大手広告代理店からの独立を経て、フリーランスのライター・編集者として活躍してきた中川淳一郎さん。2020年夏に「セミリタイア」を実現した。
提供:中川淳一郎
2020年夏、1年間「364日」労働のようなネットニュース編集者生活に終止符を打ち、縁もゆかりもなかった佐賀県唐津市に移住した中川淳一郎さん。47歳という早期の「セミリタイア」はなぜ実現できたのでしょうか。
Business Insider Japanの編集担当・T氏から「少しずつ手放すセミリタイアのススメ、20代・30代・40代に何をすべきか?」というお題をいただきました。これは実に重要な話です。
正直、「仕事が好きで好きでたまらないんです〜!」みたいな人は滅多にいない。いや、「お前正気か?」と言いたくなる。正直、別に仕事が好きなワケではなく、仕事によってもたらさられるお金が好きなのに加え、仕事を通じて会う人々との時間が好きなだけです。
だから「仕事をさっさと辞めて、あとは楽しく、そして穏やかな人生を送りたい」というのが多くの人の考え方だと思います。
現在47歳の私は、20代・30代に戻りたいとはまったく思いません。理由はたった一つで、20代・30代の時ってキツかったからです。
私の場合は会社員時代は「上司」「クライアント」から無茶ぶりをされましたし、27歳でフリーになってからは「発注主」から無茶ぶりをされまくりました。
「人生なんてもんは苦行の連続である」と悟る30代
セミリタイア後の中川さんのSNSには、佐賀の食事もたびたび登場。地方都市の生活の魅力が伝わってくる。
提供:中川淳一郎
朝の4時に突然日経BP社の編集者から電話が来て「あのさ、副編集長がキミの今の原稿だと成り立たない、と言ってるから、今日再取材しといて」なんてヘーキで言うワケですよ。
私としては「えぇぇ!あなたのオーダー通り取材したのに今さら何言うの?取材相手の時間を再度取ってもらうべく交渉し、謝罪するのは私ですよ?」なんて思うわけです。
その都度「チクショー!」と心の中で叫ぶとともに、「オレにもっと力があれば……」なんてことを思い続けていたものです。
そして、「人生なんてもんは苦行の連続である」ということは30代前半には悟り、「もうなんかよく分からんけどラクに死にたいな。突然雷が私の頭に突撃して0.5秒で即死、となればいいな〜。これ以上一切努力もしたくないし、仕事もしたくない」なんて思うわけですよ。
だから、映画『オーメン』で、悪魔の子である主人公・デミアンの呪いによって教会の避雷針が折れ、気付いたら体に刺さって殺される神父などに対して、「アンタは、即死できるんだから、幸せな人生だったよね」と思うこともありました。それだけ生きるのはつらいけど、死ぬのも怖い、という日々を送ってきました。
本稿は「人生が楽しくて仕方ない!」「人生にはワクワク感しかない!」みたいな方に向けては書いておりません。「しょうがなく生きてるけど、それなりに幸せに生きたい」という後ろ向きな方に向けて書いています。
はい。私はそういう人間です。
本当に、日々の光熱費を払うのはイヤだし、誤植をした時に発注主から怒られるのもイヤだし、私が書いた原稿がYahoo!ニュースのコメント欄で「こんなクソ原稿でカネもらえてむかつく」と書かれることもムカつきます。
まぁ、人生、ロクなもんじゃないんですよ。成功者のみが幸せなんですよ。
こうした前提があったうえで、「とはいっても死ぬのもなんだかな……」と思う皆さまに向けて「少しずつ手放すセミリタイアのススメ、20代・30代・40代に何をすべきか?」について書いてみます。
結論。セミリタイアするための5つの心がけ
東京育ちの中川さんだが、セミリタイア先である佐賀での日々を満喫。とりわけ食の豊かさには驚いているという。
提供:中川淳一郎
「セミリタイア」というものは、中途半端な「リタイア」「引退」です。「場合によっては戻るからねぇ〜!」という逃げも打った状態で「一線から手を引く」ことを意味します。私自身、ネットニュースの編集者として2006年から2020年8月31日まで第一線を走っていたと思います。
これは自他ともに認めることなので無駄に謙遜はしませんが、ネットのニュースを編集する人間としては日本でもトップ1%には入っていたことでしょう。それを突然辞めて47歳にしてセミリタイアをしました。
編集部からのお題の「20代・30代・40代に何をすべきか?」についてはまずは結論から言ってしまいましょう。
以下の心がけをさっさと理解してください。
【1】クソ野郎と付き合うな
【2】「自分は仕事なんて嫌いだ」と認識しておけ
