東日本大震災で被災、多くの児童たちが犠牲になった石巻の旧門脇小学校。悲劇の記憶をその場に留めたまま、震災遺構として活用される。
REUTERS/Carlos Barria
「悔しい」。自分たちにはもっとできたことがあったのではないかという痛烈な悔恨の言葉を、この10年、多くの人たちから聞いた。
住民、消防団員、記者、そして教員。東北の被災地で、彼ら彼女らが口を揃えるのは、「再び同じような悲劇をくり返してほしくない」という切なる思いだ。
つらい経験を思い出したくない自身の感情と対峙しながら、あの日の経験を語り、被災しなかった人たちにも東日本大震災に向き合い、備えてほしいと訴える被災者たち。
無念、悔恨、寂寥……複雑な感情が入り混じった追憶の言葉を聞くにつけ、自分にはいったい何ができるのかと迫られる思いがする。
震災後、被災地で唯一の教員養成大学に籍を置き、教師を志す学生や、高度な知識を身につけるために教職大学院に通う現役教員と関わるようになって8年。
学生・教員たちとともに、数多くの被災者の言葉に触れてきたが、津波で児童と教職員合わせて84人が犠牲となった石巻市立大川小学校の遺族の語りには、いつ何度聞いても心を揺り動かされる。
どれだけ語りを重ねても、失われた小さな命は戻ってこない。でも「せめて」自分が語ることで、誰かの明るい未来に結実すればと、ときに笑顔も交えて発せられる言葉の一つひとつを、若き学生たちは受けとめる。
そうした被災者たちの言葉から何かを学ぼうと考えているのは私たちの大学だけではない。東日本大震災という悲劇あるいは事実とあらためて向き合い、自分にもっと何かできることがあるはずと、被災地研修に遠方から参加する教員も増えている。
全国・全世界から集まるこうした思いに応えようと、筆者の勤務する宮城教育大学は2019年4月、「防災教育研修機構(311いのちを守る教育研修機構)」を立ち上げた。
研修の機会を提供するとともに、必修の防災教育科目にとどまらず、選択必修科目や教職大学院での学びも絡めて、学校防災の充実化を図るのが狙いだ。
「防災を学びたいが多忙すぎる」教員の実情を踏まえて
震災10年を機に刊行された「教師のための防災学習帳」。
提供:朝倉書店
学校防災に必要とされる知識や経験は、幅広く奥深い。学び方、教え方も一様ではなく、防災の要素をいかに盛り込むかは、教員個々の意欲と工夫に任せされている。それだけに、戸惑いや試行錯誤も多い。
防災について学びを深めたい、学び直したい。でも、何から手をつけたらいいか分からない。現場の教員からそうした声を聞くこともしばしばだ。そんな教員たちの熱意を支えたいと考える研究者らの協力を得て、筆者はこの3月に『教師のための防災学習帳』を刊行した。
教員はとにかく多忙だ。近年では小学校英語にICT教育と、授業で扱う内容はますます広がってきている。教育科目の多さだけではない。いじめ・不登校の問題など、子どもたちを守るために取り組まなければならないこともたくさんある。
しかし、多忙を理由に防災教育を軽視するわけにはいかない。
『防災学習帳』はそのような多忙をきわめる教員の現実を踏まえ、最低限知っておいてほしいテーマにしぼり込み、東日本大震災や熊本地震、西日本(2018年7月)豪雨など近年の自然災害を学びの題材に、教員たちがそれぞれの学校でどんな取り組みを行うべきかを考えてもらう構成にした。
災害でどんなことが起きたか、事実を詳細に記録した良書は多いが、そこから翻って、自分たちの学校や地域で何をすべきかに結びつけられない、あるいはそこまで考える余裕が見いだせないとの声に応えた形だ。
避難訓練の機会を活かして、避難マニュアルや学校安全計画(=学校保健安全法ですべての学校に策定と実施が義務づけられている安全確保のための総合計画)の有効性を確認・改善する具体的な方策や、学校が立地する地域の地形など自然環境の特徴をハザードマップや災害履歴から把握する方法。災害発生時の通信や情報活用、災害時の心理的特性やトラウマなど心のケアの基礎を取り上げた。
最低限必要なテーマや分野にしぼって、を徹底したつもりだが、それでも盛りだくさんな内容になってしまった。防災教育はやはり幅広く、奥深い。筆者が知らないことも少なくなかった。
防災教育が「防災以外に」もたらしてくれる学び
気仙沼の東日本大震災遺構・伝承館(旧・気仙沼向洋高校)での実地研修の様子。2019年8月撮影。
