今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
女性蔑視発言をきっかけに、森喜朗氏が東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長の座を追われた一件。その発言内容もさることながら、後任人事を巡っては「決定プロセスが不透明だ」との批判も相次ぎました。経営学的に見て組織の意思決定プロセスとはどうあるべきなのか、入山先生に聞きました。
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多様性の欠如が「時代で変わる常識のズレ」を引き起こす
こんにちは、入山章栄です。
2021年2月、森喜朗元首相が日本オリンピック委員会の臨時評議員会で、「女性が多い会議は時間がかかる」と発言し、女性蔑視だと非難されました。森さんはその責任をとる形で東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長を辞任。これで一件落着するかと思いきや、その後継者選びが二転三転するという出来事がありました。
BIJ編集部・常盤
その発言の是非についてはさまざまなメディアで論評されているのでここでは脇におくとして、今回入山先生にお聞きしたいのは、組織の意思決定プロセスについてです。
森さんは後任に川渕三郎さんを指名しましたが、それが「密室人事」だと批判されて、結局、後任は橋本聖子さんに決まりました。でも橋本さんに決まるまでのプロセスにも透明性があったとは到底思えません。経営学的には、組織の意思決定のプロセスはどうあるべきなのでしょうか?
僕も森さんの発言は残念に思いましたし、新会長の決定プロセスにも透明性がなかったと思います。なぜこんなことが起きたのか、経営理論を思考の軸にして考えてみましょう。
一つめは、「常識のズレ」です。
この連載でもすでに何度か取り上げていますが、社会学をベースにした「制度理論」という考え方があります。これは一言でいうと「常識の理論」です。
世の中にはたくさんの常識があるけれど、これは人間の脳をラクにするための「幻想」にすぎません。我々の脳はキャパシティに限界があるので、すべてをいちいち真剣に考えられない。だから、「常識」ということにしてしまえば、考えなくて済むからです。例えば就職活動のときはリクルートスーツを着るのが常識ですね。そういうことにしておけば、面接で何を着ればいいか悩まずに済むから、脳がラクになるわけです。
このように、実は常識とはただの幻想であって、絶対的な正解ではないのです。だから時代とともに常識も移り変わり得る。
森さんのあの発言は、おそらく20〜30年前だったらあまり問題視されなかったのではないでしょうか。今となっては信じられないことですが、当時はまだ「女性」と一括りにして茶化すようなことも日常茶飯事で、あのような発言を男性がするのも「常識」の範囲内だったからです。
この「20〜30年前なら問題なかった常識」を森さんは今も引きずっていて、他方で世間の常識は大きく変わったことに気がつかなかった。謝罪会見でも、まるで悪びれた様子がなかったのはそのせいでしょう。森さんにはあの発言は常識の範囲内なのです。
では、なぜ森さんは古い常識を引きずってしまったのでしょうか。私は、彼の周囲に多様性が欠如していたからだと思います。
もし周囲に多様な人がいれば、そこにはいろいろと異なる「常識」を持っている人たちがいます。結果、人は、その周囲の人のいろいろな常識にさらされるので、そのたびにハッとして、「自分の思っていた常識は、ただの幻想だったんだな」と常識をアップデートできるわけです。
しかし永田町、しかも自民党なんて、日本人の「ザ・おじさん」と言うべき同質な人たちの集団です。若手議員も政治家の2世だったりして、父親や周囲の人たちの影響を強く受けている。そして何より女性議員の数が少ない。結果、極めて同質的な組織になっているのです。これが、森発言が出てきてしまう大きな理由です。やはり多様性は重要、ということですね。
2021年現在、衆議院に占める女性の割合は約1割。2018年施行の「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」も、各自治体、政党が自主的に女性議員の割合を増やすことを求めるに留まっている。
REUTERS/Kim Kyung-Hoon
後継者選びにガバナンスを効かせるには
今回の出来事が起きた理由の2点目は、オリ・パラ大会組織委員会では後継者の選任に関して、ガバナンスが効いていなかったことです。
つまり森さんは自分が辞任するにあたり、半ば独断で元Jリーグチェアマンの川淵三郎さんを指名した。川渕さんはJリーグを立ち上げた実力者ですから、実際に後任にふさわしい方だったかもしれません。しかしそのことより問題なのは、公的機関の人事が、森さんの一存で決まりそうになったことです。
この出来事があってから、「現在のトップが次のトップを指名するなんて、『私の履歴書』みたいだ」という意見をSNSで目にするようになりました。
「私の履歴書」というのは日本経済新聞の名物コラムで、功績を残した人が半生を振り返る読み物ですが、そこには伝統的な大企業の社長になった人物も多く登場します。こういう方々の「履歴書」を読んでいると、面白いことに社長になるに至った経緯に共通のパターンがあります。何だか分かりますか?
