低軌道小型衛星を使った高速衛星インターネットサービスを提供する「スターリンク(Starlink)」は地方移住時代の救世主となるか。
Screenshot of Starlink website
パンデミックをきっかけに起きたネット不動産(地方移住)バブルを勝ち抜き、アメリカ北東部のバーモント州に念願の一軒家を手に入れた筆者だが、場所柄さすがにインターネット接続には期待していなかった。
スマホの電波状況はイマイチ、光ファイバー回線はナシ、地元の電話会社が提供する3MbpsのDSL回線以外にインターネット接続を確保する手段はないことは初めからわかっていた。
※筆者のアレックス・ロッキーは、フリーランスのライター・編集者。新型コロナウイルスの大流行を受け、ニューヨーク・マンハッタンのロウアーイーストサイド地区から、バーモント州南部の丘陵地帯に建てられたジオデシック・ドーム(=多角形を組み合わせたドーム型屋根構造)の一軒家に移住した。
新居には「滝」がついていた。滝か安定的なネット接続か、究極の二択を迫られた自分は結局、滝を選んだ。
もちろん、DSLオンリーのままにしておくつもりはハナからなかった。在宅勤務や友人・家族とのやり取り、緊急時の連絡手段として、衛星インターネットを当てにしていたのだ。
1月半ば、引っ越しを終えた筆者はすぐに、アメリカ最大の(レガシー)衛星インターネットプロバイダー「ヒューズネット(Hughes Net)」と2年契約した。
従来のプロバイダが提供する衛星インターネットサービスには2つの大きな問題がある。レイテンシ(=遅延、待ち時間)とキャップ(=データ量制限)だ。
ヒューズは高度約3万6000キロメートルの静止軌道(=地球の自転周期と同じ周期で地球を回るため、地上からは静止して見える)を周回する衛星を使ってデータを伝送しており、光速による通信でも、およそ1秒のラグが生じる。実際、1秒単位の遅延は、Zoom経由のテレカンだとかなりイライラさせられる。
有線インターネットと違って、衛星インターネットのサービスプランは通信速度ベースではなく、送受信するデータ量ベースで課金される。なので、月間データ上限に達すると(いつも気づかぬうちに上限に達してしまうのが常だが)、通信速度が3Mbpsに制限され、ヒューズネットのサイトから追加容量(=データトークン)を購入する羽目になる。
そんなわけで、基本的に既存の衛星インターネットは最悪だ。
衛星通信の「真打ち」登場
だから、億万長者どうしの宇宙レースに勝利し、インターネットに革命を起こそうと挑戦を続けるイーロン・マスクの衛星コンステレーションプロジェクト「スターリンク(Starlink)」がサービスの試験提供をすることを知ったとき、筆者は迷うことなく申し込んだのである。
イーロン・マスクが設立した宇宙開発企業スペースXによる「スターリンク(Starlink)」プロジェクトの紹介ムービー。
Space X
スターリンクの「ベター・ザン・ナッシング(ないよりマシ)」と名づけられたベータテストは、大気圏(=高度100キロメートルまで)の上空高度約1100キロの低軌道を周回する小型衛星1000基を使う。
衛星をより地上に近い軌道で運用することで、通信のタイムラグをわずか30ミリ秒まで切り詰める。有線インターネットよりは多少遅いが、ヒューズネットの700〜900ミリ秒というラグに比べたらずっと速い。
現在、1万人の試験ユーザーが1000基の衛星をシェアしている形だが、データキャップの話題など聞いたこともない。レイテンシがほぼ存在せずデータ量上限もないスターリンクは、アメリカの地方在住者が抱える「ブロードバンド・クライシス」を解決してくれるに違いない。
ヒューズネットを使って数週間、その後スターリンクを3週間、唯一のインターネット接続元として利用したことで、筆者は「判決を言いわたす」用意ができた。
言ってみれば、急成長が続く衛星通信産業にも、ついに「真打ち」が登場した感じだ。スターリンクがヒューズネットに対してそうしたほどに、あるプロダクトやサービスが他のそれを完膚なきまでに破壊し、打ち勝った例を見たことがない。
ただ、もし明日我が家に高速な有線インターネット回線が引かれたら、すぐにスターリンクを解約したくなるかもしれない。衛星インターネットはスターリンクの登場で確かに良くなり、オプションの1つとして考えられるようにはなったが、それでも今日時点ではまだ地上回線ほどの水準には至っていない。
ここからは、筆者の生活を一変させたヒューズネットからスターリンクへの乗り換えの一部始終を、皆さんに画像つきで紹介しよう。
まずはスターリングとヒューズネットの違いを一覧にまとめてみた。
Graphic by Jessica Frisco, Lockie's fiancée.
