グーグルを擁するアルファベットの中で最も魅了的な存在といえば、その機密開発研究所「X」だ。ドローンから完全自動運転自動車まで、最高機密扱いの研究開発を制限なく行うXは、これまでグーグル・グループの大型“ムーンショット”プロジェクトを生み出してきた。
その中から、自動運転車開発会社ウェイモ(Waymo)をはじめとするいくつかのプロジェクトはXを「卒業」し、アルファベット傘下の事業会社となった。また、エネルギー貯蔵を手掛けるマルタ(Malta)のように、グーグル・グループ外の独立企業となった例もある。
一方、完全な失敗に終わったプロジェクトもある。2021年2月、アルファベットは、気球ネット事業を進めていた子会社ルーン(Loon)の解散を発表した。風力エネルギー用凧開発会社マカニ(Makani)についても、2020年、事業の中断を発表した。
しかしグーグル・グループは、さらに大型の事業を立ち上げる野心を持っている。例えば、産業用ロボット・プロジェクトやスマーティ・パンツ(SmartyPants)と呼ばれるモビリティ支援プロジェクトだ。さらに、Xが最近力を入れている気候変動に取り組むプロジェクトもある。
そこで本稿では、Insiderや他の報道に基づき、Xで進められている特に有望なプロジェクトを紹介する。
ウルヴァリン
Marvel Comics; Matt Weinberger/Business Insider
Xは、ウェアラブルに関する複数のプロジェクトにも積極的に取り組んでいる。Insiderの取材に応じた関係筋によると、なかでも有望なのが、聴力補完機能を有するAR(拡張現実)機器に関するプロジェクトだという。
このプロジェクトは「ウルヴァリン(Wolverine)」というコードネームで呼ばれている。ウルヴァリンは人気コミックに登場する優れた五感を持つミュータントの名前だ。プロジェクトリーダーお気に入りのキャラクターでもある。
関係筋によると、ウルヴァリン・プロジェクトは2018年の立ち上げ以来、ユーザーの聴力を補完する機器の開発に力を注いできたという。
聴力を補完するためにプロジェクトチームが取り組んできた機能のひとつに、発言の分離がある。複数の会話が折り重なって交わされる場面でも、この機能があればユーザーは1人の発言に集中するができる。
このプロジェクトに限らず、Xで進められているプロジェクトの最終目的は、1つのテクノロジーや機器の開発だけでなく、事業として成立させることにある。ウルヴァリン・プロジェクトを率いるジェイソン・ルゴロは、エネルギー高等研究計画局(ARPA-E)のディレクターを務めた後、2017年にXに参画した。
関係筋によると、ウルヴァリン・プロジェクトはまだ初期段階にあるものの、本格化に向けて動き出しているという。スターキー・ヒアリング・テクノロジーズの元バイス・プレジデント、サイモン・カーライルが当プロジェクトの技術責任者に就くなど、当該分野の有力者も参画しつつある。
ミネラル
Alphabet
Xは2018年、AIを活用した新たな食料生産手法を研究していると発表。2020年10月には、ミネラル(Mineral)というプロジェクトとして、この研究を継続していることを明かした。
ミネラルは、「コンピュータ式農業」と呼ぶ農業の変革に着手している。テクノロジーを活用し、農家が農場の状況をより良く把握するための革新的な手法を開発中だ。
Xによると、作物の生育状態を把握することで、農家は収量の予測がしやすくなり、収量計画を立てやすくなる。
ミネラルを率いているエリオット・グラントは、農作物生産地トレーシング・プラットフォームを提供するハーべストマーク(HarvestMark)の元CEOだ。
カメラやセンサーを搭載し、農場を移動しながら作物データを収集する太陽光発電電気バギー車がミネラルの特徴だ。収集された作物データは、衛星写真・土壌・天候のデータと組み合わされ、作物の生育状況に関する有益な情報を農家に提供する。
プロジェクトメンバーによると、ミネラルはアルゼンチン、カナダ、アメリカ、南アフリカの農家や畜産業者と協働しているという。
プロジェクトリーダーのエリオット・グラントは、ブログに次のように投稿している。「顕微鏡が病気の発見に革新をもたらしたように、より良い農業ツールが食糧生産に革新をもたらすだろう」
エブリデイ・ロボット・プロジェクト
一時期、グーグルはロボットに注力していた。特に2013年には、ロボット・ダイナミクスをはじめとするロボット企業をさかんに買収した。しかしその夢は破れ、ロボット・ダイナミクスは2017年にソフトバンクに売却することとなった。
しかし今、グーグルのロボット熱は再燃しているようだ。そこには、これまでとは異なる工夫がある。2019年、Xは「エブリデイ・ロボット・プロジェクト(Everyday Robot Project)」を発表。コーディングによらず、「教育」できるロボットを開発するプロジェクトだ。
このプロジェクトを率いるゼネラルマネジャーのハンス・ピーター・ブロンドゥモは、プロジェクトを発表するブログ投稿の中で、次のように述べている。
「ロボットは日常生活の中で、練習を通して新しいタスクを習得できる。エンジニアが新たなタスク、例外、改善のためのコーディング作業を行う必要はなくなる」
プロジェクトチームによると、開発中のロボットは「非体系的」環境で機能するという。
エブリデイ・ロボット・プロジェクトについて、Xのウェブサイトには次のような記載がある。