“ある日突然”、当時の社長から呼ばれる。社長室に行くと、「次期社長はきみだ」と言われて“青天の霹靂である”と驚く。「ちょっと考えさせてください」と言うつもりだったが断れる雰囲気ではなく、こうなったらやるしかないと“腹をくくる”——。
こうしたシーンはたしかにドラマチックではあるし、まさに20〜30年前なら日本でも常識だったかもしれません。
しかし、今は企業ガバナンスの時代です。次期社長は、指名委員会や取締役会で、オープンに議論して決めるべきで、このような密室人事があってはなりません。ところが、この「私の履歴書」でよく書かれる様は、まさに密室人事ですよね。当時はこれでもよかったのでしょうが、今は通じない。
でも、こうやってみると、まさに今回の川淵さんの指名は、「密室人事」です。現代のオリパラ大会組織委員会がやっていることは、20〜30年前の日本企業と、何ら変わらないわけですね。
僕は何社かの社外取締役を務めていますが、特に外資の血が入っている会社は、トップの指名プロセスをなるべく公正・オープンにやっています。
僕も経験したことがありますが、企業の指名委員会では、各候補者について外部のサーチ機関を使って調査し、候補者をすべて洗い出し、その結果をもとに議論する。そして絞った候補を取締役会に上げます。最終的に決めるのは取締役会ですが、指名委員会の責任は重大です。
しかし、そもそも指名委員会型のガバナンス をとっている日本の上場企業は、おそらく数パーセントにすぎません。多くはいわゆる監査役会型と呼ばれるもので、指名委員会が存在しなかったり、あっても十分に機能していなかったりする。だから「私の履歴書」のような光景が、現代も日本企業では繰り広げられるのかもしれません。
デジタル化は透明性を高めるチャンス
今回のオリパラ大会組織委員会騒動の3つめの背景は、意思決定に透明性がないことです。いくら指名委員会を設置したところで、形だけでは意味がありません。重要なのは、情報を公開して透明性を高めることです。そうしなければ、有権者やユーザーからの信頼を得られないでしょう。
経営学にも、信頼性に関する研究はたくさんあります。しかしその多くが、「AさんとBさんが濃密に付き合うと、お互い信頼性が高まる」という考え方です。確かにその通りですが、これだけ情報があふれている現代のデジタル社会においては、それだけでは不十分です。
そこで重要になるのが、「意思決定のプロセスの透明化」だと僕は思います。これからのさまざまなステークホルダーに付き合わなければいけない企業・組織こそ、意思決定プロセスを可能な限りオープンに開示する必要があると僕は思います。
その意味で、いま情報開示が最も進んでいるのは台湾ではないでしょうか。
僕は台湾のデジタル担当大臣のオードリー・タン氏と2回対談しています。そこで彼女が言っていて印象的だったのは、「ラディカル・トランスペアレンシー(徹底的な透明性)」と称して、台湾政府の意思決定プロセスを透明化すると宣言し、自分を含めた閣僚のスケジュールを全部公開していることです。だからこそ台湾国民と政府のあいだに信頼関係をつくれるのだ、と彼女は言います。
オードリー・タンは「徹底的な透明性」を重視する。例えば彼女は週1回市民と話す時間を設けているが、その内容も完全に公開している。
Thomson Reuters Foundation
日本企業で透明性の高い経営をしているのは、例えばIT企業のサイボウズでしょうか。クラウドサービスの「kintone(キントーン)」を使うと、誰が何をしているかが可視化されて、情報共有ができる。当然、同社は社内でこれを使っています。社長の青野さんにお話を伺っても、おそろしく透明性が高い。でもだからこそ、社員の信頼を勝ち得ているのだと思います。
つまり今後はデジタルを活用することで、組織の透明性を高めることができるのです。ヤフーのトップだった宮坂学さんが副知事になった東京都も、デジタルまわりで透明性の高い試みを始めていますから、僕は日本政府よりも東京都に期待しているほどです。
実は僕も、自分の所属する企業の取締役会の様子を「できるだけ社員に公開できないだろうか」などと提言しています。それが無理でも、最低限、議事録をもっと分かりやすくして、みんなに見せることはしたほうがいい。それがデジタル時代の信頼の勝ち取り方だと思います。
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(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集・音声編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。