コロナ禍がビジネスにパラダイムシフトをもたらしてから丸1年が経ち、多くの企業が戦略の見直しや組織の改編に本格的に取り組み始めています。
その1社が資生堂です。資生堂は2021年2月初め、パーソナルケア事業をCVC Capital Partners(以下、CVC)の関連法人に1600億円で譲渡することを発表しました。さらに、デジタルトランスフォーメーション(DX)を強化するために、アクセンチュアと合弁会社を設立する旨のプレスリリースも出しています。
資生堂のパーソナルケア事業といえば、私たち一般消費者にもCMでおなじみの「TSUBAKI」や「uno(ウーノ)」といったブランドを擁する事業。その事業を丸ごと、世界23拠点を持つプライベートエクイティファンドのCVCに譲渡するというのですから驚きです。加えて、アクセンチュアと組んでDXを強化していくというその真の狙いとは……?
そこで今回は、この資生堂の大胆な戦略シフトについて、会計とファイナンスの視点からじっくり考察していくことにしましょう。
過去最高益から一転、7年ぶりの赤字転落
まずは財務状況を概観しておきましょう。
資生堂は2019年12月期に過去最高益を叩き出したものの、そこから一転、2020年12月期は7年ぶりの最終赤字となりました。営業利益ベースでは黒字を確保できましたが、新型コロナ関連で187億円の特別損失を計上したことが大きく響いた格好です(図表1)。
(出所)資生堂「2020年実績(1-12月期)および2021年見通し」をもとに筆者作成。
売上高が前年比18.6%も減少した理由は、主に化粧品市場の冷え込みによるものです。国内では、新型コロナウイルスの影響で小売店の臨時休業やインバウンド需要の減速により売上を落としました。また、海外市場も同様に経済活動の制限がかかり、厳しい状況となりました。
このように厳しい数字が並ぶ決算とはなりましたが、特筆すべきプラス材料が2つあります。
第一に、営業利益は2020年11月時点の前回見通しでは100億円の赤字だったにもかかわらず、最終的には150億円の黒字まで伸びたことです。理由は、徹底したコスト削減と在庫圧縮。厳しい経営環境の中、かなりの経営努力を行った成果が見て取れます(図表2)。
(出所)資生堂「2020年実績(1-12月期)および2021年見通し」より。
もう1つのプラス材料は、中国市場の伸びです。地域別の実績を見てみると(図表3)、各国の売上は軒並み下落するなか、唯一中国だけはEC販売などのオンラインでも対面のようなオフラインでも売上が大きく躍進し、前年比プラスの成長を見せています。
コロナ禍で経営が苦しいなかでも中国市場が大きく成長していることは、明るい兆しと言えるでしょう。
(出所)資生堂「2020年実績(1-12月期)および2021年見通し」より。
このように、コロナ禍で厳しい決算となった資生堂ではありますが、プラス材料も見出せること、そして何より2019年12月期は過去最高益だったことを考えると、このまま嵐が過ぎ去るのをおとなしく待つという“守りの経営”に徹することもできたはずです。
しかし資生堂はおそらく、座して待つだけでは不十分と考えたのでしょう。このニューノーマルの経済に対応して生き残るためには、もっと抜本的な改革が必要だと。
資生堂を取り巻く環境は、刻々と変化しています。
国内の化粧品市場では長らくトップの座を確保している資生堂ですが、世界に目を向ければ、売上規模では6番目(108億ドル)。業界1位のロレアル(売上高334億ドル)、2位のユニリーバ(同245億ドル)、3位のエスティー・ローダー(同143億ドル)と比較すると、まだまだ大きな差をつけられています(※1)。
加えて、グローバルでのビューティー市場にも変化が見られます。機能重視のスキンケアや皮膚科学のアプローチ、食生活や睡眠と肌コンディションの関係についての研究も進むなど、この分野は近年大きく進歩しています。
つまり、グローバルビューティー市場はまだまだ伸びる余地が多分にあるのです。
資生堂が2月に発表した「パーソナルケア事業の譲渡」と「DXの立ち上げ」は、まさに同社の危機意識の表れであり、リスクをとって果敢に攻めていこうという決意表明とも受け取れます。
ではその具体的な内容と狙いを、以降で詳しく見ていきましょう。
パーソナルケア事業はどれくらい売上に貢献している?
