「経営者としては、あの結果は後悔しています」
得意なことで勝負しなかったことで、1度目の起業を「失敗」だったと後悔する谷郷元昭。次なる一手はVR事業へのチャレンジだった。
新卒で働いたゲーム開発会社での経験を活かせること。そして、当時最も興味があったことが決め手だった。
「インターネットとコンテンツを掛け合わせるようなビジネスを目指したい。得意なこと、やりたいことで勝負したい」
この谷郷の「勝負」こそが、後にネット世界を席巻する「ホロライブ」の物語のプロローグだった。
市場規模30億円。それでも、VRに賭けるしかなかった
谷郷(写真左下)はVRの会社やプロダクトをつくる前に、新ファンド「Tokyo VR Startups(現Tokyo XR Startups)」を周囲を巻き込みながら立ち上げるところからスタートした。
提供:カバー
谷郷は、いきなり会社を設立するのではなく、「VRを通じて何ができるのか」から考えた。のちにカバーCTOとなる福田一行がパートナーとなったのもこの頃だ。
「Kigurumi Live Animator」の存在も、VRへの可能性を感じさせた。人間の身体にデバイスを装着することで、着ぐるみショーのようにリアルタイムで3Dモデリングのキャラを動かせる技術だ。
VRに詳しい株式会社「桜花一門」の高橋建滋にも相談した。ところが、返ってきた言葉は「やめたほうがいい」だった。
「VR元年」と呼ばれた2016年当時、VRの市場規模は82億円程度。それもメインはVRを体験するハードウェア市場で、VRのコンテンツ市場は30億円にも満たなかった。
当時はまだVTuberもいない時代。コンテンツも少なく、ビジネスとして成功するかどうかは未知数。勝負するにはリスクが高すぎる世界だ。
それでも、谷郷は「VRに賭けるしかなかった」と当時を述懐する。
高橋の手伝いで富士山の裾野での360度動画の撮影にも参加。谷郷はクルーの運転手を買って出た。
往復の車内での会話をするうちに、まだ未成熟だったVR業界向けに投資ファンドをつくったほうがいいと思い立った。
旧知だった投資家の國光宏尚(gumi代表取締役会長)らも加わり、VR業界を盛り上げるべく新ファンド「Tokyo VR Startups(現Tokyo XR Startups)」の立ち上げが決まった。当時、東京ゲームショウでVRコンテンツが出展されたことも追い風となった。
ところが、ここで誤算も生じた。谷郷自身はVR開発者のメンバーを集められず、「Tokyo VR Startups」の初回プログラムへの参加を断念せざるを得なかったのだ。
結局、福田とともにオリジナルのゲーム開発に乗り出した。
2016年6月、谷郷はカバー株式会社を設立。VRをビジネスにするための試練の始まりだった。
VRゲーム開発も鳴かず飛ばず
STEAM 「Ping Pong League」配信ページ
谷郷と福田が最初に手掛けたのは、VRを用いた対戦型の卓球ゲームだった。
きっかけは、福田が学生時代に卓球部だったこと。2020年の東京オリンピックも意識していたという。
ゲームを通じて、VR/ARユーザーがソーシャル上でゲームを通じて交流できるようにしたい。そんな思想を込めた。
ところが、これが苦戦の連続だった。VRの世界に卓球の物理法則を組み込み、再現することは至難の技だったのだ。結局、これはビジネスには結びつかなかった。
時間も金も溶かし切り、谷郷は無給のまま身銭を切って福田を雇い続けた。
ゲームは作ったが、面白くない。評価もしてもらえない。ここまでに費やした資金は1000万円ほど。谷郷は完全に追い詰められていた。
そんな時、谷郷は気づいた。キャラクターをVRで動かすこと、それ自体が「面白いんじゃないか」と。
「僕らはゲームをつくることがうまいわけでもないし、それでもつくったゲームは全く評価してもらえなかった。『正直、どうすればいいんだ……』と……。
そんな時でした。ある日、VRデバイスをつかって、自分でキャラクターを動かしてみた。純粋に自分の外見を超えてヴァーチャルで好きなキャラクターを自由に動かせるのって『面白いんじゃないか……?』って気づいたんです」
2016年11月、バーチャル世界には新たなアイドルが誕生していた。
「親分」と呼ばれ、のちのVTuber文化の先駆けとなった「キズナアイ」その人だ。
動画:A.I.Channel
人が自由にVRでキャラクターを動かすことで「初音ミクのようなビジネスはできないだろうか?」という思いは昔からあったと谷郷は語る。
キズナアイが登場したことで、そのヒントが見えた。
「やっぱり、VRならではのキャラクターと出会えるコンテンツをやろう」
2回目の「Tokyo VR Startups」プログラムに参加していた谷郷は、投資家たちにアピールする最後の機会となる2回目のデモデイ直前、それまでの方針を転換した。
自由に動かせるバーチャルキャラクターを開発し、リアルタイムにネット上で配信ができるようなサービスに賭けよう。腹は決まった。そこからは眠れない夜が続いた。クオリティは高くないが、バーチャルキャラクターを動かすところまではもっていけた。