衛星インターネットサービスを利用するには、南の空に向けて山や建造物など障害物がない自宅環境でなくてはならない。アメリカ国民のうち2100万人はいまだに高速ブロードバンドへのアクセスができず、衛星インターネットの契約者はおよそ170万人にとどまっている。
筆者が最初にヒューズネットを選んだのは、引越し先のバーモント州南部ではそれが唯一現実の選択肢だったからだ。
地方移住にはいくつのパラボラアンテナが必要?
Courtesy of Alex Lockie
画像の一番下に見えるのがヒューズネットのインターネット用。中段のは直前に住んでいたオーナーが衛星放送を受信するために使っていたもの。最上段は一番近い携帯電話基地局からの電波を増幅するための指向性アンテナ。
意外だったのは、ヒューズネットが悪くなかったことだ。もちろん、イライラすることはある。でも、きちんと仕事には使える。
リモートワーク中のフィアンセ。
Courtesy of Alex Lockie
筆者と同居するフィアンセ(婚約者)は、1カ月近くヒューズネットを使った。動画ストリーミング、ネットサーフィン、仕事のタスクを快適にこなすのには問題ない。ビデオ電話はさすがに重いので、固定回線に切り替えた。
ヒューズネットのセットアップは簡単で、同社に電話を入れたらわずか3日後には技術スタッフがやって来て、パラボラアンテナの設置までしてくれる。スタッフが帰るときにはネット接続が完了していた。
ヒューズネットの典型的なパフォーマンスはこんな感じ。
Courtesy of Alex Lockie
ヒューズネットの通信速度は、公式に宣伝されている下り25Mbpsを一貫して上回る。上の画像はサービス利用開始直後のスピードテスト。ただしレイテンシはかなり大きい。左側に見える「PING」の数字は、ホストサーバからのリクエストに応答するまで637ミリ秒かかることを意味する。
ヒューズネットの問題は通信速度より、データ上限だ。
Courtesy of Alex Lockie
上の画像はデータ使用量を確認する際に表示されるグラフ。矛盾した数字が表示され、理解に苦しむ。月上限30ギガバイト(GB)のプランを契約していて、1月20日に10.9GBダウンロード(受信)したのに、28.1GBの容量が残っていることになっている。何でなの?
