新型コロナウイルスの感染拡大により、昨年から浸透したリモートワーク。
満員電車での長い通勤がなくなったことが歓迎される一方で、生活空間と仕事場の境界がなくなり、生活にメリハリがつきにくくなったり、仕事中に思わずスマホに手を伸ばすなど集中力が途切れやすくなったりする悩みも聞こえてきます。
できることなら、さっさとやる気になって集中し、仕事を終わらせたいと思っている人は多いでしょう。また部下を持つ立場なら、なかなかやる気を見せない部下のモチベーションをどうすれば高められるのか、頭を悩ませているかもしれません。
そこで今月の「サイエンス思考」では、モチベーション心理学を専門とする山梨英和大学の佐柳信男准教授にお話を聞きながら、人がやる気になるメカニズム、いわゆる「やる気スイッチ」が働く心理について考えていきます。
佐柳先生によると、やる気を引き出すうえでは「3つの条件」があると言います。
自分自身をうまく仕事に向かわせることはもちろん、部下のやる気をマネジメントするうえでもヒントになりそうです。
私たちはいったいどんな時にやる気になり、どうすればやる気を維持する(=集中する)ことができるのでしょうか。
「やる気」の基本から、コロナ禍だからこそ気をつけたい、やる気マネジメントのポイントまで紹介します。
やる気の源泉は5段階に分かれている?
お腹がすけば、自然と何かを食べようとする。生理的な欲求に対して、「やる気」を起こすことは多い。
Sergey Chumakov/Shutterstock.com
お腹がすけば自然と食事に向かい、眠くなれば布団に入る。生理的な変化に応じて、人は何か行動を起こすことがあります(=やる気になる)。こう考えると、やる気の源は、ある意味本能的な欲求と言えるのかもしれません。
心理学者のアブラハム・マズローは人間の欲求を5段階に分けて説明しています。
いわゆるマズローの欲求のピラミッドです。
「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現の欲求」の順番に、下位の欲求(ピラミッドの下部)が満たされると、より上位の欲求を求めるという考え方です。
一見、納得できる考え方のように感じるかもしれませんが、最近ではこの考え方に対して否定的な見方が強くなっています。佐柳准教授によると、マズローの考え方で下位とされている欲求が満たされていなくても、より上位の欲求を求めることがあると考えられているようです。
ではいったい、人はどんなときにやる気になるのでしょうか?
やる気のエンジンは2種類ある
仕事をしようと思っても、ふとした瞬間にスマホを触ってしまう人もいるのでは?
撮影: 三ツ村 崇志
当たり前のことではありますが、私たちは興味や関心を持っているものほど積極的に取り組もうとします。
このように好奇心や楽しさを原動力に何かに取り組もうとしている状態や、そういったものが行動の原因になっていると想定できる場合を、心理学では「内発的動機づけ」といいます。
「(興味や楽しさに基づく)内発的動機づけによって何かに取り組んでいるときは、集中力が高く没入した『フロー』と呼ばれる状態がもたらされやすいと言われています」(佐柳准教授)
一方で、何かご褒美をもらうためであったり、怒られないようにするためであったり、明らかに「外部」からのはたらきかけを原動力に何かに取り組もうとしている状態を「外発的動機づけ」といいます。
大雑把に考えると、私たちの行動のエンジンとなるのは、この2種類の動機づけです。
ただし、このメカニズムは脳科学的に裏付けられているわけではないということに注意しておきましょう。
「人間の行動を現象として見た時に、同じことをやっていても楽しそうな人もいれば辛そうな人もいます。これを説明する上で、心理学では内発的動機づけと外発的動機づけを想定するとうまく説明できると考えられているのです(※)」(佐柳准教授)
※近年、脳科学的な側面からの研究も進められており、内発的動機づけの脳神経的な基盤が明らかになりつつある。
ただし、人の実際の行動は、内発的であれ外発的であれ、1つの動機づけで説明することは困難なようにも思います。
「報酬だけを目的に仕事をしている人は少ないでしょう。何かしらやりがいなどを求めている場合も多いです。ここについてはいろいろな意見がありますが、僕は同じ行動に対してその人の中に複数の動機があると考えています」(佐柳准教授)
仕事の中には「お給料」という報酬があったとしても、なかなかやる気にならないものもあります。集中できないような仕事は、楽しさや好奇心を持ちにくいものです。かといって、仕事には締切がつきものですから、放り出すわけにもいきません。
