今週も、早稲田大学ビジネススクールの入山章栄先生が経営理論を思考の軸にしてイシューを語ります。参考にするのは先生の著書『世界標準の経営理論』。ただし、本連載はこの本がなくても、平易に読み通せます。
今年2月に帝国ホテルが「30泊36万円」のプランを、ホテルニューオータニが「3食・掃除洗濯付きで月75万円」のプランを打ち出すなど、ホテル業界では長期滞在型のいわゆる「レジデンス化」に活路を見出す企業が現れています。コロナ禍によって苦境に立たされたホテル業界も、入山章栄先生の目には「まだまだチャンスあり」と映っている様子。その理由とは?
帝国ホテル、ニューオータニ……ホテルのレジデンス化が進む
こんにちは、入山章栄です。
ホテル業界はコロナで苦境に立たされた業界の一つですが、一部では新たな試みが始まっているようですね。
BIJ編集部・常盤
今年2月、帝国ホテルが「30泊36万円」のプランを発表し、続いてホテルニューオータニが「朝・昼・晩の3食と掃除洗濯付きで月75万円」のプランを打ち出しました。このニュースについて、入山先生はどう思われますか?
高級ホテルが客室の一部を長期滞在型のアパートに転換するというので、ずいぶん話題になりましたよね。
今となっては「後だしジャンケン」なのですが、僕はこのホテルの高級アパート化・レジデンス化は非常にチャンスがある、とコロナ前から思っていました。というのも、僕自身が顧客としてそこに価値を見出していたからです。
僕はそもそも出張が多く、日本中・世界中のホテルに泊まっています。そして最近では、深夜まで早稲田大学のゼミ生の指導をする時期があり、その時には早稲田大学の隣にあるリーガロイヤルホテルに長期で連泊することもあります。
実は2019年に『世界標準の経営理論』を執筆していたときは、リーガロイヤルホテルに10日ほど自主的に缶詰めになることを、数回繰り返しました。これくらい連泊すると、まるで「ホテルに住んでいる」かのような感覚になるのですが、これがなかなか快適なのです。
もちろん、帝国ホテルやニューオータニのような月36万円とか75万円というのは、けっこうなお値段であることは間違いありません。とはいえ、これくらいの金額を出せる人がそれなりにいるのも事実。潜在需要の多さを考えれば、ホテルのレジデンス化は、むしろもっと早く始めるべきだったとさえ思います。
家を所有しない時代になる?
ホテルの長期滞在に需要があると思うのは、これからは「決まった家を持たない選択をする人」が日本中で増えると予想するからです。
実際、海外ではそのような人たちは増えている印象です。インターネットの通信環境が整ったおかげで、特定の職種の方は世界中のどこにいても仕事ができるようになりつつあるからです。
パンデミックに伴うテレワークの増加は、日本での働き方、住居にどのような影響を与えるのだろうか。
shutterstock
例えばアメリカでは、キャンピングカーに住んでアメリカ中を旅しながら生活する人がいます。コロナの前は、世界中を渡り歩きながらノートパソコン一つで仕事をする「グローバルノマド」というライフスタイルも脚光を浴びていました。暖かい時期はイタリアあたりで過ごし、寒い時期は南半球に移動する、などという生き方・働き方です。
そもそも、「特定の家に定住する」という考え方自体が、ある意味で「常識という幻想」だったのかもしれません。
経営理論には「社会学ベースの制度理論」というものがあります。詳しくはこの連載の前回や「世界標準の経営理論」を読んでいただきたいのですが、直感的に言えば、「常識とは我々の脳をラクにするための幻想にすぎない」というものです。
幻想なので、時代が変われば常識もアップデートされるべきなのです。この連載の前回では、組織の同質性が高いがゆえに、常識をアップデートできなかったことが、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の会長だった森喜朗氏の問題発言とその後の顛末につながったのでは、と述べました。
そう考えると、「特定の家に住むべき」というのも、あくまで人が長い間持っていた常識です。でも、人類はそもそも狩猟生活をしていた頃は、特定の家を持っていませんでした。それが、小麦や米を栽培するようになって、特定の家に定住するようになったわけです。
でもこれからの時代は、インターネットのおかげで、特定の場所に縛り付けられる必要がなくなっています。その意味では、数千年の時を経て、常識をアップデートする時期になってきたのかもしれません。
例えば、日本でも堀江貴文さんが、家を持たずにホテル暮らしをしているのはよく知られています。堀江さんの言動はときに物議を醸すこともありますが、彼の「常識を疑う」感覚はやはりすごいと思います。
加えて言えば、今後コロナが終息したら、船に乗って世界中をクルーズする客船ビジネスが復活すると僕は見ています。
例えば日本でも、瀬戸内海沿岸の地域は波がおだやかですから、ここで船に乗って島を渡り歩きながら暮らしたい、という人は出てくるはず。実は僕は西日本でビジネスをやっている大手企業の方々に、「コロナが明けたらクルーズ船ビジネスは大流行する可能性があるので、今のうちに瀬戸内海の港を押さえるといいですよ」とアドバイスしています。
「特定の家に住む」という常識から解放されると、船で生活するという選択肢も出てくるかもしれない。
kazuhiro/Shutterstock
正直言うと、僕ももっと経済的に余裕があるなら、船を所有したい(笑)。僕ですらそう思うのですから、より所得の高い会社の経営者などは、高級車だけでなくクルーザーやヨットを持ちたいと思っているはずです。船もクルマも居住性に優れたものが登場していますから、「もう家はいらない」という人も出てくるでしょう。
このように、長い目で見ると、少なくとも一部の人にとって「定住」はこれからの常識ではなく、むしろ「移動しながら働く」が普通になる可能性があるのです。結果、好きなときに利用できるホテルやレジデンスの価値が高まってくる。
そう考えると、ホテルの需要が落ち込んだいま、高級ホテルがサービスアパートメントに転換するのは当然だと思います。
ジョブズはなぜ京都に3日しか滞在しなかったのか?
