撮影:今村拓馬(尾原氏)、提供:野辺継男氏(野辺氏)、テスラ写真:Hadrian / Shutterstock.com
世界各国で脱炭素問題のキーになるのがガソリン車の規制だ。日本でも菅政権が「カーボンニュートラル(二酸化炭素の排出量と吸収量とがプラスマイナスゼロの状態)の実現」を掲げたことで、脱ガソリン車の動きが加速しそうだ。
これまでEV化で欧米、中国企業に遅れをとっているように見える日本勢だが、このまま引き離されるのだろうか。自動車業界に詳しい野辺継男氏とIT評論家の尾原和啓氏に議論してもらった。
——野辺さんはこれまでNEC、ソフトンバンク、日産、米大手テックカンパニーというキャリアを歩んでこられました。
野辺継男氏(以下、野辺):大学卒業後に日本電気(NEC)に入社して、PC-9800シリーズ、いわゆる98(キューハチ)という国内市場を概ね独占していたPCに対して、欧米市場でAT互換機事業を立ち上げ、ITにおける世界標準の重要性を体感しました。2000年、ソフトバンクがADSLサービスに参入するタイミングで「これからはオンラインゲームがインターネットを牽引する」という孫正義さんの記事を読み、ソフトバンクの子会社としてオンラインゲーム会社を設立しCEOに就任。
その次にはインターネットの技術を自動車に応用できたらと考え、日産自動車にスカウトされ、Vehicle IoTの開発・事業立ち上げました。その後、米大手テックカンパニーで自動運転を開発、2014年から名古屋大学にも籍を置いています。
尾原和啓氏(以下、尾原):野辺さんがPCで取り組んできたことが、これから自動車業界で起こりそうですね。垂直統合型での製造から水平分業型になり、各PCメーカーのハードウェアではなくWindowsというOSが圧倒的な強みを持つようになった。まさに自動車でもハードウェアからソフトウェアの時代になってきています。
時価総額が“自動車”メーカーの勝敗を決める?
イーロン・マスクが率いるテスラは、世界最大級のリチウムイオン電池工場をベルリンに建設。2021年操業開始に向けて、着々と準備を進めている。
Tobias Schwarz/Pool via REUTERS
—— 野辺さんは、テスラの時価総額がトヨタを抜くほど大きくなったことで、仮に株式を1%放出するだけで巨額の資金調達が可能になると指摘されています。
野辺:投資銀行のレポートによれば、2020年から2023年の間に電気自動車(EV)の事業化には自動車産業全体で22兆円の投資が必要と言われています。プラス自動運転の開発に8兆円、合計30兆円。果たして既存の自動車メーカーにその金額を出せるのか。
トヨタが売り上げ30兆円から5%をR&Dに投資しても1.5兆円です。2020年7月、テスラの時価総額がトヨタを抜いてニュースになりましたが、テスラが現時点で株式の1%を現金化するだけで70億ドル調達できます。
テスラは今、テキサス州やベルリンに工場を建設、さらにバッテリーの工場も建設中です。既存の自動車メーカーで時価総額が売り上げを上回る会社はありませんが、アップルやアマゾン、グーグルなどのハイテック企業は売り上げの7〜8倍ですから、資金調達力が圧倒的に違ってきます。
新興企業の強みは過去の資産がないこと
——既存の自動車メーカーでテスラと同規模のR&D予算を捻出できるのは、トヨタ、フォルクスワーゲン、ダイムラー、GM、BMWなど数社程度だろうとも指摘されていますね。
編集部撮影
野辺:フォルクスワーゲンもEVシフトを明確に打ち出し、巨額を投じて新工場を建設しています。しかし、株価がなかなか上がらない。既存の自動車メーカーは、テスラのように株式を現金化して一瞬にして数千億円を調達することができないのが現状です。
アメリカのEVスタートアップ・リビアンは、アマゾンが投資していることでも知られていますが、年内にIPOする可能性が報じられています。時価総額は5000万ドル。2021年1月に合併したフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)とPSA(旧プジョー・シトロエン・グループ)の新会社の時価総額も5000万ドル。100年近い歴史を持つ自動車メーカーとこれからIPOする会社の時価総額が変わらない。
数字は同じでも、従来の生産設備で内燃機関の車を製造する利益からR&D費を捻出する既存メーカーと、調達したキャッシュで工場を建設できる新興企業では、やれることが違います。過去の資産をストランデッド・アセット(Stranded Assets:座礁資産)と言われる化石燃料への投資に使わざるを得ない。こうした足かせのない新興企業がEVの成功事例を手にする可能性が十分にあります。
テスラにとってEVは産業大変革の一歩
