新型コロナウイルスのワクチン接種を担当する河野太郎行革担当相。ワクチン調達・接種の状況の格差が先進諸国の成長率見通しにおよぼす影響が顕在化してきている。
REUTERS/Issei Kato
金融市場ではアメリカの株、金利、ドルが揃って上昇する「トリプル高」が続いている。コロナ対応の追加経済対策に伴う現金給付がすばやく執行に移されていることなどが好感をもって受け止められている模様だ。
トリプル高の理由はほかにもいろいろと考えられるが、3月11日にバイデン米大統領が国民向けに行った演説を「追い風」と指摘する向きもある。
バイデン大統領は「5月1日までに成人の希望者全員にワクチンを接種できる体制を整える」と表明。7月4日の独立記念日には「家族や友人と祝える可能性がある」と述べ、正常化の道筋について具体的な日付を示した。
もちろん、行動制限の解除とともに予想だにしなかった問題が浮上してくる可能性は今後もあるし、各国で不安を呼んでいる変異株への感染拡大が進むおそれもあるので、7月4日という日付は野心的と言うべきなのかもしれない。
だが、経済的にも精神的にも本当に苦しい国民の現状を踏まえれば、「希望を持たせる」のは政治家の大きな責務のひとつと言えるだろう。
先行きへの期待感が高まるなかで、米10年金利(国債利回り)は1.60%を突破しているが、(株式投資から低リスクで利息を得られる米国債に資金が流れ)株価が大崩れするような状況にはなっていない。
理由は複数考えられるが、長期金利の上昇と同時に、インフレ期待も相応に伸びている事実はやはり見逃せない。
名目金利の上昇ペースがあまりに早いのでその陰に隠れて注目されていないが、年初に2.0%付近で推移していた10年物ブレイクイーブンインフレ率は2月に約2.2%、3月に入ってからは約2.3%と、少しずつ水準を切り上げている。
その結果、実質金利(=見かけの金利から物価変動の影響[インフレ期待]を引いた金利)の上昇ペースが抑制され、株価への負荷(=国債への資金流出)が軽減されているとの見方はそれなりに説得力がある。
円滑なワクチン供給・接種へのポジティブな評価
インフレ期待の伸びは、ブレイクイーブンインフレ率のような市場ベースの計数に限らず、調査ベースの計数にもあらわれつつある。
3月12日に発表された3月「ミシガン大学消費者マインド調査」に目をやると、5年後のインフレ期待が2.5%程度で安定する一方、翌年(2022年)のインフレ期待ははっきりと上振れ、3.0%を突破している【図表1】。
【図表1】米ミシガン大学消費者マインド調査における インフレ期待の推移。
出所:Macrobond資料より筆者作成
もっとも、図表から読みとれるように、リーマンショックや欧州債務危機をまたいだ2008~2011年も翌年のインフレ期待は跳ねていた。「悲観の極み」からの脱却を見越す局面では、調査ベースのインフレ期待は先走りやすいのかもしれない。
いずれにせよ、現状について言えば、アメリカの経済・金融情勢にまつわる先行き期待感が強まっているのは間違いなく、これが株高・金利高・ドル高という市場反応にあらわれていると考えられる。
冒頭で触れたバイデン大統領の演説は象徴的なものに過ぎないが、その言動の裏側には円滑なワクチン供給・接種の状況があり、それがいまのところ金融市場ひいては国民の信頼を得るに至っているということなのだろう。
また、あいまいな空気のなかで恐怖を扇動して行動規制をちらつかせるというのでなく、足もとが厳しくても期待や希望を抱けるロードマップが提示されているからこそ、インフレ期待が高まり始めているのではないか。
「期待」は消費・投資という「現実」につながるか
ただし、高まる「期待」が堅調な消費・投資という「現実」につながってくるかどうかはまだ見通せない部分もある。
その筆頭が雇用・賃金環境だ。アメリカ家計部門の貯蓄率(貯蓄÷可処分所得)はコロナショック以前、2019年までの10年間で7.3%だったが、直近1月分は20.5%、2020年平均では16.4%と歴史的な水準で高止まりしている【図表2】。
【図表2】米ミシガン大学消費者マインド指数と貯蓄率。
出所:Macrobond資料より筆者作成
給付金や手厚い失業手当などのおかげで、消費者心理の委縮以上に貯蓄が上乗せされて見えている可能性はある。過去の寄稿でも書いたように、こうした積み重なる貯蓄は近い将来に経済回復の起爆剤となる「マグマ」なのか、それとも長期低迷をもたらす「重荷」なのか、現時点で確たることは言えない。
インフレ期待の動向を見る限りでは、日本やユーロ圏が陥ったような慢性的な民間部門の貯蓄過剰状態、その結果としての低金利・低物価といういわゆる「日本化現象」を、アメリカは回避できる方向に歩んでいるように見える。
端的に言えば、「マグマ」説のほうに賭けてみたくなる気持ちは分かる。株価に比べて精彩を欠いていた消費者マインドの動きはここにきてようやく上向き始めたようにも見受けられる【図表3】。