私たちは、なんとか仕事を取り組む気にならないといけません。
「内発的動機づけを高めようと『楽しめ』と考えてもそううまくはいきません。そこで『自律的動機づけ』という考え方があります」(佐柳准教授)
やる気を引き出す3つの条件
ゲームのように刹那的な楽しさに対してモチベーションが湧くこともあるが、自律的動機づけによって生じる楽しさは少しニュアンスが異なる。
korobskyph/Shuttterstock.com
佐柳准教授は、自律的という言葉は「その行為に納得して取り組んでいる」ということを意味していると指摘します。
「例えば、『これは社会や将来の自分にとって役に立つんだ』と考えているような状態です。大事だと思って取り組んでいると、それに取り組むことこそ自分らしいという感覚になっていきます」(佐柳准教授)
自律的動機づけが高まっていけば、同時に(楽しさや興味に起因する)内発的動機づけも高まることにつながると考えられています。
「ゲームをして楽しむような刹那的な楽しさではなく、社会や自分の役に立つことで、より高度な楽しさを感じていると言えるのです」(佐柳准教授)
では、意図的に自律的動機づけを高め、勉強や仕事へやる気を向けることはできるのでしょうか。
佐柳准教授はこれまでの研究の積み重ねによって、自律的な動機づけを高めるために必要な条件は、大きく分けて次の3つだと話します。
自律的な動機づけを高める3条件
- 関わっている人たちとの関係が良好であること
- 適切な手応え(金銭・精神的・社会的)が得られること
- 自主的に取り組んでいるという感覚があること(やらされている感覚がないこと)
これは、心理学者のエドワード・デシとリチャード・ライアンが考案した「自己決定理論」に基づく考え方で、3つの条件は専門的には「関係性欲求」「コンピテンス欲求」「自律性欲求」と呼ばれています。
「やる気スイッチ」はどこにある?
職場でやる気を出してもらうためには、細かい「チェックポイント」を設けることが有効かもしれない。
撮影:今村拓馬
自分自身をうまく仕事に向かわせたり、やる気のない会社の部下をうまくやる気にさせたりするには、どうすればよいのでしょうか。
大前提として、やる気は誰しもが持っているものです。たとえ勉強や仕事に向かう気持ちが出にくかったとしても、その人にすべての責任があるわけではありません。
「授業中に寝ている生徒でも、バンドでギターを弾くことに対してはものすごくやる気を見せることがあります。その人の一面を見て、やる気のあるなしを判断することはできません。その状況の中で、どうしたらより自律的動機づけを持ってもらえるかを考えることが大事だと思います」(佐柳准教授)
基本となるのは、自律的動機づけの条件とされている「関係性欲求(信頼関係)」「コンピテンス欲求(手応え)」「自律性欲求(自主性)」です。
例えば、退屈な単純作業をやっていても、作業をこなすうちに慣れてきて、楽しくなったことはないでしょうか。
「作業をうまくこなせた」「これだけの量を片付けられた」という手応えは、まさに自律的動機づけを高める要素の一つだと言えます。
ある意味「とりあえずやる」ということが、一番のやる気スイッチになっているとも言えます。
学校や職場などで他人のやる気を左右する立ち場の人にとっては、「適切な難易度」の課題を設定することも重要です。難易度が高すぎても、低すぎても、手応えにつながらず、モチベーションを下げる要因になってしまいます。
「自分で与えられた課題を細かいステップに分けて考えることで、少しずつ手応えを感じることができるなら理想的だと思います。逆に職場などで人を育てる立場の方であれば、チェックポイントを細かく出していくことも有効かもしれません。
私も学生が論文を出すときには、頻繁に会って信頼関係を作っていった上で『来月のゼミまでにここまで仕上げよう』などとチェックポイントを細かく出しています」(佐柳准教授)
ご褒美だけではやる気は長持ちしない
小さな子どもに何かをさせようとするときに、お菓子やお小遣いでやる気を出させようとすることも多い。ご褒美だけが目的になってしまうと、長期的に見ればマイナスかもしれない。
NaNahara Sung/Shutterstock.com
仕事が忙しくなると「いったい何のために働いているのだろう」と考えてしまう人もいるかもしれません。「お給料のためにやっている」と割り切って考えて解決することもありますが、こういった動機づけは「やらされ感」につながり、自律的動機づけを妨げてしまう「アンダーマイニング効果」が生じる恐れがあります。