「日本の女性は、美しい。」のキャッチコピーとともに、SMAPが「Welcome ようこそ日本へ」と歌い上げる『Dear Woman』をBGMとした資生堂「TSUBAKI」のCM。ブランドのローンチは2006年と今から15年も前のことですが、当時さかんにテレビから流れてきたあのCMを、今も鮮烈に覚えているという方は少なくないのではないでしょうか。
実際、TSUBAKIの売れ行きが好調だったおかげで、当時資生堂はシャンプー分野でのメーカー別のシェアを4位から一気に首位へと駆け上がりました(※2)。
それほど消費者にとってはなじみのあるTSUBAKIを含むパーソナルケア事業を、資生堂は1600億円でファンドに譲渡すると発表しました。いわば同社の“顔”ともいえる事業の譲渡とあって、このニュースに接した多くの人が驚いたはずです。
確かに、TSUBAKIやuno(ウーノ)をはじめ、資生堂のパーソナルケア事業の商品は多くの人によく知られています。しかし図表4をご覧ください。
資生堂の売上全体に占めるパーソナルケア事業の割合は9%ほど。私たちの印象ほどには、同事業の売上は大きくはないのです。
(出所)「資生堂 ANNUAL REPORT 2019」をもとに筆者作成。
では資生堂の売上は主に何が支えているのかというと、その大半は化粧品で稼いでいるのだということが図表4、5から分かります。
ここで資生堂の戦略を読み解く上での1つ目のポイントです。
資生堂が今回、パーソナルケア事業を譲渡した理由は、化粧品とパーソナルケア事業のビジネスモデルの違いにあります。
パーソナルケア事業は、「TSUBAKI」のCMに見られるように広告宣伝費をガンガンかけるビジネスモデルです。
もう一方の化粧品事業は、百貨店などの小売店舗に来店した顧客に継続的に使ってもらうビジネスモデルです。ここでは、マス向けに販売をするのではなく、個別のニーズに合った商品を提供することが重要になります。
経営とは、ヒト・モノ・カネなどの限られたリソースを最大限に生かして企業価値を高める行為です。ビジネスモデルが違えばその分リソースが分散してしまい、強みを最大化することができなくなってしまいます。だからこそ、経営の現場においては「選択と集中」がことさら重視されるのです。コロナ禍という不確実性が高い環境ならばなおさらです。
たしかに2020年12月期は、徹底的なコスト削減の甲斐あって営業利益は黒字で着地することができました。しかし既存のビジネスモデルを変えないかぎり、コスト削減を続けることでしか資生堂に活路はなくなってしまいます。コロナ禍という大きな変化を経験した今、これではジリ貧になるリスクが高いでしょう。
そこで抜本的な対応策として、主力の化粧品事業とはビジネスモデルが異なるパーソナルケア事業を1600億円で譲渡することにした。そして、譲渡によって得た1600億円の一部を使ってDXを推し進め、化粧品事業にいっそう注力しよう——それが資生堂の狙いだと考えられます。
会社分割によるパーソナルケア事業の譲渡
ここで、パーソナルケア事業の譲渡スキームについても簡単に触れておきましょう。
今回、資生堂はパーソナルケア事業を完全に手放してしまうのではなく、約35%の持分を間接的に出資し、製造供給は引き続き資生堂が担うこととしています(図表6)。
資生堂はまず、自社並びに100%子会社であるエフティ資生堂および資生堂ジャパンのうち、対象となるパーソナルケア事業に関して、吸収分割(※3)という方法で新会社に事業を承継させます(図表6の(1))。
筆者作成
また、中国や東南アジア等にある子会社の対象事業は、CVCのファンドが出資しているOriental Beauty Holding(OBH)の子会社に譲渡します(図表6の(2))。
