両手に荷物を持って、マンザナー収容所に第一陣として到着した82人の日系アメリカ人。1942年3月21日、カリフォルニア州オーウェンズバレー。
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- アメリカでは、この1年間でアジア系住民に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)や人種差別が大きく増加している。
- アメリカには、アジア人差別の長い歴史がある。
- 今日の反アジア感情によるヘイトの高まりに対抗するために、この歴史を理解することがきわめて重要だろう。
アメリカでは、昨年来、アジア系住民に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)が相次いでおり、法執行機関やワシントンの政治家は、アジア系コミュニティに対する差別をなくすための取り組みを強化することを求められている。
3月18日、連邦議会議員が著名なアジア系アメリカ人と会談した。ジョージア州アトランタにある3カ所のマッサージ店で、アジア系女性6人を含む8人が犠牲となった連続銃撃事件の発生から2日後のことだった。
アジア・太平洋諸島系に対する差別を調査している民間団体「ストップAAPIヘイト」が発表したレポートによると、同団体には、2020年3月から2021年2月下旬の間に、全米各地のアジア系住民からおよそ3800件の憎悪犯罪の被害報告が寄せられ、そのうち68%が女性からのものだったという。女性が受けた憎悪犯罪は、男性の2.3倍に上る。
カリフォルニア州立大学サンバーナーディーノ校の「憎悪・過激主義研究センター(Center for the Study of Hate and Extremism)」がこのほど発表したアメリカの16都市における憎悪犯罪の分析結果によると、2020年にアジア系に対する憎悪犯罪が前年比で150%増加したという。
こうしたアジア系に対する人種差別や外国人排斥の動きは、COVID-19のパンデミックにより助長されている。ドナルド・トランプ(Donald Trump)元大統領をはじめとする多くの共和党指導者は、COVID-19をあえて「中国のウイルス」と呼び、火に油を注いだ。
アジア系に対する差別意識は、激しさを増しているが目新しいものではない。このような憎悪の感情は、これまでもアメリカに存在するものであり、特にアジア系に対する人種差別はアメリカの歴史の中でも無視できないものだ。
19世紀のアメリカでは、外国人への嫌悪感や排斥主義により、白人に限定した移民政策がとられていた。1882年、議会が「中国人排斥法(Chinese Exclusion Act)」を可決し、中国人労働者はアメリカへの入国を禁じられ、在米中国人はアメリカ市民権が得られなくなった。「中国人排斥法」は、人種を理由に移民を禁じたアメリカ史上初の法律だ。
「1882年を境に、アメリカは制限も国境もゲートもなく外国人を迎え入れていた移民の国ではなくなった」と、ミネソタ大学のエリカ・リー(Erika Lee)教授は、著書『At America's Gates: Chinese Immigration During The Exclusion Era, 1882-1943』で述べている。
「その過程で、『アメリカ人』とは何かという定義そのものが、いっそう排他的なものになっていった」
「中国人排斥法」の成立により、アメリカは「門番国家」になったとリーは言う。
この法律は、1943年に「マグナソン法(Magnuson Act)」が制定されるまで60年にわたって適用されていた。だが新たな法律もかなり制限が厳しく、中国系移民の受け入れは年間105人しか認められていなかった。アメリカの法律は1965年の「移民国籍法(Immigration and Nationality Act)」改正で国籍による移民の割り当てが廃止されるまで、アジア系を多くの面で差別してきたのだ。
「中国人排斥法」は、アメリカでアジア系の人々が直面した数えきれないほどの差別の一例にすぎない。例えば第二次世界大戦中、当時のフランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)大統領は、「大統領令9066号」に署名し、10万人以上の日系人を強制収容所に入れた。
この大統領令は、真珠湾攻撃後の反日感情が主な動機となっていた。アメリカ西部のコミュニティでは、多くの日系人が戦争に参加し、ヨーロッパ戦線で最も危険な任務を命じられたにもかかわらず、疑いの目を向けられ、激しい差別を受けていた。
戦時中に強制収容された人々のうち、約8万人がアメリカ国籍で、ドイツ系やイタリア系のアメリカ人もいたが、大半は日系アメリカ人だった。
アメリカ政府は、日系人の強制収容などアジア系の人々に対する差別的な行為について謝罪を行ってきたが、これらの行為の原因となった憎悪の感情は根強く残っている。このような歴史を理解することは、アメリカで今も続くアジア人差別をなくすためにきわめて重要なことだろう。
(翻訳:仲田文子、編集:Toshihiko Inoue)