一つ、心理学者のデシが大学生を集めて行った実験を紹介しましょう。
デシは、集めた大学生を2つのグループに分けて、それぞれ複雑なパズルに取り組ませました。このとき、一方のグループには、パズルが解けたら報酬(金銭)を与えました(もう一方のグループはその事実を知らない状態)。実験の参加者はやる気を見せて、休憩時間も積極的にパズルに取り組みました。
そして翌日、再び同じような課題に取り組ませ、今度は適当な理由をつけて報酬を支払うことをやめました。すると、前日に報酬をもらっていなかった大学生は休憩時間も前日と変わらずパズルに取り組んでいた一方で、前日に報酬をもらっていた大学生は、休憩時間にパズルに取り組む時間が顕著に少なくなっていたといいます。
「これが(自律的動機づけに関連する)やらされ感とつながっています。それまでは自分の意思でやっていたことが、ご褒美(報酬)をもらうことで、『ご褒美をもらうためにやるもの』と認識が変わってしまうのです」(佐柳准教授)
もちろん、適切な報酬は人のやる気を大きく左右する要素です。
一方で、それだけにモチベーション管理を頼ってしまうと、自分のやる気をコントロールすることが難しくなるのかもしれません。
佐柳准教授は、アフリカの発展途上国に対する援助のあり方について、この問題が顕在化していると指摘します。
実は、支援の担当者が現地の方を研修に誘うと「研修に参加すると何をもらえるのか」と報酬を確認されることが多いというのです。何らかの「報酬」を約束された研修に慣れてしまい、報酬がなければ研修に参加する意欲を持つことができなくなっているのです。
コロナ禍で気をつけたい、やる気のマネジメント
リモートワークで仕事がなかなか手につかなくなる原因は、コミュニケーションの不足にあるのかもしれない。
Shutterstock/mapo_japan
コロナ禍で進んだリモートワーク。
佐柳准教授は、リモートワークの普及によって自律的動機づけを高める条件である「信頼関係」と「手応え」が非常に得にくくなっているのではないかと仮説を語ります。
「リモートワークになる前は職場での何気ない会話の中で上司や同僚との信頼関係をつくれていました。『今こういう仕事をしているんです』と、何気ない会話に対するポジティブな反応をもらうといったちょっとした手応えも重要だったのではないかと思います」(佐柳准教授)
対面のコミュニケーションが減り自律的動機づけを高める要因が失われたことが、自宅で仕事に対するやる気がなかなか湧かなかったり、集中力が切れやすくなったりする原因になっているのかもしれません。
ただ、デジタルツールなどを使うことで不足しがちなコミュニケーションを取り戻すことは十分可能だといえます。
「この1年間、大学の授業は大部分がリモートになりましたが、卒論の出来はこれまでで一番良かったように思います。私はもともと出張や休講が多かったのですが、オンラインになったことで逆に生徒と密に連絡を取ることができました」(佐柳准教授)
春は、社会人1年目の新入社員や大学の新入生など、新しい環境に入ったばかりでただでさえコミュニケーションの取り方が分からない人が増える時期です。いきなりデジタル上でのコミュニケーションからスタートしなければならず、うまく関係性を構築できない人も出てくるでしょう。
マネジメントする立場の人間は「新入社員が使えない」と嘆く前に、自身の関わり方を少し工夫するだけで、結果が大きく変わるかもしれません。
仕事や勉強に対して自律的にやる気を高めることができる状況は、非常に好ましいものです。
ただし、佐柳准教授は「自律的に取り組めるということは、一方で、自律的にやめるという選択肢も選びうるということを覚えておかなければなりません」と話します。
「本人が企業の中でやりたい仕事と関係のない仕事をやれと言われても、なかなかモチベーションは湧かないものです。何かのタイミングで納得できる動機を持てたのなら良いのですが、『何のためにやっているんだっけ?』となってしまうと、やる気を持とうとする行為自体、本人にとって良いこととはいえなくなります」(佐柳准教授)
仕事である以上、各々が自分の好きなことだけをやっていては成立しません。
かといって、企業側が一方的に「こんなにやりがいを与えているのに」と従業員の納得感を無視して仕事を与えようとすると、自主性も損なわれ、よりやる気が湧きにくくなってしまうでしょう。
本人がどう納得できるのか、それに対して周りがどうサポートできるのか。
自分自身のやる気を高めるにしても、社員のやる気を高めるにしても、動機づけの仕組みを理解した工夫を凝らすことができれば、大きな効果を生み出せるかもしれません。