尾原:その通りです。テスラにとってEVは産業大変革の一歩に過ぎません。
テスラは最近ビットコインにも投資しています。それを投機的に捉える方もいますが、違うと思います。テスラのミッションには、実はEVなんて書かれていない。彼らのミッションは、世界を持続可能なものに転換していくことです。EVは、そのための一歩。2006年にイーロン・マスクが「テスラモーターズ秘密のマスタープラン (ここだけの話です)」というブログを書いています。
最後に、マスタープランを簡潔にまとめると:
スポーツカーを作る
その売り上げで手頃な価格のクルマを作る
さらにその売り上げでもっと手頃な価格のクルマを作る
上記を進めながら、ゼロエミッションの発電オプションを提供する
これは、ここだけの秘密です。
まさにこの通り進めていて、スポーツカー事業によって、テスラはこの6年間でバッテリー価格を約10分の1に下げました。テスラのサイトで上位に表示されるのは家庭用バッテリー製品です。いまテスラに投資している人は、今後やってくるスマートバッテリーの世界を見ています。さらにすごいのは、2016年の「マスタープラン パート2」というブログです。
・バッテリー ストレージとシームレスに統合された素晴らしいソーラールーフを作ります。
・すべての主要セグメントをカバーできるようEVの製品ラインナップを拡大します。
・世界中のテスラ車の実走行から学び、人が運転するよりも10倍安全な自動運転機能を開発します。
・クルマを使っていない間、そのクルマでオーナーが収入を得られるようにします。
2021年のCESで、GMはじめ既存の自動車メーカーがEVを発表していますが、これは最初の2つに対応しているに過ぎません。3番目、すでに走行しているEVからデータをとってネットワーク効果によって安全運転機能を高めていくことや、4番目、本人が運転しない時は車が勝手に走ってお金を稼いでくれるといった話は、いつ実現できるかはおいておいて、もはやマーク・アンドリーセンの言う“Software is eating the world.”(「ソフトウェアが世界を喰らい尽くす」)の世界です。自動車のコンピタンスはそこに移りつつあります。
——アップルやアマゾンは、そこまで大きな絵を描いていると?
尾原:そう思います。『イノベーションのジレンマ』著者のクレイトン・クリステンセンは「バリューチェーンからバリューネットワークになる」と言っています。垂直統合型の「ケイレツ」ではなく、複数グループのネットワークが価値の源泉になり、自動車はハードウェアからソフトウェア開発の競争になっていきます。
さらに自動運転化OSが普及した後、移動時間をどうエンタメ化するか、そのコンテンツのマーケットプレイスを誰が提供できるのか考えると、App Storeを持つアップルの優位性が際立ちます。
尾原和啓氏提供
尾原和啓氏提供
ソフトウェア技術力の確保という壁
——過去の資産が足かせになるとすれば、既存の自動車メーカーはどのような戦略を取るべきでしょうか。
野辺:尾原さんがおっしゃるように、競争ルールが変わっています。
人の移動やアマゾンに代表されるモノの移動、EVはバッテリーを積んでいるという点でエネルギーの移動が把握可能になり、ネットワークにつながることによる事業が生まれている。自動運転化が現実的となり、乗りたい人と乗せたい人、あるいはUber EATSのように食べたい人とレストランといった需給を結びつけて車で運ぶことが市場価値となり、ハイテック企業が参入し競争力が発揮できるようになりました。
自動車メーカーは自動車を製造するだけなら、EVのハードウェア製造を分業で担うかもしれません。しかしクラウド上でのソフトウェア競争にシフトする中、それだけの技術力を社内に確保できるかという壁に直面するのではないでしょうか。
まだ多くが謎に包まれているアップルカー構想。アップルの強みはどのように生かされるのだろうか。
REUTERS/Stephen Lam
尾原:これまではGAFAなどIT企業がネットの世界で陣地取りをしていました。これからリアルをいかにネット化していくかという競争にシフトする中で、アマゾンのようにリアルの世界に強みを持つ会社の優位性が増していきます。
イーロン・マスクが語る自動運転やクラウド上のフリートマネジメント(車両管理)が進めば、アマゾン創業者のジェフ・ベゾスがかつて冗談混じりに言っていた「マイナスの発注」が起こり得る。つまり「このエリアでこの商品を発注するだろう」という予測に基づいて、自動運転カーに在庫を積んで周辺を走って、発注すると15分後に自宅に届けてくれる。在庫そのものが移動する世界です。
野辺:今おっしゃった話はアマゾンが特許を取っていますね。ユーザーの購買や閲覧データを多く持つことで精緻な予測が可能になります。この優位性を既存の自動車メーカーが理解できるかどうかが次世代の事業構想を策定する際のキーポイントになると思います。