資生堂は吸収分割を通じて取得した株式を含め、新会社の株式の100%をOBHに譲渡します。OBHは、資生堂の中国や東南アジア等の子会社の対象事業の譲渡代金を含め、1600億円を対価として資生堂に支払います(図表6の(2))。
通常の会社分割を通じた事業の譲渡なら、以上で終わりです。しかし今回の資生堂の場合はさらにもう1ステップあって、OBHの親会社であるAsian Personal Care Holding(※4)の株式の35%を取得する予定です(図表6の(3))。
そうすることで、資生堂は新会社に対して間接的に影響力を持ち、CVCとともに引き続きパーソナルケア事業に携われるわけです(※5)。この新体制では、販売は新会社に任せるものの、サプライチェーンの製造供給部分は引き続き資生堂が担います。
今後パーソナルケア事業のさらなるグローバル展開のためには、マーケティング投資の強化は必須でしょう。資生堂はCVCと組むことで、投資先の企業の事業成長に強みを持つ同社の手腕に期待したのだと考えられます。
見方を変えると、パーソナルケア事業の販売やマーケティングについては、既存の化粧品事業の販売とシナジーが弱いことから、新会社に任せることにしたとも考えられます。
ここまでで、資生堂がパーソナルケア事業を譲渡するに至った事情を読み解いてきました。
資生堂はこのようにフォーメーションを変えることで、DXを推し進めて経営の選択と集中を図ろうとしているとのことでした。そのDXの具体的な施策がどのようなものなのかは、次回の後編で詳しく見ていくことにしましょう。
※1TOP 20 GLOBAL BEAUTY COMPANIESを参照。
※2 「女性用シャンプー秋の陣 泡立つシェア争い」(J-CASTニュース、2007年10月3日)を参照。
※3 吸収分割とは会社分割の一形態です。会社分割は、企業の組織再編の際に使われる手法の一つであり、既存の会社が有する事業の権利義務を他の会社に承継させることを言います。会社分割には、分割により設立される会社に事業を承継させる新設分割と、他の会社に事業を承継させる吸収分割の2つがあります。資生堂は今回、2021年7月に設立予定の新会社に事業を承継させる吸収分割を行う予定です。
なお、この連載の第36回ではレナウンの事業譲渡について扱いました。事業譲渡スキームと会社分割スキームは似ていますが、厳密には異なるものです。違いはいくつかありますが、最大の違いといえば、事業譲渡は株式の変動を伴わない取引である一方、会社分割は会社法における組織再編に該当し、株式のあり方にも影響が出てくるという点です。その他、税務面での取り扱いも変わってきます。
※4 Asian Personal Care Holdingの詳細は開示されていませんが、おそらくCVCが運営をするファンドもしくは法人だと予想されます。
※5 一部報道では「資生堂はパーソナルケア事業をCVCに1600億円で売却する」と報じられていますが、上述のとおり単純な売却ではなく、今後も資生堂はパーソナルケア事業を担うOBHの親会社への出資を通じて間接的に関わることになります。
※後編は3月24日(水)公開予定です。
(執筆協力・伊藤達也、連載ロゴデザイン・星野美緒、編集・常盤亜由子)
村上 茂久:株式会社ファインディールズ 代表取締役、GOB Incubation Partners株式会社CFO。経済学研究科の大学院(修士課程)を修了後、金融機関でストラクチャードファイナンス業務を中心に、証券化、不動産投資、不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事する。2018年9月よりGOB Incubation Partners株式会社のCFOとして新規事業の開発及び起業の支援等を実施。加えて、複数のスタートアップ企業等の財務や法務等の支援も手掛ける。2021年1月に財務コンサルティング等を行う株式会社ファインディールズ を創業。