【図表3】米ミシガン大学消費者マインド指数と米株価。
出所:Macrobond資料より筆者作成
深刻なダメージ受けたイタリアより低い日本の成長率
さて、日本に目を向けると、1都3県で現在発出されている緊急事態宣言が3月21日に解除されると報じられているが、ここまで見たアメリカの「期待」状況とは対照的に、民間部門の貯蓄が「マグマ」として爆発するような雰囲気は感じない。
多くの経済主体は、政治に対し希望や期待よりも「この先も何をされるか分からない」という強い不透明感を抱えているのではないか。その感覚を裏づけるように、解除を見送って再延長を決断した3月7日時点より感染者数は増加傾向にあるにもかかわらず、今回は解除されるとの見方が強まっている。
こうした分かりにくい状況になっているのは、ひとえに新型コロナウイルスに対する立ち回りが「政争の具」と化しているからだろう。
欧米諸国に比べて感染拡大がはるかに軽微だったにもかかわらず、日本の成長率はパッとしない。2021年はイタリアに次いで2番目に低く、2022年は最低の見通しになっている【図表4】。
【図表4】2021~22年の先進7カ国(G7)の成長率軌道。
出所:国際通貨基金(IMF)「World Economic Outlook」(2021年1月改定版)より筆者作成
日本の地力がそもそも低いから仕方がないとの意見もあるが、それにしても、政局混乱と債務問題を常時患っているイタリアより低いとは驚きだ。
消費や投資の意思決定をする際、最も大きな障害になるのは先行きの不透明感である。ワクチンの調達状況や接種回数、結果としての感染者数の増減が目安でも置かれれば、まだ先は読みやすい。バイデン大統領が期待や希望を語れるのは、ワクチンの調達と接種が順当に進んでいるからこそだ。
そこがうまくいっていない日本が、大仰なことを言えないのは理解できる【図表5】。
100人あたりのワクチン接種回数(3月12日時点)。
出所:Our World in Data資料より筆者作成
しかし、だからといって理解が難しい基準を示すのは賢明ではない。
例えば、再延長の判断を下した3月7日、東京都は7日間平均で「新規感染者数が1日140名」という解除基準を突如として示した。分母(検査数)との関連も示されず出てきた「1日140名」という数字からは、解除に至るまでの難易度が高いのか低いのか判断のしようもない。
その前にも、東京都は7日間平均で見て「新規感染者数が前週比7割」を宣言解除の基準として示してきた。しかし、新規感染者数という絶対値が、収束しつつある過程で同率の減少を続けるはずがない。土台無理な目標設定をしていたと言うほかない。
「それっぽい基準」を掲げるくらいならば、「世論調査が望むので宣言を発出した」と言うほうがまだ分かりやすいのではないか。もともとは医療キャパシティを緩和ないし確保するための緊急事態宣言だったと記憶するが、肝心の医療機関の状況については数字目標や進捗があまり示されていないことも腑に落ちない。
行動規制の「慢性的なくり返し」が成長率を押し下げる
また、3月7日から2週間の延長が決定される際には、1都3県の知事と政府の間で誰がどのタイミングで宣言延長の要請をするかという点でひと悶着あったことが報じられた。具体的な手段や数字をもって期待や希望を示すよりも、政治が優先されやすい日本の状況が浮き彫りになったひとコマだったように思う。
今後も「世論が緊急事態を望めばそうする」という運営が続くのだろうか。過去1年、メディアや地方自治体の首長が不安を強調した甲斐もあってか、人心も規制を望んでいるかのような空気が充満している。
毎日新聞と社会調査研究センターが実施した世論調査では、1都3県の緊急事態宣言について「3月21日以降も延長すべき」との回答が全国で57%にのぼっており、回答者を1都3県にしぼっても52%におよぶという。すでに過去12カ月のうち3分の1ほどが緊急事態宣言の発出期間になっているので、国民はもう慣れてしまったのかもしれない。
ワクチン調達と接種の進捗がG7のなかで圧倒的に劣後しており、それが成長率を押し下げるという日本の状況は当分変わりそうにない。
それに加えて、根拠薄弱な行動規制が慢性的にくり返されることで、民間部門の経済活動がリスク回避的なものとして定着しそうになっていることも、成長率の下押し要因として看過できない。
ワクチン調達には不可抗力の事情もあると察するが、地方自治体の為政者やメディアが率先して不安を煽るような風潮は、心のなかで改善を祈る以外に方法はないのだろうか。
※寄稿は個人的見解であり、所属組織とは無関係です。
(文・唐鎌大輔)
唐鎌大輔(からかま・だいすけ):慶應義塾大学卒業後、日本貿易振興機構、日本経済研究センターを経て欧州委員会経済金融総局に出向。2008年10月からみずほコーポレート銀行(現・みずほ銀行)でチーフマーケット・エコノミストを務める。