BIJ編集部・常盤
ホテルのレジデンス化にあたってはプライシングが重要になりますね。どういう値付けをするかによって客層が決まるわけですから。「こういう人に来てほしい」という暗黙のメッセージになりますね。
その通りです。帝国ホテルも、明らかにお金持ち層を狙っているわけですから、率直に言えば36万円と言わず、もっと価格設定を高くしてもいいと僕は思います。
たとえば京都には少し前まで、世界レベルの高級ホテルはほとんどありませんでした。2019年にアマンができたけれど、しょせん1泊10万円程度にすぎません。
こう言うと、「1泊10万円が『しょせん』なの?」という反応が返ってくるかもしれません。しかし、日本人は30年以上続くデフレに慣れてしまって、モノやサービスを安く提供することは意識しても、お金持ちにお金を使わせることを考えていない人も多い。
残念なことではあるのですが、今は現実として、日本でも世界でも経済的な格差は広がる一方です。それならば一つの考え方は、「お金持ちにどんどんお金を使ってもらって、それを経済的に厳しい人たちに再配分する」ことではないでしょうか。
先述したように、京都ではどんなに高いホテルでも1泊10万円くらいですが、中国やアラブの富豪なら1泊数十万円を出すことも厭わない人がいるのは事実です。
実は、僕は京都市に「超高級レジデンスをつくるべきですよ」と提言しています。なにしろスティーブ・ジョブズがお忍びで来ていたくらい、京都は世界のセレブが憧れる古都だからです。
ジョブズは日本食を好み、晩年まで家族で京都に訪れていた。
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僕の海外の友人が日本に来たときも、「どこに行きたい?」と聞くと、みんな口をそろえて「京都に行きたい」という。だから僕はいつも金閣寺、竜安寺、銀閣寺、清水寺という鉄板コースに連れていきます。最後に三十三間堂を見せると、みんな、「まいった、日本の文化はすごい!」となる。
それくらい京都は素晴らしいのに、スティーブ・ジョブズも滞在して3日目には帰ってしまう。なぜなら京都では多くのホテルが長期滞在仕様になっていないからです。
お金持ちは世界のどこにいても仕事ができるのですから、京都にも帝国ホテルのようにもっと長期滞在するところをつくって、世界の富裕層を京都に住まわせることを計画すべきです。
少し前に京都の経済団体の人たちに、「入山先生、われわれはシリコンバレー詣でに行きたいんですよ」と言われたのですが、これは話が逆で、シリコンバレーの人たちを京都に呼ぶことを考えたほうがいい。そうすれば、「暇なときにちょっと私の町工場を見にきませんか」と誘うのも簡単でしょう。
富裕層を呼び込むためのポイントは、家族で長期滞在が楽しめる街にすることです。そのためには性別、年代、国籍を問わず楽しめる場所がいる。パートナーや子どもたちが「京都に行ってみたい」と言えば、「よし、じゃあ行こうか」ということになるでしょう。
さらに子どもが長期滞在するなら、学校も必要です。いま、京都にはインターナショナルスクールは1校しかありませんが、京都ならば5~6校あっていい。
ホテルにせよ、京都という街にせよ、発想を転換するだけで、今あるものを生かす方法が見えてくるのではないでしょうか。
(構成:長山清子、撮影:今村拓馬、連載ロゴデザイン:星野美緒、編集:常盤亜由子)
入山章栄:早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所に勤務した後、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールアシスタントプロフェッサー。2013年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授。2019年から現職。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』『世界標準の経営理論』など。