サービス利用開始から3週目、データは完全に壊れてる。
Courtesy of Alex Lockie
追加容量を得るために「データトークン」を購入する羽目に。グラフ右側に見える黄色い部分がそれに相当。9ドルかかった。グラフの矛盾について説明してもらおうと3度ヒューズネットに電話したが、回答はもらえなかった。
しかし、すぐにヒューズネットはどうでも良くなった。スターリンクが選択肢として登場したからだ。
スターリンクから試験提供のご案内。レイテンシは20〜40ミリ秒、通信速度は50〜150Mbpsが期待できると書いてある。
Courtesy of Alex Lockie
スターリンクはまだ広く提供されておらず、アメリカ北部に偏ってほとんどの衛星が配置されている。
筆者の知る限り、ベータテスト参加の招待を受けたのは、アメリカ北部の地方エリアとカナダの一部だけ。我が家はその南端ギリギリにあり、案内メールが届いたのはなんと募集開始の1カ月後だった。
案内メールが届いて興奮したが、ちょっとためらった。
Courtesy of Alex Lockie
ヒューズネットの利用料金は月額90ドル。固定回線との組み合わせが必須な上に、速度が出ないのでZoom会議のやり方には気をつけなくてはならないけれど、基本的に問題なく仕事はできる。
かたやスターリンクはパラボラアンテナなどスターターキットの費用が500ドル、送料が50ドル。海のものとも山のものともわからないサービスに投じる金額としては高く感じる。加えて、ヒューズネットは2年契約で加入済みなので、解約するならキャンセル金として400ドルを支払う必要もある。
だが結局は、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、スターリンクのベータ版に大金を突っ込むことにした。
スターリンクからは当初、4週間でスターターキットが到着すると連絡を受けていた。
一見手書き風のミニマル(?)な設置・使用説明書。
Courtesy of Alex Lockie
しかし、注文の数日後にメールが届き、スターターキットの出荷が完了、スケジュールより2週間前倒しで到着するという。実際、メールの数日後にはカリフォルニアからの荷物が到着した。予定よりずっと早い。
箱を開けてみると、中には思わず笑ってしまうくらい最低限の説明書きが入っていた。
これがその中身だ。
Courtesy of Alex Lockie
パラボラアンテナと(それを支える)ベース。最初からアンテナやアダプターに接続された状態になっているケーブルの束。ベースにアンテナを差し込んで電源にケーブルをつなげば準備完了。
光沢感のあるスターリンクのルーター。左はヒューズネットのもの。
イーロン・マスク率いるテスラ(Tesla)のEVピックアップ「サイバートラック」を彷彿とさせるルーター(右)のデザイン。
Courtesy of Alex Lockie
スターリンクのプロダクトデザインは洗練されている。ヒューズネット製の不格好なそれとは比較にならない。
電源まわりはこんな感じ。
Courtesy of Alex Lockie
こちらはよくある感じのアダプター。
「ディッシー・マックフラットフェイス(Dishy McFlatface)」と呼ばれるパラボラアンテナを箱から取り出し、屋外に置いて室内のコンセントにつないでみた。
Courtesy of Alex Lockie
アンテナは上空まで障害物がない場所に置かないといけない。
電源をオンに。パラボラアンテナは内蔵モーターで方向が変わり、上空のスターリング衛星を自動的に探し出し、通信を確立してくれる。
Courtesy of Alex Lockie
アンテナの方向が決まってから数秒、PCなどのデバイスでWi-Fiネットワークが検出可能になる。ログインしてルーターのセキュリティキーを入力すればすべて完了。Zoom会議で上司を苛立たせることのない強力で高速なインターネット接続を得られる。
スターリンクのスピードテスト結果。だいたいこのくらいの数字が出る。
Courtesy of Alex Lockie
これまで確認できたところでは、最大時で約220Mbps、最低でも40Mbps(いずれも下り)。
空が澄み切った夜だとこのくらいの数字が出る。
Courtesy of Alex Lockie
下り217.07Mbps、最高パフォーマンスを記録!
