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震災から10年の気仙沼の街、写真でたどる「変わるもの」と「変わらないもの」【3.11】

あの日から10年、気仙沼の街を歩いた。

あの日から10年、気仙沼の町を歩いた。

撮影:吉川慧

2021年3月11日、東日本大震災の発生から10年を迎えた——。風光明媚なリアス式海岸と国内有数の漁港を誇る宮城県気仙沼市では、震度5強〜6弱の揺れの後に大津波が押し寄せた。沿岸部では石油コンビナートが倒壊。重油やヘドロ、砂、泥が混ざった黒い津波は市街地を飲み込み、その後の火災につながった。

この10年で気仙沼の街は変わった。三陸沿岸道路(三陸道)の一部として湾を横断する大きな橋がかかり、中心部には新しい商業施設もオープン。沿岸部では「かさ上げ」などの大規模な復興工事が終わりつつある。一方で、被災当時を色濃く残す場所もある。

あの日から10年、気仙沼の街を歩いた。

※本記事では東日本大震災に関する写真が含まれます。ご覧になった際に精神的なストレスを感じる可能性があります。閲覧にご注意ください。


宮城県北東部にある気仙沼市。太平洋に面する沿岸部では起伏に富んだ美しいリアス式海岸が見られる。

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撮影:吉川慧

太平洋から入り込む気仙沼湾。入り江は深い。写真右手に見えるアーチ型の橋は東北最大の島の大島(気仙沼大島)だ。

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撮影:吉川慧

本土と大島を結ぶ「気仙沼大島大橋」。離島である大島は、東日本大震災で本土との交通が経たれ長期間の孤立を余儀なくされた。

この教訓を受けて、全長356mの気仙沼大島大橋はつくられた。開通は2019年4月。

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撮影:吉川慧

徒歩で渡ることもできるが、太平洋から強烈な海風が吹きすさぶ。

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撮影:吉川慧

気仙沼では最近、もうひとつ大きな橋が架かった。全長1344メートル「気仙沼湾横断橋」だ。

「復興道路」と位置付けられる三陸沿岸道路(仙台〜八戸)のうち、この橋を含む7.3キロの区間が3月6日に開通。宮城県内の三陸沿岸道路は震災から10年を前に全線開通した。

撮影:吉川慧

宮古や大船渡など近郊の港との流通網の拡大が期待されるが、現地のタクシー運転手は「三陸道が通ったことで、市内の一般道を走る物流車が減った感じがする。気仙沼が“素通り”されないか心配する人もいます」と語る。

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撮影:吉川慧

日本有数の漁港、気仙沼港はサンマやカツオなどの遠洋漁業の基地港として発展。特にカツオの水揚げ日本一としても知られる。

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撮影:吉川慧

船には大漁旗がはためいていた。

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撮影:吉川慧

気仙沼は、漁業や水産加工業の街としても栄えた。

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撮影:吉川慧

魚市場付近には水産加工企業の工場や倉庫などが立ち並ぶが、空き地になっているところも今なお多い。

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撮影:吉川慧

記者が気仙沼港を訪れた4年前には「かさ上げ」などに従事する工事車両が行き交っていたが、今では少なくなった。

付近の飲食店や宿泊施設では工事関係者の需要が減少。観光に望みを託したい中でのコロナ禍。出口の見えない不安を口にする人もいる。

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撮影:吉川慧

沿岸部には、分厚いコンクリートの防潮堤が築かれている。

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撮影:吉川慧

内湾地区の魚町エリアでは240メートルにおよぶフラップゲート式の防潮堤を採用。津波が来た際は浮力で防潮堤が起き上がる構造だ。

平時の高さを抑えることで、景観に配慮した。

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撮影:吉川慧

気仙沼湾内にある朱塗りの四阿(あずまや)である「浮見堂」。気仙沼湾のシンボルの一つで、松尾芭蕉が愛したという滋賀県の琵琶湖にある「浮御堂(満月寺)」を模したもの。