2017年2月、迎えた2回目のデモデイ。ほとんどのVCから相手にされなかった中にあって、カバーの挑戦を評価する投資家もあった。ヘッドマウントディスプレイ「VIVE」で知られる台湾メーカーのHTCや、中国系ファンドも高く評価。バーチャルキャラクターの未来に可能性を感じることができた瞬間だった。
資金繰りがギリギリの中、手を差し伸べる起業家も出てきた。初音ミクのビジネスなど、UGC(User Generated Content)の可能性に興味を持っていた「けんすう」こと古川健介、また旧知の國光も出資した。国内からはみずほキャピタルやTLMからの出資も獲得した。
いよいよ「カバー」の戦支度がととのった。
初のVTuberデビューも、視聴人数は13人
ホロライブ0期生の「ときのそら」初回放送のアーカイブ。初回配信を視聴した13人を指す「円卓の騎士」というフレーズは、アーカイブのコメント欄でも数多く言及されている。
SoraCh. ときのそらチャンネル
いまではホロライブ最古参の「0期生」として崇敬を集め、YouTubeチャンネルの登録者数も65万人超を誇る大物VTuberに育った「ときのそら」。ところが、初回配信時に集った視聴者は関係者を除くと13人だった。
ファンの間では初回放送に集ったこの13人は、アーサー王の伝説にならい「円卓の騎士」と呼ばれている。
「本当に人が見に来てくれなくて……。VRモデリングのクオリティー的にもまだまだでした」
当時のカバーはバーチャルアイドルのライブなどをスマホで楽しめるオリジナルアプリの開発を目指していた。「ときのそら」も、そのアプリのプロモーションのためのキャラクターという位置付けだった。それゆえ、VTuberとしての個性を打ち出しにくかったという背景もあった。
ライブ配信2万人視聴。数百万円の機材がスマホ1台に
胃の痛い日々が続きながらも、谷郷には勝てる自信が次第に湧いてきた。VRの可能性を信じ、技術を磨いてきた経験が、ここでようやく活かされる時がきた。
2017〜18年ごろに活躍していたVTuberといえば「歌ってみた」動画や「やってみた動画」など、事前に企画・撮影し、編集した動画をYouTubeなどのプラットフォームに投稿する「動画勢」と呼ばれるクリエイターが中心だった。
そんな中でカバーは、当初からリアルタイムでの長時間のライブ配信にこだわっていた。
「他社が動画でコンテンツを投稿する中、我々は安定して1時間のライブ配信ができました。カバーのVRデバイスは安定していたので、トラブルなくリアルタイムで長時間配信ができたんです。そこは非常にこだわってやっていました」
17LIVEで実現した「ときのそら」のライブ配信では視聴者は2万人にのぼった。
このとき谷郷は「いける」と確信したという。
ときのそらは、活動の場をニコニコからYouTubeへ。自らを「バーチャルYouTuber」であると宣言し、週1回のライブ配信と動画投稿をハイブリッドに展開していった。
次第にホロライブの知名度は広がり、「星街すいせい」など力ある個人勢も加入。カバーも独自のオーディションを開き、才能を発掘。人気イラストレーターが生み出したキャラクターに配信者の“魂”が込められることで専属の新たなVTuberも誕生していった。
タレントが自らひとりでVTuberとして撮影・配信できるアプリ「ホロライブ」も開発。本来であれ数百万円もの機材が必要なところを、スマホ1台で配信可能なシステムを構築できた。
いまやオーディションも回を重ねられ、「ホロライブ」は5期生に至る。男性VTuberプロダクション「ホロスターズ」も3期生を数えた。
日本のサブカルチャーコンテンツが受け容れられている海外にも、ホロライブは広がった。中国や台湾を始め、他社に先駆けて英語圏への発信も注力。2020年からは「ホロライブインドネシア」や「ホロライブEnglish(EN)」もスタートした。
英語で配信を行なっている「Gawr Gura(がうるぐら)」のチャンネル登録者数は2021年3月時点で230万人を超えている。コメント欄では、多種多様な国のファンが熱狂する。
Gawr Gura Ch. hololive-EN
ホロライブENの「サメちゃん」こと「Gawr Gura(がうるぐら)」のデビュー動画は1週間で40万回以上も再生され、デビューから1カ月あまりでチャンネル登録者は100万人を突破。VTuberとしてはキズナアイ、輝夜月に次ぐ3人目の「金盾(YouTubeがチャンネル登録者100万人を超えたクリエイターに贈る記念盾)」を獲得した。これはVTuberの中では最速記録だ。
こうしてホロライブの名は、当初は想定しなかった勢いで全世界に広まった。
同時にカバーには新たな課題も生じた。事業規模があまりにも急速に拡大したことで、内部統制が働かず、企業としての社会的責任が問われる場面も増えていったのだ。
いま、谷郷が葛藤するのは「カバーという会社が、そしてVTuberが、いかに社会の公器となり得るか」という問いだ。(敬称略)
※この記事は2021年3月24日初出です。
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(取材:文・吉川慧、写真:伊藤圭)
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