直径約1メートルのヒューズネットのパラボラアンテナは、スターリンクに比べて大きく、不格好だ。
Courtesy of Alex Lockie
ヒューズネットのパラボラアンテナを我が家の外壁に取りつけるだけで50ドルかかった。恐ろしく強靭なケーブルを外壁に這わせ、室内に引き込むのにドリルで穴を開ける必要もあった。もちろん建物にとって良いことではない。
ただし、スターリンクも同じくらい不格好なケーブルの山を玄関から引き込み、床を這わせる必要がある。
Courtesy of Alex Lockie
スターリンクのケーブルは太く、ヒューズネットの技術スタッフが外壁に開けた穴を通らない。なので、毎日ケーブルを巻き取ってから玄関を閉めざるを得ない。ケーブルの山は床に放置しておくことになる。プロの力を借りて整然と設置することもできるが、スターリンクがそのための技術スタッフを派遣してくれるわけではない。
冬の間、ヒューズネットのパラボラアンテナは雪に覆われたままなので、手をつけられない。
Courtesy of Alex Lockie
パラボラアンテナを使っている人たちなら、年に数回ディッシュを掃除しなくてはならないことを知っているはずだ。
スターリンクは「融雪モード」があると宣伝しているが、自分は正直あまり期待していなかった。
Courtesy of Alex Lockie
しかし実際、ヒューズネットと違って、スターリンクのアンテナは雪やみぞれなどの厳しい気候条件にも耐えられる。どうやらディッシュ自体が発熱して氷や雪を溶かしているようだ。
それでも、スターリンクのアンテナは完璧とはいえない。
Courtesy of Alex Lockie
(来客などの)車がぶつかったり、愛犬がケーブルを噛んだりしないか心配だ。スターリンクが感動的なくらいに高速なインターネット接続をもたらしてくれていることは確かだが、それでも、生活必需品あるいは通信インフラと考えたとき、まだまだ貧弱で頼りないという感覚は捨てきれない。
スターリンクはまだ従来の衛星インターネットの枠を抜け出るものではない、というのが筆者の結論だ。あまり見たくない下の「少々お待ち下さい」画面も残念ながらよく見る。
「Hold On(少々お待ちください)」画面はよく表示される。
Courtesy of Alex Lockie
スターリンクは天気や風の影響を受けやすく、信号が途切れることも多い。パラボラアンテナの前に人が立つだけでもインターネットの障害になったり、通信切断の原因になったりする。
通信切断について言えば、スターリンクは1日に数十回、1〜10秒程度の切断がふつうに起きる。接続が回復する前にビデオ会議から落ちてしまうのもよくあることだ。具体的にデータを取ったわけではないが、通信切断が起きる頻度はヒューズネットよりいくらか多く感じる。ただ、回復はヒューズネットより早い。
とはいえ、スターリンクへの文句はそれくらいのものだ。絶対的なゲームチェンジャーであることに変わりはない。
射撃ゲームに勝利して喜ぶ筆者。スターリンクだとタイムラグは気にならない。
Courtesy of Alex Lockie
既存の衛星インターネットでオンライン射撃ゲームをプレイしたことはあるだろうか?タイムラグがありすぎて、どうやったって勝てない。ところが、スターリンクなら人気バトルロイヤルゲーム「エーペックスレジェンズ(Apex Legends)」でも勝てる。同じ時間に別の部屋でフィアンセがYouTube動画を見ていても、だ。
しかも、先に紹介したスタイリッシュなルーターが発する電波は強力。
Courtesy of Alex Lockie
ルーターから20メートル以上離れた小屋のなかでも、音楽ストリーミングを楽しむのに十分な電波が来るし、スマホの通知も問題なく届く。ヒューズネットの電波も悪くないものの、スターリンクほどではない。
そんなわけで、ヒューズネットとの契約は打ち切ることにした。
Courtesy of Alex Lockie
ヒューズネットとの2年契約を29日目でキャンセル。400ドルの違約金を支払った。レンタルしていた衛星通信トランスミッターとモデムは近々返却する予定だが、パラボラアンテナは向こうもいらないらしい。
スターリンクはもっと良くなると思う。
スターリンクは公式ウェブサイトで地方生活での活用をうたっている。
Screenshot of Starlink website
スターリンクは今後も成長を続け、イーロン・マスクの発言によれば、通信速度は倍増しレイテンシもさらに縮小される模様だ。カバーエリアも南に向かって拡大していくだろう。
最終的には数万基の衛星が投入され、地球全体を網羅し、スターリンクの通信速度は地上回線を経由した有線インターネットを上回るとみられる。イーロン・マスクは投資回収に成功し、ヒューズネットはそこで姿を消す、そんな未来は想像に難くない。
(翻訳・編集:川村力)