撮影:小田隆史
震災の教訓からの学びや防災教育に熱心に取り組む教員ほど、この幅広さと奥深さを前向きにとらえ、防災学習が秘める教育の効果を実感しているように思われる。
被災者の経験に耳を傾け、失意と後悔を乗り越えて再び立ち上がった人々の歩みに触れることで、当たり前のように続く日常が実は周囲のさまざまな努力によって成り立っていることに気づかされる。
また、他者の苦節や生きざまに触れ、正解がひとつではない現実を知ることは、生き方そのものを広く考え、社会で生きていく意味を考える貴重な学びの機会にもなる。
子どもたちが命のこと、地域のことを考え、希望に満ちた明るく安全な未来を創造する姿に、防災教育の可能性を見いだす教員も少なくない。
ある教員が担任として同じ子どもを受け持ってもせいぜい数年。その短い期間で、突然の災禍に直面したときに子どもが自分自身の命を守り、隣人の命を尊重し、「ともに生き抜く」力を身につけさせるのは至難の業だ。
それでも、学校教育が社会の防災力向上に大きな役割を期待されている理由はそこにある。だからこそ、練り上げられた防災教育の手法が必要とされるのだ。
学校まかせではなく、周囲が「関わりを引き受ける」
2019年4月から防災教育研修機構を運営する、東日本大震災の被災地に唯一の教員養成機関、宮城教育大学。
撮影:川村力
学校の多くには、地域防災計画において避難場所に指定された地域の防災拠点として、頼れる存在との眼差しが向けられる。教員側も預かる子どもの命を守る責務を自覚しているが、実際には定期人事異動などの事情もあって、備えが常に安定的に「万全」とは言い切れない。
大学で防災を学ぶ機会がなかったベテラン教員もいれば、大学を卒業したばかりの若く経験の薄い教員もいる。頼れる存在になっていく成長の過程にある彼ら彼女らに、多くを性急に求めすぎることは弊害を生む可能性もある。
一方で、子どもの命を守る責務の重さを教育の現場で痛感し、もっと防災について学びたい、子どもの命を守るために必要な知識や手法を身につけたいと、真摯な思いから筆者のいる大学に戻ってくる現職の教員もいる。
東日本大震災の発生当日は川崎(神奈川県)の小学校で教諭をしていたが、震災を契機に宮城県の教員採用試験を受けなおし、いまは生まれ故郷・気仙沼の教壇に立つ畠山三弘先生。
石巻市の中学校で震災を経験したことに加え、消防士として人の命を守る現場に向き合ってきた父親の影響もあって、防災教育の「学びなおし」に取り組む吉川征吾先生。
2020年の春から宮城教育大学教職大学院で学ぶ2人は、どうすれば学校防災の質を高められるか、筆者らとともに研究を重ねている。いずれも、二度とないような悲劇を経験した被災地においてさえ進む震災記憶の風化を懸念し、学校教育に何ができるか真剣に考え、取り組んでいる。
2人は過去の経験も勤務する場所も違うが、口をそろえてこう語る。
「地域には魅力的な人たちが沢山いて、安全・安心のために奔走している。そういう姿を子どもたちに見せたい」
町内会や自主防災組織、語り部など、学校外の人たちと手を携えて、震災伝承や防災学習にとどまらず、社会の一員として生きていく意味を探究させる指導ができるようになりたいと意気込む。
もちろん、彼ら2人以外にも数多くの教員たちが、大学院での研究以外にもさまざまな形で、幅広く奥深い防災教育を学び究めようと格闘している。
熱い思いを胸に子どもたちや地域と向き合う教員たちに、社会はどう向き合っていくべきか。震災から10年、学校を取りかこむ多様な人々が、明るい未来を創る防災教育の支え手あるいは当事者として、「関わりを引き受ける」次の一歩を踏み出す必要があるのではないか。
(文:小田隆史)
※本記事の内容をテーマに、小田副機構長、畠山三弘教諭、吉川征吾教諭が「震災10年の現在地と防災教育」をテーマに語り合った動画(ライブ配信アーカイブ)が、以下でご覧いただけます。
小田隆史(おだ・たかし):宮城教育大学 防災教育研修機構 副機構長。専門は地理学。外務省専門調査員、米カリフォルニア大学バークレー校フルブライト研究員、お茶の水女子大学シミュレーション科学教育研究センター助教などを経て、2017年から宮城教育大学准教授。防災科学技術研究所客員研究員、日本安全教育学会理事。福島県いわき市出身、東北大学大学院修了・博士(環境科学)。