【3】若いうちの仕事なんてカネのため、その後のラクな人生のため、と割り切れ
【4】命とあなたの大事な家族以上に大事な仕事なんてもんは存在しない
【5】とはいっても、金銭的余裕を持ち、セミリタイアができる人生は実に快適
もう、ほぼ結論になっていますね。はい。私は47歳でセミリタイアをして佐賀県唐津市に引っ越しました。
それは上記5点を徹底的にやったからです。2006年8月から2021年1月31日まで、年間休日は1日でした。
それは「さっさと47歳でセミリタイアをしたい」という野望があったからです。47歳、に明確な理由はなく2020年、東京五輪を報じた後の8月31日で辞めるか、というのがたまたま47歳でした。
私はなぜ15年間、休暇は年にたった1日をやり切ったか
縁もゆかりもなかった唐津にも、だんだん顔見知りが増えた。屋台のおばちゃん、地元の若者、農業関係の人たち。セミリタイア後も人とのつながりは日々の彩り。
提供:中川淳一郎
セミリタイアという言葉については、ボヤっとした雰囲気がありますが、これを達成した後に何をしたいからセミリタイアをするのか、については明確な具体例が必要です。私の場合は以下です。
【1】もう他人に媚びたくない
【2】釣りをしたい
【3】クワガタを取りたい
【4】昼から酒飲みたい
【5】死にたいと思わないで済むほどのカネを持っておきたい
【6】黄ニラを作りたい
これをもう30代の後半から夢想していました。この「夢想」ってヤツが大事なのです。30代の若い頃はあくまでも「夢想」をする。
そして、その後はその夢を達成するために何をするか、を逆算しながら自ら決めたリミットの日まで必死にがんばる。苦悩の20代・30代を過ごすことにより、40代のセミリタイアが達成できるのです。
福岡県市街地から車で1時間ほどの佐賀県唐津市。玄界灘をのぞむ絶景が広がる海辺の街だ。
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今、私は上記【1】〜【5】は達成できました。【6】は、佐賀県内で手を挙げてくれる農家の方と出会えたのでこれから始まることでしょう。人生というものは、結局はよっぽどの才能を持った方かラッキーな方を除き「トレードオフ」の状態だと思います。最終的には「プラマイゼロ」に行き着くのです。
勉強をしなかったからいい大学に入れなかったかもしれないけど、高校時代はとんでもないリア充としてモテまくったかもしれないじゃないですか。そしてその様子を勉強ができた同級生は「チクショー!」と思っている。その後の人生、どちらの人生であってもほどほど楽しく生きている。
私としても、正直32歳〜47歳の「年間1日休日」の人生は「チクショー!」とは思いましたよ。どこかに旅行に行っても、入稿しなければならない原稿がある以上、ホテルで毎日仕事をしていました。でも、そのおかげで、セミリタイアに必要なカネは稼ぎましたし、これからは穏やか、かつ本当にやりたかった人生を送る目途が立ちました。
また、東京出身であるにもかかわらず、唐津というまったく縁のない街に住むも、地域の皆さんから本当に良くしてもらえている。今回のお題にある「セミリタイアするためにやっておくべきこと」としての結論は以下になります。
「後のラクな人生のために働きまくれ!」
クソみたいな体験を正当化せよ
これを「パワハラです!」とか言うのは簡単ですが、正直、天賦の才がなく、天才的な運の良さがない人間にとっては「努力する」「無理をする」しか、40代でのセミリタイアなんて無理なんですよ。
私自身、一応それができました。とにかく20代・30代の若き皆さんは「今の経験に無駄なことはない」と少しでも自身のクソみたいな体験を正当化し、後の成功につなげてください。結局、成功者の人生なんて「後付け」でしかありません。
成功に至るまでの最中、その人自身は「自分は成功している」とは思っていません。あくまでも成功した後に誰かから聞かれ、「成功に至った私の法則」を述べているだけ。
私も同じ。
ただ、「休まなかった」「反骨心は持ち続けた」ことは事実です。
(文・中川淳一郎)
中川淳一郎:1973年生まれ。ネットニュース編集者・PRプランナー。一橋大学卒業後、博報堂を経て、2001年独立。雑誌編集者の後に『NEWSポストセブン』などさまざまのネットニュース編集者に。2020年に364日労働人生をセミリタイアし、現在は佐賀県唐津市在住。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘 』など。