「ロボットが日常の中で役立つものになるためには、人間の生活環境・職場環境を理解し、経験を積みながらそれに適応していかなければならない。そのためには、新たな種類の人工知能が必要となる」
当プロジェクトでは、北カリフォルニアで職場環境下のロボットの検証を行っている。これまでの結果は「心強い」ものだという。ロボットは、「リサイクル」などさまざまなタスクを実行している(チームによると、ゆっくりした動きではあるが)。
アルファベットはこのプロジェクトによって、ロボット分野においてアマゾンと競い合うことになるだろう。
タイダル
Alphabet
タイダル(Tidal)と呼ばれる海洋保護プロジェクトは、サステナブルな漁業の実現を目指している。
タイダルは、ミネラルとの類似点がある。カメラや機械知覚ツールを活用し、人間の眼ではとらえられない魚の動態を観測・分析する。そこから得られるデータを用いて、魚養殖業者は魚の管理を効率化できる。
タイダルのゼネラルマネジャー、ニール・ダヴェは、プロジェクトを発表したブログ投稿(2020年)の中で、「理解していないものを保護することはできない」として、次のように述べる。
「海を汚染するようなサステナブルでない漁業を続けると、いずれ海中は魚よりプラスチックの方が多くなってしまう。また、急速な(海洋)酸性化は、サンゴや海洋生物の死滅につながる」
タイダルが公表されたのは2020年3月だが、『フィナンシャル・タイムズ』の報道によれば発表の3年前から進められていたという。
ロボティクス・プロジェクト(未名称)
秘密のロボティクス・プロジェクトを率いるウェンディ・タン・ホワイト。
Alphabet
X内で進められているロボティクス・プロジェクトは、先のエブリデイ・ロボット・プロジェクトだけではない。テック系ニュースサイト『ザ・インフォメーション』の報道によれば、ある種の工場の自動化を推進する産業用ロボット・プロジェクトも進行中だという。
当プロジェクトを率いているのは、2019年にXに参画したウェンディ・タン・ホワイトだ。Xのバイス・プレジデントも務めるホワイトは、「ムーンスター・メンター」という立場も兼務する。ちなみに前任者のディーン・バンクスは、Xの職を辞した後、食品多国籍企業タイソン・フーズのCEOとなった。
『ザ・インフォメーション』の取材に答えた関係筋によると、当プロジェクトは2021年中に、アルファベット傘下の子会社として事業化される見込みだ。
Xの広報担当は、当プロジェクトの具体的な内容についてはコメントを出していないが、エブリデイ・ロボット・プロジェクト以外にもロボティクス・プロジェクトが存在することは認めている。
ターラ
Alphabet
アルファベットは長年にわたり、高速インターネットの世界的普及にも取り組んできた。グーグル・ファイバーやルーン・プロジェクト(2021年2月に解散発表)などの取り組みにより、新しい高速インターネットの提供を模索してきた。
「ターラ(Taara)」と呼ばれるプロジェクトは、物理的な通信回線に代わり、光ビームを利用して大量のデータ伝送を可能にするものだ。実現すれば光ファイバーに取って代わる可能性もある。
ターラについて、Xのウェブサイトには次のように記されている。
「回線を敷設するための設計や工事には時間も費用もかかる。過酷な地形の地域では物理的障害のために回線の敷設は不可能に近い」
実はターラの発想は、アルファベットの「ルーン」と呼ばれるプロジェクトから生まれた。ルーンは、高高度気球を利用し、辺境地域においてもインターネットへのアクセスを可能にしようとするプロジェクトだ。ターラは、ルーンの派生として2017年に始動し、2020年11月に独立したプロジェクトとなった。
ルーンの製造・サプライチェーン責任者だったマヘシュ・クリシュナスワミが現在、ターラのチームリーダーだ。
ターラのプロジェクトチームによると、FSOC(フリー・スペース・オプティカル・コミュニケーション)と呼ばれるターラの光技術は、最高20Gbpsの高速データ伝送を可能にするという。目標は明確なようだ。
同チームは、この高速データ伝送を20km以上の距離で実現することを目指している。同時に、協力会社による装置設置作業を容易なものにするという。
スマーティパンツ
Alphabet
モビリティ・プロジェクトのスマーティパンツ(SmartyPants)について、Xはまだ多くを語ろうとしないが、ヒントは少しずつ垣間見えてきている。
スマーティパンツとは、名称が示すとおりズボンのように装着できる歩行支援器具。ロボティクス、AI、機械学習と繊維を組み合わせたものだ。プロジェクトリーダーのキャサリン・ジーランドは『ワイアード』の取材に対し、「高齢化分野は一般的に投資が不十分。人口動態は将来における大きな課題です」と答えている。
このズボンは、センサーと機械学習を活用し、周囲を「見る」ことができ、装着者の安全な歩行を支援する。
同プロジェクトの求人広告からもヒントが得られる——「当チームは、機械学習、生体工学、ロボティクス、繊物類の専門性を学際的に結集しています」
プロジェクトの広報担当は、この求人広告がたしかにスマーティパンツに関するものであることを認めている。求人広告はこう続く。「当プロジェクトは、プロトタイピング段階にあります。イテレーションと開発を早期に進め、技術的観点から順次リスクを低減していきます」
Xは公式動画を公開しているが、その中のプロトタイピング・ラボを紹介する場面に、スマーティパンツが登場する。
(翻訳・住本時久、編集・常盤亜由子)