライブプロダクション」には国内外で約50人のVTuberが所属。チャンネル登録者100万人を突破したVTuberを9人(2021年3月時点)も擁し、国内だけでなく英語圏にも根強い支持を確立している。
「ホロライブ」には個性豊かなVTuberが参加。その一人「白上フブキ」は2018年6月の初回配信以来、900本以上の動画を投稿。総視聴回数は1億回を超えている。
フブキCh。白上フブキ
「日本発で最先端の二次元エンターテインメント体験を」——。「ホロライブプロダクション」を率いるカバーCEOの谷郷元昭が、この言葉に掲げてVTuber事業を立ち上げたのは2017年9月のことだった。
それから3年余り。これまでに業界全体で生まれたVTuberは1万人とも言われる。個人勢・企業勢を問わず、日々様々な配信者が活躍している。
一方、この間にいくつもの事務所が勃興するも撤退。数多の「Vの魂」が、惜しまれながらも電子の海から姿を消していった。
そんな競争が激しい業界で、「ホロライブプロダクション」所属VTuberの累計チャンネル登録数は3500万人超(2021年2月時点)に育った。
人気の裏には、所属VTuberの個性豊かな顔ぶれがある。
特撮やアニメへの深い愛を語る白狐の女の子、抜群のイラスト力で自らアルバムジャケットをデザインする海賊の船長、中毒性のある笑い声と語尾で視聴者を虜にするハイテンションなウサギの女の子などなど……。
配信者の王道である「歌ってみた」はもちろん、Minecraft内での運動会や料理配信、俳句選手権など一風変わった企画もあれば、超高難度のゲームに挑む長時間の耐久企画もある。
配信には常に数千人〜数万人のファンがリアルタイムが参加。時に笑いを、時にドラマを生み出す彼女たちの活動を見守っている。
最近では大手コンビニや食品メーカーともコラボ。その活躍はバーチャルにとどまらない。
谷郷もまたVTuber界隈で「YAGOO(ヤゴー)」の愛称で知られるようになった。海外のネット掲示板「reddit」ではファンが作るネットミームのネタにされるほどだ。
新卒でゲーム開発ベンチャーへ。約6年で得た“悟り”
最近では「ホロライブのYAGOO」として認知度が広まってきた谷郷。だが、それまでは国内VC(ベンチャーキャピタル)やIT業界の間で知られていた一起業家だった。谷郷にとって、カバーの立ち上げは2度目の起業となる。
もともとゲームが好きだった谷郷は、1997年に慶應義塾大学理工学部を卒業。新卒でゲーム開発を生業とするベンチャー企業、イマジニアに入社した。
入社の理由は2つ。1つは、コンピューターに関わる仕事がやりたかったという点。もう1つは大学で機械科に在籍したことだった。
「昔はそれこそ自動車やロボットに関わる仕事とか、エンジニアになりたかった。でもこうした分野はめちゃくちゃ成績が良くないと、大学院に進めなかった。そもそも学部の研究室にも入れなかったんです」
大学では自動車のデザイン系研究室になんとか入れた。だが、問題は就職活動だ。
ある日、自動車メーカー出身で厳しさに定評があった当時の指導教授からこう言われた。
「お前、院に行く気はないだろう。やりたいことがあるんだったら、それをやれ」
元々、自分で「ものづくり」をやりたいという欲求は強かった。泊まり込みで共同研究相手がいた千葉大学を訪れ、機械分析のためひたすらPCを触る日々も過ごした。
ゲームにもハマっていた。新作が出れば予約して、買って帰って、すぐにやった。大学時代にはセガ直営のゲームセンターでアルバイトもしていた。
「ゲームだったら興味が持てるかもしれない。ゲームやソフトウェアに関わる仕事がしたい」
だが任天堂、ソニー、セガ、スクウェア……名だたるゲーム企業はどこも狭き門。ましてや谷郷の出身は理工学部の機械工学科。
「ゲーム開発、クリエイティブな採用とは相性が悪かったのかもしれませんね」
そんな中、門戸を開いてくれたのがゲーム開発のベンチャー企業イマジニアだ。谷郷をビジネスプロデューサーとして採用した。イマジニアが上場を果たした翌年だった。
第1、第2希望の企業に入れなかったこともあり、内心では思うところもあったのかもしれない。それでも「ありがたいことに拾ってくれたから、それなら行こうか」と入社を決めた。
このイマジニアへの入社が、人生における転機の一つとなった。
ここで谷郷はコンテンツビジネスにおける一つの「悟り」を得たと語る。
※この記事は2021年3月22日初出です。
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(取材・文:吉川慧、写真:伊藤圭、デザイン:星野美緒)