1927年に気仙沼湾が日本百景に選ばれたことを記念し、地元・魚町エリアの有志が1932年に建てた。

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撮影:吉川慧

震災の津波で倒壊したが、2019年に再建工事をスタート。2020年5月に竣工した。

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撮影:吉川慧

浮見堂のそばには、大漁と航海の安全を見守る恵比寿像がある。左手には気仙沼市の魚であるカツオを抱きかかえている。現在は3代目で震災後の2020年に建立された。

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撮影:吉川慧

陣山エリアには気仙沼市復興祈念公園が整備されている。震災10年となる2011年3月11日にオープンする。

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撮影:吉川慧

気仙沼の中心部・南町エリアには真新しい店が立ち並ぶ。

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撮影:吉川慧

震災前の気仙沼には、太平洋戦争の戦災を免れて残存した建物が多く残っていた。

国登録有形文化財に指定された建物もあったが、震災でその多くが被災。現在、地元有志やボランティアが修築や再建、保存に協力している。

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撮影:吉川慧

市内には多くの復興住宅が建つ。

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撮影:吉川慧

気仙沼駅を出発するBRT(バス高速輸送システム)。気仙沼線と大船渡線のうち、沿岸部を走行する区間は震災で不通に。いくつもの駅が津波で流失した。

その後、不通区間の運輸手段として作られたのがBRTだ。

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撮影:吉川慧

BRTには専用道路がある。廃止となった線路跡が再活用されている。

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撮影:吉川慧

BRTの沿線には、いまなお廃線跡やホームの跡が残る。

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撮影:吉川慧

変化を遂げつつある気仙沼市。そんな中で、震災当時を色濃く残す場所がある。

気仙沼向洋高校の旧校舎。現在の「東日本大震災遺構・伝承館」だ。

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撮影:吉川慧

この伝承館は校舎の4階部分まで津波で浸かった気仙沼向洋高校の旧校舎を活用。「津波死ゼロのまちづくり」を掲げる気仙沼市が2年前に開館した。

震災10年を控えた3月10日には、地元の中学生らが“語り部”として来場者を案内していた。

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撮影:吉川慧

伝承館では内側から旧校舎を見学することが可能。震災当時の生々しい被害状況が「目に見える証」として残されている。

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撮影:吉川慧

建物と建物の間は、猛烈な「引き波」の通り道となった。自動車も流され、ここで幾重にも折り重なっている。

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撮影:吉川慧

4階部分のベランダの外壁には津波で流された冷凍工場が激突した跡が残る。

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撮影:吉川慧

冷凍工場の激突跡を4階の校舎内側から望む。震災当時、屋上には50人近くが避難していた。工場が正面に衝突しなかったのは不幸中の幸いだった。

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撮影:吉川慧

津波の猛烈さを物語る横転した自動車。校舎の中にまで自動車が流れ込んだ。

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撮影:吉川慧

ロッカーの中には当時の生徒らが使用していた作業服が残されている。

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撮影:吉川慧

4階部分。床にはパソコンなどが散乱している。

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撮影:吉川慧

どこからか鍵盤ハーモニカも……。

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撮影:吉川慧

窓枠の向こうには整地が進んだ付近の土地が見える。

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撮影:吉川慧

書類や本も、床に散乱。そのまま残されている。

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撮影:吉川慧


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撮影:吉川慧

4階の部屋に残されている書類棚。錆びている部分が津波が達した浸水深だ。

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撮影:吉川慧

公開から2年を迎えた伝承館。2019年度は8万人が来場したが、2020年度はコロナ禍で来場者数が減少。入館料の収入も見込みの半分以下に。維持費の捻出が課題になっている。

現在、市ではクラウドファンディングで支援を呼びかけている

気仙沼市によると、震災による市内の死者は1218人(関連死を含む)、行方不明者は214人にのぼる(2021年3月1日現在)。

被害状況を伝える市の公式サイトは、いまも日々更新されている。

文・吉川慧

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