私は、見えるものと見えないものの違いと言っていますが、ニュートン力学の世界で生きてきた自動車エンジニアには、ソフトウェアやネットワークの話は見えない世界の話なので理解しにくいように思います。ビッグデータで予測して注文前に出荷してしまうアマゾンの話は納得しづらい。
テスラと比較すべきは自動車メーカーではない
編集部撮影
——テスラが時価総額でトヨタを抜くような事態について、自動車メーカーの人たちはどう受け止めているのでしょうか。
野辺:真剣に捉えていない人も多いと感じます。そもそも自動車メーカーとハイテック企業では業界が違うので、バリュエーション(企業価値評価)の比較対象にならないというのがこれまでの考え方です。テスラはハイテック企業と比較評価されるべきという思考の転換が必要です。フォルクスワーゲンやGMはすでに転換しつつありますが、日本の自動車メーカーは、その認識の切り替えはできていないように思います。
尾原:先ほどの「バリューチェーンからバリューネットワークになる」という転換ですね。これまでは製造工程を垂直統合してケイレツ化することで、いいものを安くつくることが競争優位性になっていました。
これからは、それぞれの強みを持つ企業がネットワークでつながり、相乗効果を生み出すことが重要になるので、後発のアップルは、どこと組むか慎重に検討しているはずです。かつてWindows一強となり、PCはOSを搭載する単なる箱となって価格競争になってしまった。そうならないために自動車メーカーは、どこに付加価値をつくるか。
石炭火力依存の日本でEV化を推進する意味
トヨタの未来都市「ウーブンシティ」は2021年2月に着工。EVや自動運転技術を含む新しい技術を検証する場となる。
REUTERS/Steve Marcus
——トヨタ自動車の豊田章男社長は日本自動車工業会の記者懇談会で、「日本のエネルギー政策を考えると、EV化の推進が脱炭素につながるわけではなく、エンジンと電気モーターを組み合わせたハイブリッド車(HV)にも注力すべきでは」という趣旨の発言をしています。石炭火力発電に依存している現状で、ガソリン車を廃止してEV化を推進することが果たして脱炭素につながるのかという指摘についてはいかがでしょうか。
野辺:それは正しいですね。二酸化炭素の排出量が最も多いのは石炭火力発電です。石炭火力発電の比率が約30%の国、アメリカやドイツ、日本では、製造過程を含めたEVとHVの炭素排出量がおおよそ拮抗する計算です。そのほかの国は火力発電比率は低い。中国は約60%ですが、2030年までに火力発電比率を30%、2050年までに10%に引き下げようとしています。
つまり現時点ではEVとHVの炭素排出量が拮抗しても、今後、多くの国が再生可能エネルギーへの転換を進める中、前提が変わる可能性がある。アメリカではZEV規制、つまりゼロエミッション車(ZEV)を一定以上販売することを義務づける制度があり、カリフォルニアなど約10州が導入しています。このうちコロラドを除いた石炭火力比率はほぼゼロで、HVよりもEVの排出量が圧倒的に低くなります。EVとHVの比率は、そうした要因まで考慮した上で、緻密に議論する必要があると思います。
——自動車産業とエネルギー政策は表裏一体であると。日本の再エネ化が進まない背景の一つとして、既存の自動車メーカーを守るため、ということもあるのでしょうか。
尾原:むしろ日本のマクロな電力状況の問題だと思います。2011年以降、国内原発の多くは再稼働を見合わせており、現在、発電量の8割近くは火力発電です。その結果、ガソリン車がすべてEVに切り替わったとしても、EVのバッテリーに充電する電力の8割は発電時に炭素を排出することになります。
トヨタがIRで出していますが、EVに完全移行しても、石炭火力で発電した電力で充電する以上、結局ガソリン車と比べて炭素排出量は15%程度しか変わらない。やはり一自動車産業というより、日本全体の視点に立って考えることが必要だと思います。
——豊田章男社長は、自動車メーカーがEVを製造・販売しても、EVの充電スタンドのようなインフラ整備が進まなければ普及しないとも指摘しています。
野辺:そこは重要な点で、もっと政府に対して進言するべきだと思います。化石燃料から再生可能エネルギーへのいわばエネルギー革命ですから、国を挙げて取り組む必要があります。
再生エネルギーへの転換は、投資コストの観点でも重要です。ヨーロッパでは投資の約6割はESG評価されます。石油を燃やして炭素を排出しているとESG投資を受けられず、結果として投資コストが上がってしまうことも日本の自動車メーカーは考慮すべきです。
ソフトウェアのアップデート技術が競争を左右する
2020年に発売開始したフォルクスワーゲンのEV「ID.3」。フォルクスワーゲンは2021年から欧州のID.3、ID.4を対象に、ソフトウェアのアップデートを実施している。
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——自動車業界の主戦場は今後アメリカと中国になっていくのでしょうか。
野辺:ヨーロッパのメーカーも頑張って転換を進めています。BMやメルセデス、アウディも、以前から優秀なIT人材を採用しています。EVでは、OTA(Over The Air)技術、つまりソフトウェアの更新などに使われる通信技術が必須になります。すでに買った車のソフトウェアをアップデートすることで、走行距離や電費も改善しますし、急速充電などの新機能も使えるようになります。つまり新車と同じになる。ガソリン車はこれができないので、既存の自動車メーカーにとっては、このOTA技術の獲得が大きな壁になります。
フォルクスワーゲンやGMもOTA技術の開発を進めてきましたが、実現したのは最近です。テスラは2016年から毎週のようにアップデートしています。スマホのOSアップデートと同じで、iOSやAndroidのOSバージョンや端末もそれぞれ違い、アップデート状況も人によって違うものを、問題を起こさずOTAでアップデートするには、高い技術が必要です。スマホでこの技術に強みを持つアップルがEVに参入する可能性は、この点でも理に適っています。
——トヨタの関係者と以前話した時には、「トヨタがEVをやろうと思えばいつでもできる。今は利益が出ないからつくらないだけ」とおっしゃっていましたが、OTA技術はそんなに簡単なものではない?
野辺:そんなに簡単なものではありません。フォルクスワーゲンですらそれで6カ月出荷が遅れたと言われているくらいです。
尾原:最近では、M1搭載Macのアップデートで一時期Zoomが使えなくなりました。アップルでさえ想定しなかった不具合が出る。ましてや車は安全性が求められます。もちろんブレーキやアクセルなどの制御系は切り離して設計すると思いますが。
生き残るためには能力のある人を経営層に
——今後、日本の自動車メーカーが生き残っていくためには何が必要でしょうか。
尾原:自動車自体は1個のプロダクトに過ぎませんから、先ほどのアマゾンのように、サービスレイヤーで捉えた時の優位性から逆算して考えることで、勝ち筋はいくらでもあると思います。
例えばコマツは、建機の運行・稼働データを蓄積してブルドーザなどを遠隔操作したり、修繕データの蓄積によって安全確認したり、サブスクリプション型に移行して成功しています。トヨタも東南アジアの配車サービスGrabと組み、走行データを活用したコネクテッドサービスを開発しています。どの領域にフォーカスして、これまでのアセットを活かして、サービスレベルでのイノベーションを実現するのかを考えることが重要です。
野辺:明らかに強みはまだあると思います。EV化でバッテリーが注目されていますが、リチウムイオン電池を開発し量産にこぎつけたのは日本のメーカーです。現在もパナソニックがテスラとがっつり組んでバッテリー開発を進めています。ただ国内で製造していない。
先ほどのイーロン・マスクの話で、自分が乗っていない間に車が稼ぎに行くような世界を実現するには、自動運転技術やソフトウェアの開発が必要ですが、そうした能力のある人材を経営クラスに採用する。そうした投資が必要です。製造に強みを持っていても、リスクを取らない限り、事業は絶対に成功しません。そうした思考を経営陣が持つことが重要だと思います。
(聞き手、浜田敬子、構成・渡辺裕子)
尾原和啓:IT批評家。1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー、NTTドコモ、リクルート、グーグル、楽天などを経て現職。主な著書に『ザ・プラットフォーム』『ITビジネスの原理』『アフターデジタル』(共著)『アルゴリズムフェアネス』など。
野辺継男:1983年早稲田大学理工学部応用物理学科卒。1990年ハーバードビジネススクールMBA Alumini。1983年NEC入社。2001年ソフトバンク子会社としてオンラインゲーム会社を設立しCEOに就任。2004年日産自動車入社。Vehicle IoTの開発・事業立ち上げ・統括。Vehicle IoT事業本部及びシリコンバレーオフィスを設立。2012年米大手テックカンパニーに転職し、自動運転及びモビリティサービスの事業開発と政策推進を担当。2014年名古屋大学未来創造機構客員准教授を兼務し、自動運転の技術開発。IEEEやクルマとITに関連する国内外の主要会議で頻繁に講演。各種政府委員会メンバー歴任。日経BP等で多数執筆。